第十五話:揺らぐ均衡。そして――。
◇15◆
一挙手一投足に気を配りながら、鏑木の攻撃を躱す。相手は執拗に心臓を狙ってくるが、それが却って分かりやすくもあった。
だがそれ以上に、体術にも長けているのは驚いた。おそらくエデンの教育塔で、そういった訓練を受けていたのかもしれない。
鏑木の掌底を弾き、ひざに蹴りを入れるも、態勢が崩れることはなく、裏拳があたしのあごをかすって、脳が揺れる。
「くそ……ッ」
それでもスタンロッドを振り下ろすが、俊敏な動きで左へと踏み込まれ、蹴りがわき腹を直撃した。骨が軋み、ぐぶっ、と血の混じった唾液が垂れる。
「探偵だって、しょせんは人間なんだ。わたしに敵うはずがないんだよ」
「……ああ、だろうな。あたしは、やつに言わせれば、失敗作だったみたいだからな」
「――失敗作?」
その単語に、鏑木は動きを止めた。あたしは視界が揺れるのを耐えて、なんとか呼吸と態勢を整える。
「あたしも、あんたと同じ。あの教育塔で産まれたそうだ。まあ、能力を持ち合わせていなかったから、殺される予定だったみたいだけどな」
「――あなたも、あの場所で?」
「やつは言ってたよ。もしかしたら、あんたとあたしは、腹違いの姉妹かもしれない、てな。まあ、同じ腹で産まれた可能性もあるとも言ってたが」
「なら、どうして感情を持ってる。なぜ、生きてる」
「言ったろ。失敗作なんだよ、あたしは。ただの人間だ。それに、あたしにも育ての親がいるんだよ。とっくに殺されてるけど。境遇で言えば、似てるとも言えるかもな」
「……なら、この殺し合いは、運命じみているね」
「そんなにセンチメンタルなものじゃねえだろ」
あたしは駆け出す。鏑木は跳躍して、スタンロッドを回避し、こめかみにつま先を叩きこまれて、バルコニーの手すりにぶつかった。
皮膚が切れたのか、赤い血が頬を伝って、床へと落ちていく。
煙がどんどん昇ってきている。遠くでサイレンの音が聞こえてきていた。ここは山の中腹にある。市街からも、目立つのだろう。
「ぶっ潰してやる!」
あたしは鼓舞するように怒鳴ってから、鏑木のわき腹に蹴りを入れ、回転するように身体をひねり、回り蹴りをこめかみに叩きこむ。
ようやく身体が揺れ、その一瞬の隙を逃すまいと、一歩、踏み込んで、スタンロッドを大きく振りかぶった。
「これで――終わりだ!」
瞬間。
鏑木が触れていた床が、爆発した。突然のことに、あたしは転がり、バルコニーが傾く。
「これは」
――潜在者が、覚醒した。
鏑木の両手からは火花が爆ぜていて、その目は昏く、しかし口許は弧を描いている。
一瞬で距離を詰められ、頬を殴られ、背後を取られると、肘が入ってそのまま吹き飛ばされる。
「カハッ!?」
真っ赤な血を吐き出し、全身が痺れはじめている。
「簡単に死ねると思うなよ」
口調も、さっきまでのものとは違う。
倒れていたあたしが起き上がろうとすると、こめかみを蹴りつけられ、転がり、馬乗りになると、ひざであたしの肋骨を圧迫する。
ぎしぎしと軋む音とともに痛みが走り、思わず顔をしかめた。
「お前のすべてを、壊す」
馬乗りになられたまま、手を振り上げた鏑木は、嬌声を上げ、それが振り下ろされる。その瞬間――。
――鏑木の腕が、切り離された。
一拍の間が開いて、濃紺の鮮血がほとばしり、鏑木の目が見開かれる。
「――え?」
「やあ、ファントム・ボマー。良い夜だね」
とん。と、真っ赤なシルクハットにベスト、同色のロングスカートに赤褐色の編み上げブーツの姿――そして、赤い鞘を腰に差した死神が、手すりに立っていた。
手に刀を持ったまま。
「う、うぐ、うぐああああああああッ!!」
鏑木は苦悶の表情で叫び、あたしはかすむ視線にやつを捉え、睨み付ける。
「なんだい、閃光の乙女。珍しく苦戦しているじゃないか」
――姉妹であるという仮説が、そうさせているのかい?
