第八話:蓮実とファニー・マーダーの真実。
◇8◆
――翌日。
あたしは新幹線で長野に来ていた。遠くに鎮座する皆神山に、曇天が重くのしかかっている。
住所をスマートフォンのマップに入力し、進んで行くものの、目的の場所が見つからない。
仕方ないので、近所の老人に聞くことにした。年嵩の言った老婆は、曲がった腰で、しわくちゃな顔、目が細く開いているかも分からないが、言葉ははっきりしていた。
「五、六年前くらいかねえ……そこの孤児院があって、火事になったのよ」
「火事?」
あたしの言葉に、うんうん、と頷く。
「出火元は」
「いやあ、分からんのよ。急に火の手が出た、って聞いたわ。そのあとで消防車がたくさん来てねえ……そりゃあ、大変な騒ぎだったわ」
「孤児院ってことは、その中に子供がいたんですか」
「ええ、ええ。とても、可哀相だった。みんな焼けてねえ。死んでしまったの」
急に火の手が上がって、孤児院が燃えた。そこに住んでいた子供たちも死んだ。それは、なにを意味するのだろうか。
あの死神は、現象であるがゆえにうそはつけない。つまり、なにかがあったということだ。単なる火事、という事実だけを伝えたいわけではないだろう。
「その孤児院は、どこに?」
「ここからずっと真っ直ぐよ。でも、もう建物は残ってないわ。焼けきったみたいだからねえ。道なりに行って右側に、うんと高い草が生えていて、それが目印になるかしらね」
――だから、マップに乗ってなかったのか。この数年で、情報が更新されていたのだ。あるいは、情報自体を隠していたのかもしれない。
「……ありがとうございます」
あたしは軽く頭を下げると、そちらへ足を向ける。老婆は「ああ、でも」とつぶやいた。
「うわさでは、ひとり、生き残った子がいた――とも聞いたことがあるよ」
「それは、誰か分かりますか」
「んにゃ、あの場所には、子供たちはたくさんいたから、誰かまでは、分からんねえ」
「……そうですか」
あたしはその場をあとにして、真っ直ぐに進んで行く。徐々に家屋が消えて行き、だだっ広い、あたしの背と同じくらいの草っぱらがある場所にたどり着いた。
その草をかき分けながら途中まで来ると、本来は立派だったのだろう門が朽ちていた。錆びついていて、周囲の壁も崩れている。
役目を失った門を抜けると、焼けたあと、誰も整理していないのか、焦げた木材がいたるところに散見された。さすがに遺体は回収されたのだろう。
カバンから軍手を取り出して、しゃがみ込むと、焦げた木をさすった。何の変哲もない木片ばかりで、収穫は得られない。
それでもなにかしらのヒントがあるはずだと、場所を変えては焦げた木や柱を調べていく。
ふと、視線を下に向けると、『麒麟組』という木製のプレートが見えた。真っ黒に煤けていて、ひび割れているけれど、なんとか読み取れるくらいには残っている。
「麒麟組……?」
「――ここは、潜在者の教育をしていた場所だよ」
不意に声がして、振り返り、とっさに声の主から距離を取った。
「……お前か」
そこには真っ赤なシルクハットに、同色のベストに、ロングスカート、暗赤色のブーツを履いた少女――ファニー・マーダーが立っていた。
「ここで産まれた潜在者を、教育するための場所であり、能力を持ち得なかったものを、感情を持ったものを、殺処分する場所でもあった」
――ここでは、感情は悪い病気だと、そう教えていたそうだよ。
死神は、淡々と、なんの感情も込めずに、そう言った。
しかし。
「……なんのために?」
「歯向かうことのない、疑問を持つことのない、従順な人材を育成するため、だろうね」
「……それはおかしい。あたしが会ったことのある潜在者は、どいつも感情を持っていた」
「それもまた、研究だよ。その潜在者は、違う場所で、違う教育を受けていた。そうやって様々な、多角的な教育を施し、その結果、潜在者がどう動き、どう世界に影響を及ぼすのか――エデンはそれを研究の一環としている」
「その口ぶりだと、他にもありそうだな。その真意はなんだ。他になにを研究していたんだ」
ファニー・マーダーは、ふむ、と指であごを挟むと、首をかしげた。
「――新しい能力を持つ人間を、造ること。それがエデンの行っている研究のひとつでもあるらしい」
「……それはダーウィンズ・バグとは違うのか」
「それも、そもそも先天性か、後天性かの違いでしかない。本来なら、この歴史上では、能力を持つ人間はその二種類しかいなかったんだ。けれど――エデンは『第三の存在』を生み出そうとしている」
「第三の存在……?」
あたしが眉間にしわを寄せ、死神は目を閉じる。そして歌うように言った。
「そう――潜在者でも、不完全な可能性でもない」
「……なら、なにを生み出そうとしているんだ?」
