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石背猪の討伐と、休憩区画の今後会議

ギルドを出たあと、四人は南門寄りの畑地へ向かった。


セイルの南側は、賑やかな通りを抜けると意外なほど早く耕作地へつながっていた。荷車の通る幅広い道の脇に、水路、低い石垣、小さな納屋、半ば荒れた畑が続く。街のざわめきは背中に残っているのに、正面には土と草の匂いが広がる。


歩きながら、フィアが言った。


「こういう依頼、ほんとに普通だねえ。影も継目も関係なし、猪二頭」


「その猪二頭にやられたら笑えないけどな」とミレイが返す。


涼花は剣の柄に手を置いたまま、周囲へ意識を向けてみた。


白い表示は出ない。

いや、正確には、うっすらしたざらつきだけがある。


視界の端に、かすれた文字が一瞬だけ浮かんでは消えた。


生体反応:複数

詳細補助:低


「……あまり出ませんね」と涼花が言う。


「そういうもんだよ」とフィアが前を見たまま言う。「普通の相手には、あれは親切じゃない」


「親切じゃない、か」と涼花が苦笑する。


「むしろ普通の相手のほうが、ちゃんと自分で見なきゃいけないってことだ」とミレイが言った。


放棄畑は、水路を越えた先にあった。


地面はところどころ掘り返され、若い苗の名残が踏み荒らされている。納屋の扉には泥がはね、柱の根元には擦れた跡。猪の仕業だとひと目で分かる荒れ方だった。


ルクトがしゃがみ込み、土を見た。


「新しい」


「どっちだ」とミレイが問う。


「奥」とルクトは指をさす。「二頭はいる。たぶん、もう一つ大きいのが近い」


フィアが「やっぱり二頭だけじゃなさそうだねえ」と言って、杖を持ち直す。


ミレイは短く指示を出した。


「涼花は正面を受けるな。まず横へずらせ。フィアは足を取る。ルクトは位置取りを見ろ。俺が最初の受けをやる」


「はい」と涼花は返す。


その返事の直後、草の奥が大きく揺れた。


飛び出してきたのは、本当に石背猪だった。


背中に石の板みたいな硬い隆起を持ち、鼻先は太く、目は小さい。猪というより、土塊が四本脚で走ってくるみたいな重さがある。


「一頭目、左!」とミレイが叫ぶ。


涼花は反射で踏み出しかけて、次の瞬間、動きが遅れた。


線が見えるかもしれない、と一瞬待ってしまったからだ。


その隙を、石背猪は待ってくれない。


低い突進が目の前まで来て、涼花は慌てて横へ跳ぶ。だが避けきれず、肩口を硬い頭でかすめられた。


「涼花!」とフィアが叫ぶ。


ミレイの剣が横から入り、石背猪の鼻先を叩くように逸らす。突進の軌道がずれ、土をえぐって猪が横へ滑った。


「考えるな、まず動け!」とミレイが飛ばす。


「……はい!」


涼花は頬が熱くなるのを感じながら剣を抜いた。


二頭目が納屋の陰から出てくる。今度は待たない。正面ではなく、斜めへ回り込む。ミレイが一頭目を引きつけ、フィアの淡い光が二頭目の足元でわずかに土を緩ませる。


「そこで止まる!」とフィア。


ほんの一瞬、猪の前脚が沈んだ。


涼花はそこへ踏み込み、肩ではなく首の付け根を狙って剣を振るう。だが浅い。石背猪は甲高く鳴いて身をひねり、逆にその勢いで後脚が涼花の膝を払った。


ぐらりと体勢が崩れる。


「下がれ!」とミレイ。


次の瞬間、ルクトがどこからか投げた石が猪の耳根を打った。ほんのわずかなずれ。だが、その一瞬で、涼花の胴へ来るはずだった突き上げが外れた。


フィアの光が重なり、ミレイが一頭目を切り上げる。


涼花は歯を食いしばって立ち直った。


見えていなくても、切る場所はある。

読めなくても、足を置く場所はある。

