支局の事情聴取と、都市のざわめき
事情聴取室は、思っていたより簡素だった。
大きな机が一つ。椅子が四つ。壁に街道図。窓は高い位置にあり、外の喧騒は少しだけ遠い。尋問のための部屋というより、余計なものを置かずに記録だけを取るための部屋、という印象だった。
サナが机の向こうへ座り、紙束を整える。
ミレイは扉のそばへ立ったまま。兵としての立場を崩さないつもりらしい。
「では、順に確認します」
サナが筆を取った。
「トーヴェからセイルまでの間に発生した襲撃、継目由来影の出現、認証片の輸送妨害、黒外套らしき人物の関与。この四点が主な聴取対象です。まず、襲撃地点は」
そこで、話は細かく分かれていった。
どこで止められたか。
最初に誰が動いたか。
賊は何人いたか。
どの時点で人間ではない影が出たか。
サナは途中で一度も手を止めず、淡々と書き取っていく。
フィアは必要なところだけ補い、ルクトは余計な感想を入れずに配置や動きを説明し、涼花は自分が見たものと感じたものをできるだけ正確に言葉にした。
「補助表示について、もう一度確認します」 サナが顔を上げる。 「文字が見えたとのことですが、毎回同じ形式ですか」
「似てるけど、一定じゃない」 涼花は少し考えて答えた。 「人間相手だと分かりやすい。危険度とか、位置とか。でも、継目の影みたいな不安定なやつになると、乱れたり遅れたりする」
「表示遅延の自覚あり」 サナが書く。 「視認による判断補助は有効。ただし、継目由来対象には過信不可」
「そんな感じ」 涼花がうなずく。
サナはそこで初めて、少しだけ表情を変えた。
「有益です」 サナははっきり言う。 「こちらでも継目異常の報告は集めていますが、それがどう見えるかについては個人差が大きい。保持者本人が、何が見えて、どこで信用しきれなかったかを言葉にできるのは大きいです」
褒められたのか、単に情報価値が高いと言われたのか、少し分からない。
でも、悪い気はしなかった。
そのときだった。
ルクトがふいに窓のほうを見た。
「窓、閉めろ」
ルクトの声は短く、はっきりしていた。
サナが筆を止める。
「理由は」 サナが問う。
「聞かれてる気がする」 ルクトは窓を見たまま答えた。 「風じゃない音が混じってる」
ミレイがすぐ動いた。
窓の下へ寄り、外を一度だけ確認してから、ためらいなく閉める。
外廊下を歩く足音が一つ。
そして少し遅れて、窓の外側の壁から小さな擦れる音がした。
サナの目が細くなる。
「……面白いですね」 サナが言う。 「いまのは勘ですか」
「たぶん」 ルクトは答えた。 「でも、こういうのは外すより先に閉めたほうがいい」
「合理的です」 サナがあっさりうなずく。
涼花はその横顔を見ながら、少しだけ変な気分になった。
さっきの中央路を避けたときもそうだ。
ルクトはいつも、考えて動いているようでいて、ときどき考える前に決めているみたいな瞬間がある。
本人は勘だと言う。
でも、その勘にしては、少しだけ当たりすぎていた。
フィアも同じことを感じたのか、ルクトを見て小さく首をかしげていた。
同じころ、えんちゃんたちの側でも、セイル支局の聴取室が映し出されていた。
「……ルクトくん、また早かったなあ」 えんちゃんがモニターを見ながらつぶやく。 「窓のとことか、ふつう気づくタイミングじゃなくないです?」
白槻はログを流しながら答えた。
「危険反応への先行率が高いのは事実です」 白槻は数字を見せるように言う。 「街道襲撃前、中央路の回避、聴取室の窓。連続すると偶然では片づけづらい」
「ですよねえ」 えんちゃんは腕を組んだ。 「でも、本人の動き方は自然なんだよなあ。知ってるふうでもなく、知らないふうでもなく」
「確信だけ先にあるタイプの挙動です」 白槻が言う。 「理由の説明が後からついてくる」
「それ、本人がいちばん困るやつでは」 「ええ」 白槻は平然とうなずく。 「ですが、現場では強い」
えんちゃんは少しだけ黙ってから、モニターの中のルクトを見る。
「……味方でよかった」
「今のところは」 白槻が淡々と返す。
「白槻さん、その今のところやめません?」 えんちゃんがしかめ面で言う。
「事実確認です」 白槻はいつもどおりだった。
とはいえ、えんちゃん自身も分かっていた。
セイルへ入ったことで、状況は一段階変わった。
街道での偶発的な危機ではない。都市の中で、記録と管理と人の目のなかに、この件が入ったのだ。
そのぶん安全になる。
そのぶん、敵も混ざりやすくなる。
「都市って、やっぱり厄介だなあ」 えんちゃんが言うと、白槻が静かに返した。
「だから面白くもなるんです」
「その言い方、いまはちょっとだけ腹立つな……」 えんちゃんは小さくため息をついた。
事情聴取が一段落したころ、支局の外のざわめきはさらに大きくなっていた。
窓を閉めていても分かる。
通りを走る足音。遠くで鳴る鐘。誰かが強く命令する声。
サナが最後の数行を書き終え、筆を置く。