ファニー・マーダーは目だけで笑った。さわさわと風が吹いて、背の高い草が揺れる。じっとりとした湿気に汗が垂れ、あたしは、やつを睨めつけた。
「潜在者と潜在者、あるいはダーウィンズ・バグの能力を混成させた人間――『複合人間』、それを造り出そうとしている」
「そんなバカな!」
――新しい人間、複合人間。キマイラ。
そんなものを造り出そうなんて、自然の摂理に反している。倫理的にも遥かに外れていて、神に対しての侮辱である。
「ぼくは事実を述べているに過ぎないよ」
「でも、それが本当だとして、どうやって……」
「遺伝子を操作する――と聞いたことがある。それが胎児であれ、成人であれ、ね」
「胎児にも?」
「人間牧場と言ったかな。エデンには子供を産むだけの存在がいる。それは、当然、潜在者やダーウィンズ・バグだよ」
「子供を産むだけの存在だと……?」
「そう。それらは、外からさらってくるものもいれば、教育塔で育てた女性でもあるらしい。様々な面から、アプローチをしているようだね」
人間牧場――その言葉に、ぞくり、と、背筋が冷えた。
「ベッドに縛られ、身体が壊れるまで、子供を産ませ続けるそうだよ。種を植える男性もまた、同じ境遇の人間だ。そして受精卵の状態で遺伝子を操作する――」
「まさか」
空は墨で塗ったような重苦しい雲が覆い、湿度を伴った、生ぬるい風を受けながら、ぞわりと鳥肌が立った。
――そんなおぞましい研究をしている、なんて、想像したくもなかった。なぜならそれは。
「まさか、デザイナーズベイビーを実行しているというのか」
世界のほとんどが禁止している、あるいは制限を設けている中で、それを実行に移しているというのか。倫理観など、捨て置いて。
なにより、子供を産むだけの女がいる、子種を植えつけるだけの男がいる、ということが事実であるならば、人権さえ、無視していることになる。
「それもひとつの方法だという。つまるところ、エデンもまだ、完全に造り方を把握しているわけではなさそうだ。だからこそ――」
――彼らは日夜、研究を重ねているわけだよ。
「しかしまあ、良い機会だ。この場所で、ぼくの話もしておこう」
そう言って、ファニー・マーダーは語りはじめた――。
◇◆
「エデンが作ろうとしている、潜在者や複合人間に関しては、ぼくの存在がきっかけになっている」
「なんだと?」
あっさりとした告白に、あたしは眉間にしわを寄せた。
「いつの時代だったかな。エデンが出来上がる前の話だ。ぼくを観測した人間がいる。それが今のエデンの研究に起因しているんだよ」
――現実に介入する概念を、彼は神だと呼んでいたよ。
「……じゃ、じゃあ、すべてお前のせいじゃないか」
あたしは呆れと怒りが同時に来て、真っ赤な死神の背中を睨み付けた。
「それは語弊があるね。ぼくはただ観測されるだけの存在であり、均衡を保つものだ。その使命だけのためにいる。ぼくを見て、なにを始めようと、それはその人間の選択に過ぎない」
――ぼくは概念であり、現象そのものだ。君たちは、台風や地震そのものを責めることが出来るのかい?
ファニー・マーダーは続ける。
「結局、そういった現象に於いて責められるのは、そのあとに対応をした人間だ。自然現象に対して殺意を持つ人間なんて、変わり者だと思わないかな」
「……!」
あたしは力が抜けて、ひざから崩れた。今までだって、潜在者やダーウィンズ・バグを相手にしてきた。
しかしその原因、始まりまでは、見えていなかった。それを見下ろしながら、ファニー・マーダーはぽつりとこぼす。
「そして最終地点では――きっと、ぼくのような」
風が強さを増し、草が荒ぶってきて、死神の言葉はさえぎられた。
遠くの空で、腹でもくだしたような音が聞こえ、ファニー・マーダーの真っ赤なスカートが、ふんわりと揺れる。
「……お前はなぜ、あたしをここに呼んだ。どうして、そんな話を、あたしに」
「ぼくの今の話は、君に、そしてファントム・ボマーに、繋がっているからさ」
「どういう……意味だ」
どくん、どくん、と鼓動が速まっていく。これ以上は聞いてはいけないと、心が警鐘を鳴らしているが――止めることは出来ない。
「奇しくも、ファントム・ボマーはこの施設の出身なんだよ。そして――」
――ここが、君の生まれた場所でもある。
一瞬の間が開いた。
「……な、にを、言ってるんだ」
「でも、君は失敗作だった。だから君は、なんの能力も持たず、ただの人間として、早々に、処分されるはずだったんだよ」
「うそだ、うそを、うそをつくな!」
「ぼくがうそをつけないのは、君だって知っているだろう?」
あたしの鼓動が、今までにないほど、暴れていた。五十川からは、そんな話を聞いたこともない。ただ、拾われて、育てられた――それだけが、事実だった。
「三年経っても、能力が開花しない君は、殺される。それを知った五十川くんは、君を匿い、隠したんだ。表向きには処分した、と報告してね」
