清潔は戦力、初陣は実力、違和感はだいたい後から来る
朝いちばんに欲しかったのは、情報よりお湯だった
異世界二日目の朝、目が覚めて最初に思ったことはひとつだった。
お風呂に入りたい。
切実だった。
布団から起き上がって、自分の髪を触る。
昨日一日、森を歩いて、汗をかいて、土埃まみれで働いて、そのまま寝た。
顔は洗った。手も拭いた。できる範囲では整えた。
でもそれは、なんとかしたであって、満足したではない。
「無理……これは無理……」
女子高生として、ここは譲れない。
いくら異世界でも、生活の質には最低限のラインがある。
鏡代わりの金属皿をのぞき込むと、髪が少し広がっていた。
いや、少しじゃない。かなりだ。
湿気と寝癖と疲れが三つ巴で、私の頭上に反乱を起こしている。
「帰りたい」ではなく「シャワー浴びたい」が先に来るあたり、自分でもどうかと思う。
でも、そういう問題じゃないのだ。
清潔でいることは、気持ちに直結する。
気持ちは判断に直結する。
つまりこれは、精神論ではなく実用である。
そう自分に言い聞かせて部屋を出ると、宿の女将さんが朝の支度をしていた。
「おはよう、早いね」
「おはようございます。あの……」
「うん?」
「この町って、お風呂とか……ありますか?」
女将さんは一瞬だけ真顔になり、それから吹き出した。
「ああ、そこかい!」
「そこです」
「昨夜からずっと気にしてた顔だと思ったら」
ばれていたらしい。
ちょっと恥ずかしい。
「共同浴場ならあるよ。朝は湯がぬるいけど、入れないことはないね」
「本当ですか」
「そんなに嬉しそうな顔するかねえ」
する。
とてもする。
ただし、と女将さんは続けた。
「毎日となると金がかかるし、冒険者の中には《洗浄》や《乾燥》の生活魔法を覚える子もいるよ」
「生活魔法」
「火球を飛ばすような派手なもんじゃないけど、暮らすには便利さね。むしろ私はそっちの方が欲しいよ」
その瞬間、私の中で優先順位が決まった。
覚える。生活魔法を、真っ先に。
剣とか魔物とか帰還方法とか、もちろん大事だ。
でもまずは、清潔。
話はそれからだ。
ギルドへ行くと、朝の空気は昨日より少しだけ柔らかかった。
昨日のうちに顔を覚えられたらしく、入口近くの冒険者たちがちらちらこちらを見る。
「森パジャマ」
「もう服あるぞ」
「そりゃいつまでもパジャマじゃないだろ」
聞こえてます。
ただ、悪意のある声ではなかった。
半分は珍獣を見るような目だけど、半分はただの興味だ。
受付には、今日もリディさんがいた。
相変わらず姿勢が綺麗で、書類さばきに無駄がない。
「おはようございます、スズカさん。昨夜は眠れましたか?」
「はい。あの、ひとつ聞きたいんですけど」
「何でしょう」
「生活魔法って、どこで覚えられますか?」
一瞬、リディさんがまばたきをした。
それから、口元に笑みを浮かべる。
「ずいぶん堅実ですね」
「必要だと思ったので」
「何から覚えたいですか?」
「洗浄と、乾燥と、できれば水を出すやつです」
「即物的で素晴らしいです」
なぜか褒められた。
すると後ろから、明るい声が飛んだ。
「生活魔法なら、わたし教えられます!」
振り向くと、小柄な女の子が駆け寄ってきた。
年は私と同じくらいか、一つ下くらい。
ふわふわした蜂蜜色の髪に、大きな緑の瞳。ローブ姿だけど、どこか柔らかい雰囲気がある。
かわいい。
最初に思ったのは、それだった。
彼女は胸を張った。
「わたし、フィア。ギルド付きの見習い術師です。生活魔法と回復補助が専門です!」
「見習いで専門ってすごいね」
「えへへ、そこだけなら自信あります」
ちょっと得意げで、でも嫌味がない。
小動物っぽい可愛さのある子だ。
リディさんが紹介する。
「フィアは魔法学舎に通いながら、午前だけギルドを手伝っているんです。生活魔法の初歩なら、教本よりわかりやすいですよ」
「お願いします」
「任せてください!」
こうして、私の異世界二日目最初の目標は、見事に決まった。
生活魔法の習得。
たぶん、異世界主人公としては優先順位が少し変わっている。
でも私は間違っていないと思っている。




