第十三話:チープな推理小説のように。
◇13◆
ぎし、ぎし、と。
軋む床の階段を、ファントム・ボマーが進んでいる。その後ろをおれが、その後ろを井筒が続く。
深夜零時。綾瀬友里が二階の教室で待っている。彼女を殺したのち――やがてやってくる蓮実を殺す。その算段を、三人で確認している。
あの不良がどうしてメビウスにたどり着いたのか、おれには分からなかったが、井筒いわく、『相手も同じような方法を使った』のだという。
つまり、彼女もまた、パソコンに精通しているということ――それも、ネットの“闇”の部分に。
二年三組の前に立ち、ファントム・ボマーがそのドアを開くと、おれは驚いて目を丸くした。一歩、後ろに下がって、井筒の肩にぶつかった。
「――よう」
椅子を逆にして、その背もたれに両腕をぶらりと下げ、にやりと笑う彼女――蓮実瑠香が、そこにいた。
いつもの制服ではなく、白シャツにライダース・ジャケット、黒のサルエルパンツ。同色のスニーカーという格好だった。
「なんであんたが……」
おれがこぼした言葉に、彼女は笑みを深くする。
「おかしいな。あたしだって呼び出されたはずだぜ。メビウスでな」
「一時だっただろ!」
「そうだよ。でも、一時まで待ってたら、綾瀬は殺される。あたしが、むざむざ見捨てるような人間に見えるのか?」
そう言うと、椅子から立ち上がり、ファントム・ボマーの目の前に立つ。
――綾瀬が来ることまで、読んでいたのか。
いや――。
――過去ログを漁ったな。
「ようやく会えた。初めまして、だな。ファントム・ボマー」
「……綾瀬はどうした」
ガスマスク越しに、くぐもった声を出した。それを聞いて、蓮実は首をかしげた。
「家に乗り込んだんだよ。前に、家出人の捜査をしたとき、なんとなく訊いておいたのが予想外に役に立った。彼女が死にたがってたのは、メビウスで知っていたからな」
「……意外と情熱的なんだね」
「探偵、だからな。まあ、最後のひとりになるまで真相に気付けない探偵じゃ格好がつかない。彼女が殺され、その次があるとするなら――ここでピリオドを打つ」
「でも、捜査をしていない。だからあなたは、ぼくの正体には気付けなかった」
「そうだよ。それだけが悔やまれる。家出人のほうばかり見て、うわさの源流を見逃してしまった。深夜に学校に行っている意味を――もっと考えておけば良かった、とな」
でも、と蓮実は続けた。
「どのみち、あたしが標的になることで、あんたと会うことになった。推理小説じゃ邪道だが、こいつは物語じゃない。解決することが、探偵としての最優先事項だ」
「……なるほど。自身を囮にする――それは推理ものとしてはチープだけれど、もっとも効率が良い方法とも言えるね」
「だろう? まあ、虎田と井筒がいるのは、分かっていたよ。メビウスでのあんたらのイニシャルは、簡単すぎなんだよ。完全招待制だから油断したな? 過去ログなら――すでにプリントアウトしてある」
そう言って、蓮実は複数枚の紙をひらひらと見せて、笑った。
「あと、あたしが三階で捜査していたとき、殺気を見せたのは井筒、あんただろ。最初は天塚かと思っていたけど――今のあんたの殺気は、あのときと同じだ」
――捜査の手が入って、思わず殺意を抱いた、そうだろう?