「じゃあ、親父が殺されたのは」
「五十川くんは、上手くやっていた。研究職から外れ、塾を開講し、教育部門で活躍をした。エデンから君という存在を隠しながらね」
五十川は塾をフランチャイズ化し、各地に設置した。それは――潜在者やダーウィンズ・バグを見つけるには、都合が良かったのだろう。
「けれど、彼は君だけじゃなく、潜在者や不完全な可能性の存在をも、報告しなかった。子供たちを守っていたんだろうね。しかしそれも、上手くはいかなかった」
――まさか、塾の内部に、エデンの使者がいるとは、彼も知らなかったのだろう。
「つまり、そのスパイに報告されて、裏切り者として、エデンの連中に、殺された……?」
ファニー・マーダーは目だけで笑い、「そういうことだね」と、短く言った。
「だから、この場所に、あたしを呼んだのか」
「そうだよ。今回の相手――ファントム・ボマーは、君と同じころに、ここで生まれ、育った。母親や血は繋がっていないけれど。君は失敗作として、相手は潜在者として、ね」
それにね、と、ファニー・マーダーは続ける。
「父親が一緒だった場合は、腹違いの姉妹とも、言えるかもしれないしね。まあ、父親も人間牧場で縛られていたらしいから、可能性はゼロじゃあないだろう」
「……お前が珍しく顔を見せたと思えば……とんだ嫌がらせだ。そうやって、あたしの正義を試そうってのか」
――今までだって、様々な事件に向き合ってきたつもりだった。潜在者やダーウィンズ・バグを、エデンの使者を相手に、自身の正義のために、そうやって、敵に回ったものを、倒してきたんだ!
それを言うと、しかし、ファニー・マーダーは目だけで笑って、肩をすくめた。
「そう怒るなよ、閃光の乙女」
口角は上げず、爛々と輝く赤い目が細められる。
「……その呼び方はやめろ」
「ぼくは、客体だ。今回の事件だって、その正義だって、すべては君たちが決めることだ。ぼくは答えを出せないからね。君がこの場所に来たのも、事実をどう受け取るのも君次第で、ぼくは興味がない」
「興味がない? こんな、こんな酷いことをしている連中がいるのにか。それにお前にも原因があるだろ」
「そうだったとしても、だよ。人間のやることや、選択。そのすべてに、興味がないんだ。ぼくはただ、世界の均衡を維持させるためにしか存在していない」
「だったら、エデンは。お前の敵じゃないのか」
「エデンだって、ぼくに敵対しない限り、つまり、世界の均衡を崩そうとしない限り――相手にするつもりはないよ」
ぽつ、ぽつ、と雨が降ってきた。
「けど、今回のお前は、客体だと言いながら、主体的に動いているように見える」
「……五十川くんからの伝言だ。遺言と言っても良いかもね。ぼくは客体であるから、本来であれば引き受けるつもりはなかったんだけれどね。つまるところ、今回は例外だ」
「だったら――なぜ、今なんだ」
「君の十六歳の誕生日に、伝えるように言われていたんだよ」
「そうか……今日、か。あたしの誕生日は」
事件を追い続けていて、いつからか自分の誕生日さえ忘れていた。
「ぼくは人間には興味がないけれど、五十川くんは特別だった。ぼくの理想から遠く離れているくせに、ぼくの理想により近い生き方をしていたからね」
――なにより、この時代における、ぼくの名付け親でもある。
「でも、なんで親父は、あたしだけを助けたんだ。他にも――能力を持たない人間はいたんじゃないのか」
「……たとえ他人の種で出来た子供であっても、愛おしい女性から生まれた子供は特別なんだ、なんてことを、言っていたよ。まあ、ぼくには理解しがたい感情だけれどね」
――それは、つまり、あたしを生んだ女を、五十川は。
――あたしの、蓮実という、名字は。
「これで五十川くんとの約束は果たした。まあ、こういった例外は、ぼくには許されていない。だから、あまり進んで引き受けたくはないものだよ」
雨脚が徐々に強くなっていく。ざああ、と大粒の滴が、土に染み込んでいく。
ひざをつき、うなだれたまま、あたしは、ファニー・マーダーの背に問いかけた。
「……お前は、ファントム・ボマーの正体に気付いているのか」
肩越しに振り向いた真っ赤な死神は、首をかしげた。
「さてね。真実を解き明かすのが――探偵というもの、なのだろう? それは、ぼくの使命ではない」
毛先から、雨粒が落ち、あるいは、ひたいや頬を流れ、あごから垂れてくる。奥歯を噛みしめて、顔を上げると――ファニー・マーダーはすでに、その場にはいなかった。
「ちくしょう……ッ!」
雨にかき消されそうになりながら、ずぶ濡れのあたしは、土を握りしめ、空に向かって、掻き消えそうな声で、そう言った。
その感情が、どういった類のものか、それすら分からないまま――。




