表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/60

北側通路の侵入者と、支局内の初迎撃

仮部屋の空気が、ふっと冷えた気がした。


涼花が顔を上げるより先に、ルクトが立ち上がっていた。寝台の脇にいた彼は、扉ではなく、北側の壁の向こうを見透かすように目を細めている。


「来る」


短くそう言ったのは、ルクトだった。


フィアがすぐに息を止めるようにして耳を澄ます。ミレイは反射的に扉のそばへ寄り、腰の剣に手をかけた。


「外じゃないの?」とフィアが小声で問う。


ルクトは首を横に振った。


「もう中だ。北側通路。足音が、合ってない」


その言い方に、涼花はぞくりとした。足音が合っていない、というのがどういう意味か、すぐには分からない。けれど、これまでの街道での経験が、ルクトのそういう言葉を軽く扱ってはいけないと教えていた。


次の瞬間、扉の外から駆ける音がした。


「北側通路、異常反応! 灯りが一瞬落ちた、気をつけろ!」


兵の声が廊下に響く。


ミレイは扉を半分だけ開け、外へ鋭く問い返した。


「何人だ!」


「まだ不明です! 見張りがひとり倒れて、もうひとりが応戦中!」


報告を聞いた途端、フィアの表情が変わった。軽い調子の抜けた、観測者の顔だった。


「涼花ちゃん、さっき窓の外を走った影と、流れが似てる。光が薄く引きずられてる」


言いながら、フィアは杖の先を軽く床へ当てる。淡い光が輪になって広がり、部屋の床板の継ぎ目をなぞるように走った。


そのとき、涼花の青い剣がわずかに震えた。


白い文字が、視界の端に浮かぶ。


北側通路

 反応種別:継目由来・侵入

 視認補助:限定起動

 推奨:迎撃位置の固定

 注意:対象の輪郭不安定


涼花は思わず剣の柄を握り直した。


「……また、あの白い表示」


つぶやくと、ミレイが振り返る。


「何が出ている?」


「北側通路で侵入反応。輪郭不安定って。迎撃位置を固定しろって出てる」


ミレイは即座に判断した。


「なら、部屋で待つのは逆に危ない。扉の前で詰まれば押し込まれる。動くなら今だ」


フィアがうなずく。


「通路の幅を使ったほうがいいね。広いところで影に走られると、見失いやすい」


ルクトはすでに扉の外を見ていた。理由を言葉にするより先に、そうすべきだと確信しているような、いつもの顔だった。


「右じゃなくて左。階段前に寄るな。北通路の曲がり角、その手前で止める」


「根拠は?」とミレイが問う。


「……分からない。でも、そこだと切られる」


それだけ言って、ルクトは一歩外に出た。


その断言に、涼花は一瞬だけ目を見張る。けれど不思議と反論する気にはならなかった。根拠がないのに、外したことがない。そういう導かれ方を、この少年は何度もしてきた。


「行こう」と涼花は言った。


ミレイが短く「ついてこい」と命じる。


四人が部屋を出ると、支局の二階廊下は先ほどまでの静けさを失っていた。北側から怒号が飛び、兵たちが慌ただしく位置を変えている。壁にかかった灯りのひとつが弱く明滅し、その下の床には倒れた槍が一本転がっていた。


「北側封鎖! 記録室に近づけるな!」


階下からも別の声が上がる。


通路の先、曲がり角の向こうで、金属が打ち合う甲高い音が響いた。


ミレイは前に出ながら、兵へ声を飛ばした。


「倒れた見張りは!」


「息はあります! ただ、斬られたというより、吹き飛ばされたみたいで――」


報告は、そこで途切れた。


黒いものが、曲がり角の壁を這うように現れたからだ。


人の形に見える。だが、人とは思えないほど薄い。黒い外套の裾のようなものを引きずっているのに、床板に重みがない。灯りの下を通るたび、輪郭がずれ、肩の位置と影の位置が噛み合わなかった。


フィアが息をのむ。


「やっぱり、影だけじゃない。中に芯がある」


侵入者は顔を見せない。頭を覆う暗布の奥は空洞のように暗く、ただ二つ、鈍い灰色の光だけが揺れていた。


先に動いたのは兵だった。


「止まれ!」


槍が突き出される。


だが、その穂先は侵入者の肩をすり抜けたように見えた次の瞬間、逆に槍の柄ごと弾かれた。兵が壁に叩きつけられ、乾いたうめき声を上げる。


「物理が抜ける!」とフィアが叫ぶ。


「完全には抜けない!」と続けたのはルクトだった。「ぶれる瞬間がある!」


涼花の剣がまた震える。


白い補助表示が、今度は少しだけ具体的に変わった。


対象輪郭:不安定

 固定条件候補:発光干渉/進路制限/同時圧力

 単独追撃:非推奨


単独追撃は非推奨。


その文言を見たとき、涼花は逆に落ち着いた。ひとりで全部やれという表示ではない。やるなら、みんなで噛み合わせろということだ。


「フィア、光で止められる?」と涼花が聞く。


フィアはすぐにうなずく。


「完全には無理。でも、輪郭を濃くするくらいならできる」


「ルクトは動き見て」


「見る。たぶん、次は右へ逃げない。階段の下を狙う」


ミレイが短く命じた。


「なら、涼花は正面。フィアが輪郭を止める。ルクトは進路を読む。私は兵を立て直して横から押す。最初の一撃で流れを切るぞ」


「はい」と涼花が返す。


その一声と同時に、侵入者が滑るように前へ出た。


速い。走るというより、距離が縮む。瞬きの間に間合いへ入られ、涼花は反射で青い剣を抜いた。青白い光が通路の壁を撫で、侵入者の灰色の目が初めてはっきりとこちらを向く。