「うるせえよ。そもそも、それを言い出したのはお前だろ」
「まあ、仮説は仮説だ。君がそこまで真に受けるとは思っていなかったんでね」
手すりから跳び、あたしと鏑木の間に立った。彼女は肩で息をしていて、濃紺の血が床に沁みていく。
「ぐ、う、ファニー、マーダー……!」
炎が猛る中で、鏑木は真っ赤な死神を睨み付けている。その身体からは、火花が散っていた。
「君の動機は、ある程度、把握しているよ。その能力で人間を殺して、エデンの使者に自らを殺させる――だったかな。なかなかに回りくどい真似をする」
「……やつらに、脅威を……思い知らせるんだ。そして――わたしは、彼と同じ死に方をする。それだけは、誰にも邪魔させない」
火花を散らしながら、その目を見開く。血走っていて、いびつな笑みを浮かべていた。
しかし、ファニー・マーダーは汗ひとつ、動揺ひとつ見せないで、肩をすくめてみせた。
「残念だけど、その願いは届かないよ。君は教育塔を燃やして以来、能力を使ってこなかった。君の育ての親を殺して、相打ちになったのは、君を匿ったからじゃない。組織を裏切ったからだ」
つまりね、とファニー・マーダーは続けた。
「今さら君が人間を殺したところで、エデンは君に興味を抱かない。むしろ、目立ってしまう。だから、彼らからすれば、君は殺すほどの価値がないんだ」
「――ッ!! そんな、そんなはずない! うそをつくなッ!」
「残念だけれど、ぼくはうそがつけないんだよ」
ファニー・マーダーは一歩、前に踏み出す。
「人間では、ないからね。そもそも、現実に介入した概念、現象であるぼくは、うそをつく必要がないんだ」
真っ赤な目を細めて、死神は笑う。鏑木は、顔をしかめて、怒鳴った。
「う、うるさい! うるさいうるさいッ!! そんなの、知らない! わたしは、わたしは――ッ!!」
「彼と同じ死に方を望む。非常に歪んでいるけれど、それも愛の形というものなのだろうね。ぼくには到底、その感覚は分からないけれど」
――でも、結果は、変わらないよ。
「ファニー・マーダー……ッ! 絶対に、殺してやる……! わたしの目的は絶対に、阻ませないッ!」」
鏑木は駆け出し、左手をつき出す。全身から散った火花が飛び火して、周りが燃え始めている。
その掌底を後ろに跳んで躱し、さらに追撃で来た蹴りを跳躍して避けて、彼女の背中を取る。
「なるほど。均衡を崩すに値する能力だ。けれど――」
言いかけたファニー・マーダーに向けて、拳で襲い掛かる。それを屈むことでやり過ごし、くるくると回る。真っ赤なロングスカートが揺れ、彼女と対峙した。
「……こいつ…‥」
――エデンが作ろうとしている、潜在者や複合人間に関しては、ぼくの存在がきっかけになっている。
以前、長野で、あの死神が言っていたことだ。それはつまり、ファントム・ボマー自身もまた、ファニー・マーダーのコピーであるということでもある。
そしてエデンの使者に殺されたかった彼女の前に現れたのが、この世界の概念であり、事象であり――彼女自身を作り上げたオリジナルのようなものなのだ。
彼女の目的からすれば、予想外であり、想定になかったのだろう。それはつまり、ファニー・マーダーこそが、彼女の――潜在者の天敵であることに他ならない。
今までの潜在者でも、ファニー・マーダーを追い詰めたものは数少ない。やつの言う、均衡を崩すものは、ほとんど全員、死神の鎌に刈り取られている。
彼女は薄々とだが、それに気付いている。けれど――認められないのだ。
彼女は、ファントム・ボマーは、鏑木花南は――感情を持ってしまったがゆえに、誰よりも人間らしくなってしまった。
そしてなにより、エデンの使者に相手にもされないという事実に、彼女はうろたえている。
それは、彼女の切望した未来が来ないということだ。
半身を引いて、刀の柄に手をやった。ひりひりと、肌に殺気が刺さる。
ファニー・マーダーの告白に対し、鏑木はそのプレッシャーに耐えかねたのか、事実を突きつけられ、精神的に壊れてしまったのか、歯を小刻みに鳴らし、その目を見開くと、
「う、う、うああああああああああああッ!!」
叫んで、駆け出す。足跡から炎が立ち昇る。その左手がファニー・マーダーの心臓へ触れるか触れないか、その刹那に――。
「――やっぱり君は、半年前の彼よりも、弱いみたいだ」
そうつぶやいて、斜め下から振り上げた刀が、彼女の首を刎ねた。
◇◆
ファニー・マーダーに担がれて、バルコニーから跳んで地面に着地すると、倒れた井筒と竜胆が待っていた。
「あんた……今回は出てくるなって」
「一応、助手なんでね。雇い主の心配くらいはするだろ。それより――」
竜胆は真っ赤な死神を睨み付ける。
「お前、蓮実がこんなに怪我してんのに、来るのが遅いんじゃねえのか」
「そうは言われてもね。この世界ってのは、まったく安定していない。今こうしている間にも、均衡が崩れる可能性があるんだよ」
「つまり、別件もあったってことかよ。忙しそうでなによりだ」
竜胆の嫌味も、意に介さず、といったふうに、目だけで笑った。
「それより、竜胆。こいつは」
「ああ、あんたにゃ悪いと思ったんだけどな。記憶を改竄させてもらった」
「改竄?」
「ああ。今回の一件、その責任を取ってもらおうと思ってな。さすがに――ここまで死人が出ていて、犯人がいないというのは、不自然だろ」
「勝手なことを……」
「殴り殺してないだけマシだと思ってくれよ」
半年前の事件で、本気で殴り殺そうとしていた本人が言うのだから、笑えない。
「そろそろ消防車が来る。警察も動いてるだろう。逃げるぞ」
あたしが言うと、竜胆がスーパーカブのエンジンをつけて、ヘルメットをあたしに投げてよこす。
「怪我してんだから、まずは綾音ちゃんのとこだな」
あたしが後ろに乗ると、アクセルをひねった。ファニー・マーダーが立っていたところを見ると、やつはすでにその姿を消していた。
消防車が来る東の道ではなく、西の道を選んで、あたしたちは鶏鳴学園をあとにした。




