鈍る刃と、受けるには早い上位依頼
鍛冶通りを出たあと、四人はそのままギルドへ戻った。
昼を少し過ぎた建物の中は、朝とは違う疲れた熱気で満ちていた。依頼を終えた者、これから夜までの仕事を拾う者、酒場の席取りを始める者。空気の流れが絶えず、人の声が壁に反射している。
掲示板の一角には、朝にはなかった人だかりができていた。
「新しい札だな」
ミレイが足を止める。
常設の討伐依頼より、一段上の枠。荒れ地の群れ駆除。珍しい依頼ではない。だが、注意書きに目が止まった。
――通常個体より大型の反応あり。単独変異の可能性。連携推奨。
涼花の胸の奥が、少しだけ冷えた。
白い線は見えた。けれど、以前のようにここへ行けばいいと示す形ではない。札の周囲で細い線が何本も重なって、途中で掠れ、先だけが嫌に濃く沈んでいる。
意味は読めない。ただ、踏み込みすぎると良くない、という感じだけが伝わってきた。
ルクトが札を見たまま、小さく言う。
「今のままだと、きつい」
ミレイはうなずいた。
「私もそう見る」
フィアが腕を組む。
「報酬は悪くないんだけどね。こういうのって、受けられるかどうかより、受けたあと崩れないかの方が大事なんだよね」
四人が札を見ていると、さっきの手入れ屋の職人が、用でもあったのかギルドへ顔を出してきた。受付の職員に何か短く言ってから、ついでのようにこちらを見て鼻を鳴らす。
「上の札を見てる顔じゃないな」
ミレイが肩をすくめた。
「分かるか」
「分かる。そういう顔で店から出ていく奴を何人も見てる」
職人は遠慮なく続けた。
「剣の通りが安定してないうちは、背伸びの依頼はやめとけ」
その言葉に、涼花は引っかかった。
「剣の通り……?」
職人は涼花の腰の剣を見た。
「お前さんのだ。最初の頃より、刃の通り方がばらついてる」
涼花は思わず剣の柄に触れた。
それは、自分でも少し気づいていたことだった。最初の頃は、訳も分からないままでも、妙に鋭く通る瞬間があった。白い線が濃く見えたとき、剣がそこへ吸われるみたいに入って、思った以上に相手を押し切れることがあった。
けれど、この街へ来てからの戦いでは、それがない。斬れてはいる。けれど、前みたいな異様な抜け方をしない。
ミレイが涼花の横で口を開いた。
「本人も気にしてた」
職人はうなずく。
「だろうな。急に弱くなったと思ってる顔だ」
涼花は少しだけ言いづらそうに答えた。
「……はい。前はもっと、通せた気がしてて」
職人は剣そのものではなく、涼花の立ち方を見るように言った。
「剣が弱くなったわけじゃない。お前さんが最初に出してたのは、いつでも出せる火力じゃない」
「え」
「噛み合ったときだけ、通りすぎてたんだ。足、腕、間合い、気の入り方。そこに何か別の追い風まで重なって、一時的に刃が深く入ってただけだ。今はそれがない」
フィアが静かに聞く。
「じゃあ、最初の方が強かったってこと?」
「強かったんじゃない。暴れてたんだ」
その一言で、涼花の中に妙な納得が落ちた。
強くなっていたわけではない。たまたま噛み合った瞬間の切れ味を、自分の実力だと思いかけていたのだ。
職人は続ける。
「そういう時期はある。妙に通る、妙に当たる、妙に押せる。だが、それを身体が覚えてないまま追おうとすると、次は空振る。刃も欠ける。足も崩れる」
ミレイが腕を組んだ。
「だから、今は火力を追うより、形を先に入れろってことか」
「そうだ。毎回同じだけ出せる一太刀の方が、たまにだけ強い一太刀より使える」
ルクトがぽつりと言う。
「たまに強いと、間違える」
「そうだ」
職人は珍しく、ルクトの言葉には即座に返した。
「勝てると思う。けど、戦場じゃ一回の思い違いで足りる」
涼花は剣の柄を握ったまま、しばらく動けなかった。
前より弱くなったのではない。前が不安定すぎただけだった。
そう考えると悔しかったが、同時に、どこを直せばいいのかが少し見えた気もした。
受付の職員が人だかりの隙間から声をかけてくる。
「その依頼、受けるなら止めないよ。でも今日は勧めない。ここ数日の報告、群れの崩れ方が普通じゃない。大きいのが一匹いるだけじゃなくて、周りの小型の寄り方まで揃いすぎてる」