「淡灯標、二重!」


フィアの声が飛ぶ。


杖から弾けた二つの光輪が、侵入者の前後で交差した。空気に薄い膜が張るような感覚。黒い輪郭が一瞬だけ重くなり、その足が床板へ沈んだ。


「今!」とフィアが叫ぶ。


涼花は踏み込んだ。


青い剣の軌跡が、白くぶれた輪郭を斜めに切る。手応えは軽い。布を裂いたような、霧を押し分けたような、曖昧な感触だった。だが確かに、侵入者の胴が半歩ぶれた。


その瞬間を、ルクトは見逃さなかった。


「左肩、そこがずれてる!」


叫ぶと同時に、ルクト自身は真正面には出ず、通路脇の柱を蹴って位置を変える。侵入者が逃げる先に先回りするような、不思議な動きだった。


ミレイが横から切り込む。


「逃がすな!」


鋭い横薙ぎが、侵入者の左腕に当たった。今度は確かな音がした。金属を打つような、固い響き。黒布の下から火花が飛び、侵入者が初めて大きく体勢を崩す。


「芯がある!」とミレイが言う。


フィアがその言葉を継いだ。


「たぶん継目で包んでるだけ! 中身は別!」


侵入者は崩れながらも、すぐには倒れなかった。灰色の目がぎらりと揺れ、黒い袖の内側から細い刃のようなものが伸びる。それが灯りを裂き、通路の明かりが一段暗くなった。


白い補助表示が乱れ、文字が欠けた。


視認低下

 補助――

 警告:――


「見えづらい……!」


涼花が顔をしかめる。


表示が消えかける。便利なはずの補助が、相手に乱されるだけで途端に不安定になる。それでも、完全には消えない。薄く、かすれながらも、一本の線だけが残った。


侵入者の次の進路を示すような、細い白線だった。


ルクトがその線を見たわけではないはずなのに、同じ方向を指さす。


「下がるな! そっちは囮だ、こっちへ抜ける!」


涼花は迷わなかった。


白線とルクトの声、その両方が重なった先へ、半歩だけ踏み換える。直後、侵入者の黒い刃が、本来彼女の脇腹を裂くはずだった位置を空振った。


すれ違いざま、涼花は剣を返して斬り上げる。


青い光が、黒い外套の裾を持ち上げた。


そこで初めて、侵入者の下半身が見えた。


「……人形?」


涼花の口から思わず漏れる。


足首の動きが、人間の筋肉ではない。細い骨組みに黒布を巻いたような、不自然な関節。けれど上半身には生身の重さもある。まるで、何かを途中まで人に似せ、途中から別の仕組みで繋ぎ直したみたいだった。


フィアが青ざめる。


「継いでる。これ、ひとつのものじゃない……!」


その言葉に、侵入者の灰色の目がぴくりと揺れた。


聞かれたくない核心を突かれたような、そんな反応だった。


ミレイは即座に兵へ叫ぶ。


「距離を取れ! 刺すな、逃げ道を削れ!」


支局兵が二人、通路の左右へ広がる。槍で仕留めるのではなく、進路を潰すための動きだった。狭い通路の幅が、ここで初めて味方した。


ルクトが低く言う。


「止まる場所がある。あいつ、自分で揺れを直してる」


「どこ?」と涼花が問う。


「灯りの真下。明るいとこだけ、ずれが少ない」


言われて見れば確かにそうだった。侵入者は暗がりを好んでいるようでいて、完全な闇には入らない。灯りと影の境目、その曖昧な場所ばかりを使って動いている。


フィアも気づいたらしい。


「じゃあ逆に、明るくしすぎればいい」


杖が高く掲げられる。


「淡灯障壁、前倒し展開!」


柔らかな光ではない。今度の光は、押し広げるための光だった。北側通路いっぱいに、白金色の膜が走る。壁も床も天井も一気に照らされ、影の逃げ場がなくなる。


侵入者の動きが、目に見えて鈍った。


「今度こそ!」


涼花が踏み込む。


青い剣が、正面から侵入者の胸元へ入る。手応えは、さっきより重かった。硬い何かを断った感覚。黒布が裂け、その内側から銀色の線が見えた。認証片に走っていたものと似た、細い刻線だった。