「ああ、そうだよ。せっかく上手くいっているのに、邪魔をするやつが出てきたんだ。当然だろう」
おれの背後で、肩越しに見ると、井筒はうっすらと笑っている。
おれは蓮実に向き直って、歯噛みする。よもやメビウスに侵入を許したことで、今まで隠してきたことを、彼女に気付かせてしまった。
しかし、今、井筒が殺気立っているようには見えない。それを、彼女だけに向けているということか。
瞬間、蓮実が動いた。
「ファントム・ボマー! 避けろ!」
蓮実は一歩踏み込むと、暗闇の中でバチリと電流が爆ぜた。「スタンロッドだ!」と、おれが怒鳴ると、ファントム・ボマーは後ろに跳び退った。
「こいつはマックスにすれば牛すら殺す。まあ、安心しろよ。気絶程度で許してやる」
「その前に――殺すよ」
蓮実は椅子を蹴り上げ、ファントム・ボマーはそれを片手で弾く。その間合いに入って、斜め下からスタンロッドを振り上げるも、背をのけぞるようにしてそれを躱した。
同時にローキックを蓮実の腰へと当て、彼女は後ろにステップを踏む。
互いに、ぎりぎりの間合いだった。
「あなたはぼくの能力を知らない。だから――踏み込めない。そうだろう?」
「おおよそ見当はついてるよ。ファントム・ボマー。その名前は少々、安易だったな」
――蓮実は気付いている。
おれは顔をしかめる。ファントム・ボマー、幻影の爆弾魔。だが、その発動の条件までは分かってはいないようだが、安心は出来ない。
おれは加勢すべきか、考える。相手はいくら武器を持っていたとしても女子ひとりだ。力づくでなんとかできるかもしれない。
だが、それは期待値に過ぎない。蓮実の動きは――洗練されているのだ。まるで殺し合いを想定したような動きをしている。
互いに間合いの少し外で、蓮実はスタンロッドを構え、ファントム・ボマーも両腕を構えた。
――ぶつかる。
互いに動いたのは同時だった。蓮実は高く跳躍し、ファントム・ボマーの拳が空を切った、蓮実は後ろに着地し、その背に向けて蓮実の一撃が入ろうとしたが――。
しかし、半歩踏み込み、くるりと回転して、その手首をつかむ。
「……強い人間もいるんだね」
「あたし以上に強いやつなんて、ごまんといるよ」
蓮実が腹を蹴りつけて、距離を取る。
こんなことは初めてだった。今までなら、恐怖におののき、殺されるのを待つだけの人間ばかりだった。
だというのに、蓮実は恐怖さえ感じていないように見える。むしろ――好戦的、という言葉が頭に浮かんだ。
今までの生徒とは違う。不良生徒なんてものじゃない。相手は、戦うことに関して、相手を無力化させるプロだ。
「ファントム・ボマー! 今日はいったん、引きあげろ――」
そう言った瞬間だった。どん、とおれの背中に衝撃が走る。
「……え?」
肩越しに見ると、井筒が、呼吸が聞こえるほどの距離にいて――遅れて鈍い痛みが走り、足の力が抜け、ひざをついた。
「な、んで……」
「友達ごっこは、終わりだよ」
かすれる目で、井筒が包丁を握りこんでいるのが見えた。その目は冷たく、おれはなにが起こったのか、分からないまま――意識が薄れていく。
「い、づ」
「お前が悪いんだ! ぼくを騙しやがってッ!!」
その声の残響を聞きながら、おれの意識は暗転した。
◇◆
「――虎田?」
ファントム・ボマーは、首をかしげた。あたしは目の前で起こったことが分からず、思わず「なんで……?」とつぶやいていた。
「なんで、虎田を!」
ファントム・ボマーは明らかに動揺しているようだった。井筒は震える両手で包丁を握りしめている。
「こいつは、友達の振りしてただけだったんだよ! つまらないから! ぼくを使って遊んでたんだ!」
のどがはち切れそうなほどに、彼は叫んだ。
「違う!」
その声に、ファントム・ボマーは怒鳴り返す。
「虎田は、そんなやつじゃない!」
「聞いたんだよ! 多目的教室で! 鏑木さんと、こいつが話してたのを! いつまで友達でいるつもりだってッ!!」