「ひとまず、一次聴取はここまでです」 サナが紙を整えながら言う。 「内容の整合は取れています。むしろ、捕縛者側の話と一致しすぎていて嫌なくらいです」
「嫌なくらい、って?」 涼花が聞く。
サナは書類を重ねたまま答えた。
「敵が筋道を持って動いている証拠だからです」 サナの声は淡々としていた。 「行き当たりばったりの賊なら、話はもっと散ります。ですが今回は、認証片、青い剣、継目由来影の三点が、別々ではなく一つの目的で動いている」
その言葉は、分かっていたことを改めて言い直しただけなのに、妙に重かった。
涼花は膝の上で手を握る。
やっぱり、自分はただ巻きこまれただけの通りすがりではなくなっている。
そこへ、扉が二回ノックされた。
ミレイが開けると、さっきの検問長が立っていた。
「北列の件、二人は確保した」 検問長は室内へ視線を流す。 「だが逃げた一人はまだ見つからん。支局周辺にも兵を回す。急報案件は一時的に館内保護へ切り替えだ」
「館内保護?」 涼花が聞き返す。
「簡単に言えば、勝手に外へ出すなということだ」 検問長が答えた。 「少なくとも今日はな」
ルクトが壁にもたれたまま口を開く。
「妥当だ」
「反対しないんだ」 涼花が見ると、ルクトはあっさり答えた。
「外が読めない」 ルクトは短く言う。 「それに、今日は中もまだ読みにくい」
その言い方に、涼花はまた少しだけ引っかかった。
読みにくいという言葉が、ただの慎重さ以上の意味を含んでいるように聞こえたからだ。
だが、いま追及する場でもない。
「分かった」 涼花は答えた。 「外へ出ない。その代わり、必要な話はちゃんと聞かせて」
「そのつもりだ」 検問長がうなずく。 「お前たちには、知らないまま座っていてもらうには荷が重くなりすぎた」
それは、妙に率直な言い方だった。
フィアが静かに息を吐く。
「少しだけ、安心しました」 フィアが言う。 「知らないまま保護されるのは、たぶん一番落ち着きません」
「同感です」 ミレイが短く言った。
サナが書類をまとめて立ち上がる。
「では、仮の部屋へ案内します」 サナは少しだけ言葉を選んでから続けた。 「隣室に兵を置きますが、監禁ではありません。ただし、いまは自由に歩かせないという意味では、ほぼ似たようなものです」
「正直で助かる」 涼花が言うと、サナはほんの少しだけ肩の力を抜いた。
「それも記録官の仕事ですので」
案内された部屋は、支局の二階にあった。
寝台が三つ、机が一つ、水差し、簡素な棚。
旅籠より質素だが、休むには十分だ。
窓からはセイルの通りが少しだけ見えた。
人は多い。音も多い。けれど、その多さの下に、何かざらついたものが流れている気がする。
フィアは部屋へ入るなり、ほっとしたように椅子へ座った。
「……すごく、疲れました」 フィアが本音を漏らす。
「それはそう」 涼花も同意する。 「私もようやく足が“止まっていい”って思い始めた」
ルクトは部屋の中を一通り見て、最後に扉の蝶番と窓の位置を確認した。
それから、いちばん壁際の寝台を選ぶ。
「そこでいいの?」 涼花が聞くと、ルクトはうなずいた。
「この位置が落ち着く」 ルクトは短く答える。 「たぶん」
フィアがそのやり取りを見ながら、少しだけ笑う。
「ルクトさんのたぶんは、最近たぶんじゃない気がしてきました」 フィアがそう言うと、ルクトは珍しく、ほんの少しだけ口元をゆるめた。
「困る言い方だな」
涼花はその顔を見て、ふっと気を抜く。
完全に安心したわけじゃない。
でも、少なくとも今は一人ではない。
視界の端に、白い文字が最後に一度だけ浮かんだ。
一時安全圏:限定的に成立
休息推奨
次段階:情報整理と選択
「次段階、ね」 涼花が小さく言う。
セイルへ着いた。
事情聴取も受けた。
急報も通った。
それでも、終わった感じはまるでしない。
むしろ、ここから先のほうが本番だと、街のざわめきそのものが教えてくる。
窓の外では、都市セイルの音が絶えず鳴っていた。
人がいて、物が動いて、情報が飛び、誰かがこちらを探しているかもしれない都市の音だ。
涼花は剣を膝へ置き、その柄に軽く触れる。
「……ほんと、マニュアルないな」
そのつぶやきに、フィアが少しだけ笑った。
「ですが、ようやく目次くらいは見えてきた気がします」 フィアが言う。
その言葉を受けて、ルクトが窓の外を見たまま低く返した。
「目次の次は本文だ」 ルクトは少し間を置いてから続ける。 「たぶん、ここから先が長い」
「うわ、急に嫌なこと言う」 涼花が言うと、ルクトは肩をすくめた。
「事実だろ」
それを否定できないから、余計に困る。
セイル支局の二階。
都市のざわめき。
窓の向こうにいるかもしれない、まだ見えない敵。
涼花は息をひとつ吐いて、静かに前を向いた。
ここから先は、街道の延長じゃない。
都市の中で、人と制度と異常が、同じ場所へ折り重なっていく。
そしてその真ん中に、自分たちはもう立ってしまっている。
そんな実感だけが、静かに、けれどはっきりと胸の中へ沈んでいった。




