8.背負うということ
ハナの目の前にはドラゴンがいる……。
(お、大きい……)
ハナはその大きさに圧倒されていた。
転生してから今までは大きな動物を見たことがなかったが、前世の知識からすると象よりもかなり大きいように思えた。
大きな体から伸びた長い首の先にある鋭い魔物の瞳が、ハナを見下ろしていた。
ハナは体が固まって思考だけをめぐらせていると、ドラゴンが突然その翼を広げた。
ドラゴンが突然動いたことでハナは我に返り、咄嗟にルーカスを手に取って剣を抜いて構えた。
(どうすればいいんだろう? 噛みついてくるのか? 爪で攻撃してくるのか? もしかして、ドラゴンブレスを吐いてくるとか? ドラゴンとの戦い方なんて分かんないよ!)
しかし、ドラゴンが襲い掛かってくることはなかった。
ゆっくり翼をたたみ、その場にしゃがんでプルプルと震えている。
(あれ? ……そうか、このドラゴンはさっきの少女なんだ。わたしを見た時に「殺さないで」って言っていたし、もしかして人間をとても恐れているのかも)
剣を腰の鞘に納め、ルーカスは左手に持ったまま、身構えずに普通に真っ直ぐ立って声をかけた。
「ごめんなさい! ちょっと驚いただけで、本当にあなたを殺したりしないから」
ドラゴンはまだ震えている。
(やっぱり、このドラゴンは、さっきの少女なんだ。人間を怖がり、空腹で、よろよろとしか歩けなかった少女。そうか、さっきのドラゴンの動きは……)
「あなた、わたしに翼を見せてくれたんでしょ? ありがとう。あなたが、その翼で飛んで来たのは分かったわ。だから……、もう人間に戻ってくれる?」
ドラゴンはゆっくり立ち上がり再び光に包まれると、今度は小さくなっていき、光が消えるとさっきの少女が立っていた。
が、さっきとは違い、少女は裸だ。
「あなた、服は?」
「ふ、服? 作れなかった? あっ——」
少女はその場にへたり込んでしまった。
収納から安物のマントを取り出して、掛けてあげる。
「ねえ、服はどうしたの? ドラゴンになる前に着ていた服は?」
「に、人間になるときに『服』も考えたら作れたけど、今は作れなかった」
混乱する状況の中で、分かっているのは少女がドラゴンになって、また少女に戻ったということだが——。
(いや、よく考えてみれば、わたしの認識が逆なのか? さっき、わたしは『少女』が『ドラゴン』に変身したと思ったけど、実際には『ドラゴン』が『少女』に変身していたってことだよね。少女に変身するときに、念じれば服も作れたということみたいだけど……)
サーカスから魔物が逃げ出し、ヘムルの町の冒険者が捜索している。
この少女はサーカスから逃げ出してきて、そこでは『ドラゴン』と呼ばれていた。
(人間に変身する魔物……)
ハナは冒険者なって魔物のことについても当然勉強したが、人間に変身する魔物がいるなんて聞いたことがなかった。
(あのサーカスは『人間に変身するドラゴン』を見世物にしていたの? でも、ギルドでは単に魔物が逃げたらしいという話しかなかったけど……)
「ねえ。あなたはいつ人間になれたの?」
「え、えっと、逃げるとき」
「逃げるときに初めて人間になったの?」
「う、うん」
「じゃあ、サーカスの人たちは、人間のあなたを見ていないの?」
少女はうなずいた。
つまり、サーカスの人間はドラゴンが人間の姿になって逃げだしたとは、思っていないということだ。
そして、もしかすると世界で初めての『人間の姿になる魔物』ということになる可能性もある。
(ドラゴンが人間の姿に……。もし、わたしがこの娘をサーカスに引き渡したら、とんでもない騒動になるんだろうな。どこかの研究機関とかに連れていかれて、体中調べられるとか。もしかしたら、いろいろと実験台にされたあげく、切り刻まれたりとかするんだろうか……)
ハナを不安そうに見つめる少女。
「あなたは、これからどうしたいの?」
「わ、わかんない……。でも、檻から出たかった。人間は檻の外にいる。檻の中は嫌い。だから、ずっと人間になりたいと思ってた。そしたら、人間になった」
「檻の外で、人間のように自由に暮らしたいってことか……。そりゃそうだよね。誰だって一生檻の中になんていたくないよね」
ハナはあらためて少女を見つめた。
人間の姿で、人間の言葉を話す。
人間と同じような『感情』まで見せている。
(サーカスには渡せない……。どう考えてもサーカスに引き渡すのはダメだ。わたしがこの娘を守ってあげないと、恐らくこの娘に幸せな未来は訪れないと思う。たとえこの娘が魔物だとしても、人間として知り合った以上は悲しい未来なんて想像したくない。この先どうしたらいいかなんて今はまだ分からないけど、とにかくこの娘を守ろう!)