井筒は肩で息をしながら、目を見開いていた。あたしはなにが起こっているのかは分からないが、なにかしらのすれ違いが起こっていることは理解した。
「違う、違うんだよ……」
ファントム・ボマーはガスマスクを外した。その横顔に、あたしも、井筒も驚いた。
「あんたが、ファントム・ボマーだったのかよ」
――鏑木花南。
「かぶ、らき、さん……」
「あのとき、わたしが言ったのは、そういう意味じゃない。虎田はね、あんたのことが、好きだったんだよ。恋愛対象として」
「――は」
「わたしはずっと相談を受けてた。本気で好きになったんだって。だから、虎田の背中を押さないとって、そう思った。友達のままでいるのか、告白するのか、はっきりしたほうが良いって!」
「で、でも、ぼくは」
「あんたが、わたしを見ていたことなんて、とっくに知ってる。体育のときも、部活のときも。隠れて見てたの。正直、気持ち悪いって思ったよ。でもね」
――あいつは不器用なだけなんだよ。
「そう言って、庇ってたんだ。あんたを。あんたがいじめを受けてたのを止めたのも、つまらないからじゃない! 好きだったから、あんたが傷つくのが耐えられなかったんだよッ!」
ファントム・ボマーは、鏑木花南は、かなぎり声で怒鳴った。その眼には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「そうか……あのときの殺気は、殺気じゃなく、それもあたしに対してじゃない。虎田と鏑木が一緒にいたから――嫉妬、だったんだ」
今さらになって、あたしはようやく、あのときに背後から感じた負の感情の正体に気付いた。
――この場所で、あたしがそれを突きつけたとき、やつが殺気だと認めたふりをしたのは、その滾る嫉妬を、隠すため。
だが、あたしの声など、やつには届いていない、
「う――うそだ! だって、こいつは、鏑木さんが好きだって――ぼくの部屋で確かにそう言ったんだ!」
「好きな相手を前に、正直に言えるわけないじゃない! それも、同性なのよ!? 多様性がどうとか、世間がどうとかじゃない。虎田はただ――勇気が出なかっただけなのよ!」
「じゃあ、は? なんで? そんなこと、言われないと分からないだろ! 目の前で話してたんだ。言う機会ならいくらでも――」
「じゃあ、あんたはわたしのことを好きだって、一度でも言ったことあるのッ!?」
ファントム・ボマーの身体から火花が散った。それが木造の椅子や机に移る。
「――そんなこと」
「言えるわけないなら――虎田を責めないでよ! 本気で、あんたのことを想ってたんだから! たとえあんたが、わたしのことを好きだったとしても、それで幸せになるんなら、受け入れるって!」
「じゃ、あ、ぼくは、と、虎田を……虎田」
井筒は手から包丁が落ち、しゃがみ込んで、虎田を見る。あたしから見ても、すでに死んでいるのはたしかだった。
「ぼくは、なんてことを」
ファントム・ボマーから放たれた火花が、飛び火して、教室が黒煙を吐き出して燃えはじめている。
「まずいな……」
あたしは煙を吸わないように、ポケットからハンカチを取り出して、教室を出ようとする。
だが、ファントム・ボマーは逃がすまいと攻撃に転じ、それをなんとか躱して廊下へと出た。
ごうごうと炎が猛り、爆発音が耳朶を激しく揺らした。
一階へ降りようとするが、ファントム・ボマーが後ろに迫り、とっさにあたしは三階へと駆け上る。
三年三組の教室へ転がるように入り、そのまま勢いを殺さずに、飛び込むように、三教室分の広いバルコニーへと出た。
教室の中だとどうしても煙を吸ってしまう。なら、袋のネズミになったとしても、屋外で、決着をつけるしかない。
「……いいのか? あんたの仲間は」
ガスマスクを取ったファントム・ボマー、鏑木花南は、憎しみをその表情に浮かべて、吐き捨てるように言った。
「――もうなにもかも、どうでも良い。全部、壊してやる」