そう思って今度は迷わず踏み込む。


剣を短く持ち直し、猪の頭が上がった瞬間、その喉下へ刃を差し込んだ。


血が跳ねる。

石背猪が重く鳴き、前脚を折って崩れた。


息をつく暇もなく、一頭目が向きを変える。


だがそちらは、すでにミレイが深く傷を入れていた。フィアが足元を乱し、涼花が横から加わる。最後は三人が噛み合って、ようやく仕留めきった。


二頭が地に伏したあと、畑には急に静けさが戻った。


風が吹く。

土の匂い。

汗の匂い。

血の匂い。


涼花は剣を下ろしたまま、その場で息を整えた。


「……勝った」


「ぎりぎりねえ」とフィアが言う。


ミレイはもっと遠慮がなかった。


「勝った、じゃない。危なかった」


その一言に、涼花は返す言葉がない。


実際そうだった。最初の一手で待った。線に頼ろうとして、体が止まった。普通の相手に、それは致命的だ。


ルクトは倒れた猪を見たあと、畑のさらに奥を見ていた。


「終わってない」


短い声だった。


全員の空気がまた変わる。


「まだいるの?」とフィアが聞く。


ルクトはうなずく。


「大きいのが奥にいる。来てないだけ」


ミレイが地面へ視線を落とした。二頭分より深い掘り跡がある。草が倒れた範囲も広い。畑の向こう、低い林に近い場所には、太い木の皮が高い位置まで削られていた。


涼花もそこを見て、背筋が冷えた。


石背猪二頭より、明らかに重い何かがいる。


視界の隅に、白い文字がようやく出た。


反応:大型

詳細不明

推奨:接敵回避


「……回避って出てます」と涼花が言う。


ミレイは即答した。


「なら回避だ。出ていなくても同じ判断をする」


フィアが杖を握り直したまま、小さく言う。


「たぶん、あれは今の私たちだと削り切れない」


ルクトも林の奥を見たまま、ぽつりと言った。


「突っこんだら、誰かが折れる」


その言い方が妙に現実的で、涼花は何も言えなかった。


悔しさはある。

でも、勝てない気配というものは確かにあった。

さっきの二頭ですら、ぎりぎりだったのだ。


「撤収する」とミレイが決める。「二頭の駆除は達成。大型個体の痕跡あり、として持ち帰る」


「報酬、減りますかね」と涼花が聞く。


「減るだろうな」とミレイはあっさり言った。「だが、死ぬより安い」


それはその通りだった。


戻り道、四人の足取りは来るときより静かだった。


ギルドへ戻って完了報告を出す。石背猪二頭の駆除は認められたが、大型個体の存在によって案件は上位へ回されることになり、報酬は満額ではなかった。それでも銀貨は受け取れた。完全な空振りではない。だが、外套の補修と剣の手入れ、昼の食事と宿代を考えると、安心できる額ではとてもない。


フィアが受け取った銀貨を見て、唇を尖らせる。


「うーん。生きるって高い」


「だから働くんだ」とミレイが言う。


ギルドを出て、四人は市場の端の広場へ出た。ちょうど昼へ向かう時間で、人通りは朝よりさらに増えている。楽器を鳴らす者、果物を売る女、魚籠を担いで走る少年。新しい街は、見ているだけなら本当に楽しい。


フィアは串焼きの煙を見て、あからさまに足を止めた。


「ねえ、一本だけだめ?」


ミレイが即答する。


「だめとは言わん。値段次第だ」


「そこで止めるのがミレイさんらしいねえ」


涼花はそのやり取りを見て、ようやく少し笑えた。


街は楽しい。

でも、楽しいだけではここにいられない。


串焼きを一本だけ分けて食べながら、涼花はぼんやり通りを眺めた。上等な装備をした冒険者らしい一団が、広場を横切っていく。背負っている槍も、腰の剣も、革の質も違う。年齢だけではない、積んできた場数の厚みみたいなものがある。