フィアが眉をひそめた。
「統率されてるみたいに?」
「そこまでは言わない。でも、嫌な感じはする」
ミレイは札を見たまま、静かに息を吐いた。
「受けない」
涼花はその言葉に少しだけ安心し、それ以上に悔しくなった。
「……うん」
「今日は上を見送る。その代わり、明日の朝稽古を伸ばす。踏み込み、受け、返し。火力はそのあとだ」
フィアが苦笑する。
「楽して稼げる札って、やっぱりないね」
「楽してないのに安い札なら山ほどあるけどな」
ミレイが返すと、フィアは肩を落とした。
それでも空気は、さっきより少しだけ前向きだった。
危ない札を見て、手が届かないと分かった。けれど理由が見えたなら、次にやることも決まる。
ミレイが涼花に向き直る。
「勘で通った一太刀を追うな。毎回出せる形を作る。私がいる間に、そこまでは持っていく」
「十日で?」
「十日しかないからだ」
その返しに、涼花は小さく笑った。
ギルドのざわめきの向こうで、新しい依頼札が木枠に打ちつけられる音がした。街は今日も動いていて、冒険者はその中で金を稼ぎ、装備を直し、受けられる仕事と受けてはいけない仕事を見分けながら生きていく。
新しい街は楽しい。
市場は明るく、通りには人がいて、見たことのない店がいくらでもある。
けれど、その楽しさのすぐ隣に、今の自分たちではまだ届かない高さが立っている。
涼花は掲示板の上位札から目を離し、手元の剣へ視線を落とした。
見える線だけでは足りない。
たまたま通った刃だけでも足りない。
次にあの札を見上げるときは、迷わず手を伸ばせるだけの形を、自分の中に作っていかなければならなかった。
観測窓の向こうでは、涼花たちの姿が少し小さく見えていた。
休憩区画の長机に肘をついたえんちゃんが、表示の変動を見ながら小さく唸る。
「うーん……」
白槻が手元の記録板から目を上げた。
「どうしました」
「いや、火力の山、やっぱり最初の方が派手だったなって」
えんちゃんは観測窓の先にいる涼花へ視線を向けたまま、苦笑いのような顔をした。
「強すぎたから、純粋に出力だけ制御したんだよ。あのままだと本人の形ができる前に、そっちだけ通っちゃってたし」
部長が椅子の背にもたれたまま低く言う。
「判断自体は妥当だ。あの段階の不安定出力を放置する方が危ない」
「分かってるんだけどさ」
えんちゃんは頬杖をついた。
「結果だけ見ると、前より弱くなったって本人に思わせてるわけじゃん。なんかちょっと、悪いことしてる気分になってきたなぁって」
白槻はわずかに目を細めた。
「弱くしたのではなく、暴れていた部分を均しただけです。今の方が本人の積み上げになる」
「理屈はそうなんだけどねえ」
えんちゃんは肩を落とし、それでも表示の先から目を離さなかった。
「でも、ああいうのって、本人はしんどいよね。できてたはずのことが、できなくなったって感じる時期、いちばん嫌だし」
部長が記録欄を閉じる。
「だからこそ、今の街で足場を作らせる。稼ぐ、直す、負けられない依頼を見送る、形を覚える。爆発力ではなく、再現できる強さへ寄せる」
白槻も静かにうなずいた。
「今回はそれで良いと思います。上位依頼に届かない悔しさも、今は必要です」
えんちゃんは短く息を吐いたあと、少しだけ真面目な顔になる。
「……ちゃんと後で返ってくる形にしたいな」
「返りますよ」
白槻が言う。
「制御した分を失わせるつもりはありません。本人が持てる形になった時点で、通るべき火力は、ちゃんと本人のものになります」
その言葉に、えんちゃんはようやく口元を緩めた。
「なら、まあ……今は嫌われ役でもいいか」
観測窓の向こうでは、涼花たちがギルドを出ていくところだった。
上位札にはまだ手が届かない。けれど、届かないまま終わらせるつもりもない。そんな足取りだった。
えんちゃんはその背を見送りながら、小さくつぶやく。
「次は、ちゃんと自分の火力で上がっておいで」
休憩区画の灯りは静かだった。
その静けさの向こうで、表の街は今日も騒がしく動いている。稼ぎ、失敗し、直し、覚えて、少しずつ強くなるための時間が、まだ続いていた。