侵入者が甲高い音を立てる。声ではなく、継ぎ目がきしむような音だった。


ミレイの剣が続く。横からの一撃が足を払う。


最後に、ルクトが壁際へ落ちた短槍を拾い、侵入者の逃げ先の床へ突き立てた。刺すためではない。進路を切るための一手だった。


「そこまでだ」


ルクトの声は静かだった。


侵入者は一度だけ身を起こしかけたが、フィアの光膜に押し戻される。涼花は呼吸を整えながら剣先を向けたまま、相手の動きを見続けた。


白い補助表示が、ゆっくりと整っていく。


対象固定:一時成功

 継目干渉:中

 推奨:即時確保

 警告:自壊の可能性あり


「自壊?」と涼花が読み上げる。


「下がって!」とフィアがすぐに叫んだ。


全員が半歩引いた、その瞬間だった。


侵入者の胸元に見えていた銀色の刻線が、内側から赤く明滅する。黒布の縫い目が勝手にほどけるように広がり、中の骨組みがばきばきと音を立てた。


「まずい、壊して証拠を消す気だ!」とミレイが言う。


涼花は咄嗟に剣を差し出した。何ができるか分からないまま、ただ青い光を刻線へ重ねるように向ける。


すると、剣先から薄い光が糸のように伸び、ばらけかけた銀線の一部を仮止めするように繋いだ。


完全には止まらない。けれど、崩壊の速さがわずかに落ちる。


白い文字がかすれながら浮かんだ。


暫定固定

 保持時間:短

 負荷上昇中


「長くはもたない!」と涼花が言う。


「短くていい、見えるものだけ拾う!」とミレイが返す。


兵が素早く布を押さえ、サナも駆けつけた。記録官である彼女は、呼吸ひとつ乱さず侵入者の胸元を覗き込む。


「銀線刻印、あり。継目加工、複合式。……これは支局外の手仕事じゃない」


サナの声音が、ほんの少しだけ低くなる。


「どういうことですか」と涼花が聞く。


サナは顔を上げずに答えた。


「少なくとも、ただの盗賊や街道荒らしが即席で用意できるものではない、という意味です。誰かが構造を知っている」


その言葉と同時に、侵入者の灰色の目が完全に消えた。


黒布が力なく崩れ、内側の骨組みも半ばから砕ける。床に残ったのは、人ひとり分の形をした残骸ではなく、継ぎ合わせられた断片の山だった。


沈黙が落ちる。


最初に口を開いたのは、フィアだった。


「……生き物じゃ、なかったのかも」


「いや」とルクトが低く言う。「最初は、生きてた気がする」


その一言に、廊下の空気がまた少しだけ冷えた。


サナが静かに立ち上がる。


「北側通路を完全封鎖します。記録室、保管庫、伝声管の確認を急ぎます。侵入目的が偵察か、奪取か、まだ分からない」


ミレイは剣を収めずに問い返した。


「次も来ると思うか」


サナは即答した。


「来ます。しかも、今度はもっと噛み合った形で」


兵たちが緊張した面持ちで動き出す。倒れていた見張りも運ばれていく。壁の灯りはまだ少し揺れていたが、通路の混乱そのものは、ようやく収まりつつあった。


涼花は剣を下ろし、深く息をつく。肩が遅れて震えた。勝ったという実感より先に、支局の中ですら安全ではないという現実が押し寄せてくる。


そんな彼女の横で、フィアが小さく笑った。


「でも、ちゃんと噛み合ったね。さっきの」


「うん」と涼花も答える。「ひとりじゃ止められなかった」


ルクトは通路の先を見たまま、ぽつりと言った。


「まだ終わってない。今日はたぶん、ここからが本番だ」


「また、そういう言い方」とフィアが苦笑する。


ルクト自身も、なぜそう思うのかを説明できない顔をしていた。ただ、そう考えるしかない何かに押されているようだった。


サナがそれを聞きとめ、涼花たちへ向き直る。


「仮部屋は移します。北側から離れた部屋へ。ただし、完全保護ではありません」


「分かってます」と涼花が答えた。


「青い剣の反応、フィアさんの観測、ルクト君の先読み。どれも今回の迎撃で有効でした」とサナは言う。「ですが同時に、補助表示も感知も、相手に乱されると穴ができる。そこは忘れないでください」


涼花は、さっき乱れた白い文字を思い出す。


便利でも、万能ではない。見えたから勝てるわけではなく、見えなくなった瞬間にどう繋ぐかが問われる。


「はい」と彼女ははっきり答えた。


そのとき、視界の隅にもう一度だけ白い文字が浮かんだ。


初迎撃:完了

安全圏:未成立

次段階:侵入経路の確認/第二波警戒


完了、と出ているのに、安全圏は未成立。


それが今の状況を、ひどく正確に言い当てている気がした。


通路の先では、まだ誰かが走っている。支局の夜は、静まりきるにはほど遠い。


涼花は青い剣を握り直し、北側通路に残る冷たい気配を見つめた。


倒したはずなのに、終わった感じがしない。


黒い外套の向こうで、こちらの様子を測っているものが、まだ別にいる。


そんなざわめきが、都市の夜の底で、確かに息を潜めていた

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