「……私、待ちました」と涼花が言った。


フィアが串を止める。


「最初の突進のとき?」


涼花はうなずく。


「見えるかもしれないって、一瞬待ってしまった。普通の相手なのに。あれ、完全に悪い癖です」


ミレイは否定しなかった。


「悪い癖だな」


はっきり言われると、逆にすとんと落ちる。


「じゃあ、どうすればいいですか」と涼花は聞いた。


ミレイは少し考え、それから市場の喧騒の中で、妙に静かな声で言った。


「見えることを捨てる必要はない。だが、見えなかった時でも崩れない体と足を先に作れ」


「足……」


「線が出ない相手は山ほどいる。出ても当てにならん時もある。だったら、見えなくても斬れる位置取りと、避けられる足運びを覚えるしかない」


フィアも串を食べ終えてから続けた。


「観測ってね、答えじゃないんだよ。見えたから勝てるんじゃなくて、見えたものをどう使うかでやっと少し有利になるだけ。そこ、たぶん今の涼花ちゃんにはまだ混ざってる」


痛いところばかりだ。

でも、その通りだった。


ルクトが広場の向こうを見ながら、ぽつりと言う。


「朝なら、裏の空き地が空いてる」


「何の話だ」とミレイが聞く。


「鍛えるなら」とルクトは言った。「人が少なくて、足場が平ら。壁もある」


フィアが笑った。


「またそうやって、ちょうどいい場所だけは当てるんだから」


ミレイは少しだけ口元をゆるめたあと、涼花を見た。


「聞いたな。明日から朝は鍛える」


「……はい」


「通常依頼も続ける。稼がないと飯が消える。だが、ただ稼ぐだけでは次で折れる。だから働きながら鍛える」


涼花は深く息を吸った。


新しい街は面白い。

見たいものも食べたいものもある。

でも、その街を楽しむためにも、まずは立っていられるだけの力がいる。


白い表示は、もう出ていなかった。

代わりに、膝へ残る鈍い痛みと、肩口の擦れた感覚が、今日の現実を教えている。


「わかりました」と涼花ははっきり言った。「次は、待たないようにします。見えなくても動けるように、鍛えます」


フィアがにっと笑う。


「いいね。じゃあご褒美に、安い甘いパンくらいは探そうか」


「それも値段次第だ」とミレイ。


「またそれ!」


笑い声が、昼の広場のざわめきに混ざる。




一方そのころ、観測窓の外側にある休憩区画では、えんちゃんたちがようやく席についていた。


そこはセイルの酒場ではない。

木目に似せた卓と、やわらかな灯り、壁際の簡素な棚。人の世界の食堂を模した落ち着いた造りではあるが、窓の向こうに広がっているのは街ではなく、幾重にも重なった観測板と記録の光だった。


区画中央の卓には、休憩用に出された飲み物と軽いつまみが並んでいる。酒に似せた色の液体もあるが、酔うためのものではなく、長時間の観測後に神経をゆるめるための調整飲料だ。


えんちゃんは杯を持ち上げて、ふうと息を吐いた。


「……ひとまず、ここまでの生還祝いでいい?」


白槻が呆れたように言う。


「祝いというより、区切りですね」


部長は渋い顔のまま椅子へ深く座った。


「浮かれすぎるな。北側が片付いたわけではない」


「分かってますって」とえんちゃんが笑う。「だから大勝利じゃなくて一旦ここまでの乾杯です」


「言い換えても軽い」と部長。


それでも杯は受け取る。三人のあいだに、ようやく張りつめたものとは別の空気が流れた。


えんちゃんが卓へ肘をつきながら言う。


「でも、正直よかったですよ。ずっと支局の内側だけ追ってたら、話が細くなりすぎるところでした」


「話が細い、とは」と白槻が聞く。


「北側、扉、節点、札、影、接点。もちろん大事なんだけど、そればっかりだと世界が支局の中だけになっちゃうんですよ」とえんちゃんは言う。「せっかくセイルって街まで来たのに」


部長が低くうなずく。


「そこは同意だ。視野が狭くなる」


白槻も杯を置きながら続ける。


「涼花たちを街へ出したのは正解ですね。市場、食費、宿代、依頼。そういう現実が入ると、剣も影も相対化できます」


「しかもギルドも出せたしね」とえんちゃんが言った。「大事ですよ、ギルド。冒険者ものらしい骨組みっていうか、見物者が『あ、ここで暮らしていくんだな』って掴めるやつ」


部長が飲み物を一口だけ口にして言う。


「で、今後はどうする」


えんちゃんは少しだけ真面目な顔になった。


「加速させます。大きな謎は切らない。でも前に出しすぎない。前面に置くのは、生活と依頼と失敗です」


白槻が整理するように続ける。


「具体的には、通常依頼を複数回こなす。その中で、涼花の見える線が万能ではないことを確定させる。普通の敵相手に遅れる、技量が足りない、連携が必要。その積み上げから修行へ移る、ですね」


「はい」とえんちゃんがうなずく。「今のままだと、見える線がちょっと物語の誘導に寄りすぎてるんです。だから、あえて普通の石背猪で痛い目を見せる。そこから勝てないを入れる」


部長が低く言った。


「ようやく主人公を苦しめる気になったか」


「言い方!」とえんちゃんが笑う。「でもまあ、そうです。強くする前に、足りなさをちゃんと出したい。異常相手に反応できるのと、普通に戦って勝てるのは別ですから」


白槻が静かに補足する。


「影の話も切るわけではありません。ただし、しばらくは生活に割り込んでくる不穏として置くのがよいでしょう。中心を修行と街の暮らしに寄せる」


「それなら街も生きる」と部長は言った。「市場、宿、ギルド、鍛冶屋、依頼板。そういうものがあって初めて、大きな異常が壊しに来る意味も出る」


えんちゃんは杯を軽く振る。


「ですよねえ。だから次は朝稽古ですよ。働きながら鍛える。金はぎりぎり。街は楽しい。でも実力は足りない。そこへ、たまに影の気配が戻る」


「妥当です」と白槻が言う。


部長は少しだけ目を細めた。


「ただし、緩めすぎるな」


「分かってます」とえんちゃんは答えた。「楽しませるけど、安心はさせすぎない。大型個体の気配とか、支局側の再照合とか、そういうのはちゃんと残す」


白槻が小さく笑う。


「休憩の席にしては、ずいぶん真面目ですね」


「打ち上げ兼、次の会議だし」とえんちゃんが言う。「一旦ここまでの生還祝いと、次からどう面白くするかの相談」


部長が低く言った。


「なら結論だけ覚えておけ。街を生かせ。主人公を楽に勝たせるな。だが、折りすぎるな」


「はい」とえんちゃんは笑って杯を上げた。「そのへんの加減は、わりと得意です」


「信用しきれん」と部長は言う。


「そこは白槻が止めますから」と白槻。


三人の小さな杯が、軽く触れ合う。


観測板の向こうでは、セイルの市場が昼へ向かって動いている。

支局では、まだ朝の記録照合が続いている。

ギルドでは、新しい依頼札が打たれていく。

そして休憩区画では、次の流れが静かに決まりはじめている。


涼花たちはまだ知らない。


この街で稼ぎ、鍛え、普通の依頼に汗を流す時間そのものが、次に来る勝てない相手へ向けた助走になっていくことを。


それでも今は、それでいい。


まずは働く。

まずは食う。

まずは普通に勝てるようになる。


セイルという街は、その全部をちゃんと要求してくる街だった。

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