ハナはルーカスをその場に置き、そっと両手を少女の肩に置き、優しく抱き寄せた。
少女は少し震えている。
「大丈夫。わたしが守ってあげるから、大丈夫よ」
「……」
「あなたは、もうサーカスには帰らないの。これからは、ずっとわたしと一緒にいるのよ。一緒にここから外に出ましょう」
少女はうなずいた。
少し落ち着いた様子だ。
ハナも少し落ち着いたところで、大事なことを思い出した。
(そうだ、お仕事の途中だった!)
少女はまだ立てない様子なので、とりあえずその場に待たせて洞窟の調査を再開することにした。
たいまつの火が消えていたので収納して、ランタンを持って奥の方へと進む。
縦穴の所まで来て見上げると、確かに地上まで続いていて青空が見える。
日光が直接底の方まで届いているわけではないが、光は届いていて草も生えていた。
隅の方には、地下水が染み出したのか水溜りがある。
(あの娘は、この草や水で何とか生きてきたんだろうな。他に食料なんてないし、わたしが来なかったら食べられるものがなくなって危なかったのかもしれない……)
調査を終えたハナは洞窟から出ることにした。
少女は体調不良でまだ立てない。
十分な食料がなかったのだから栄養不足なのは間違いないのだろうが、ドラゴンだということを考えれば魔力不足の可能性もあるだろう。
この森もそうだが、今までも魔素が薄い場所で飼われていたのだろうから。
少女が『服を作れなかった』と言ったのは、魔力不足が原因なのかもしれない。
他にも考えれば考えるほど聞きたいことが増えていくので、とにかくキルコ村に戻って落ち着いたらいろいろ聞くことにした。
「じゃあ、ここから出ましょう。あなたは、おんぶしてあげるから。あ、おんぶって分かる?」
「おんぶ? う~ん、……わかる」
いったんルーカスを収納して籠手にして装備しなおし、少女の前に背を向けてしゃがんだ。
「おんぶ、いいよ。ゆっくり背中に乗ってね」
まさかとは思うが、ドラゴンの重さだったら――。
と思って、ハナは「ゆっくり」と声をかけたのだが、少女がいきなり背中に乗ってきた。
一瞬ドキッとしたハナだったが、押し潰されることはなかった。
少女の今の重さは、おそらく人間と同じぐらいなのだろう。
『ゆっくり』の意味は分からなかったようだが――。
だが、別の問題が発生した。
(ん? 乗ってきたけど、なんか変だぞ?)
少女は両手をハナの肩の上に乗せて、顔がハナの頭の上にある。
「ちょっと違うかな。手を貸して。手はわたしを捕まえるみたいに、こうまわして。頭はこっちかこっちに。足は伸ばさないで曲げて。わたしが足を持つからね」
(まさか、こんな所でおんぶのやり方を手取り足取り教えることになるとは思わなかった。初めてなんだから仕方ないけど。でもまあ、なんとかおんぶになったよ……)
ハナはゆっくりと立ち上がった。
「ドラゴンって、意外と軽いのね……。じゃあ、行くわね」
変身すると体形だけでなく体重も変化しているようだ。
変身すると体重も変化するというのは、どういう原理なのだろうと思いつつも、キルコ村に向かって出発することにした。
帰り道は矢印に従って進めばいいので、地図を見なくても順調に出口までたどり着いた。
扉を開けて外に出ると、日の光が眩しい。
太陽の位置からすると、昼を少し過ぎたぐらいのようだ。
「これからキルコ村っていう人間がいるところに行くけど、そこにはサーカスはいないから大丈夫よ。でも、絶対にドラゴンにはならないでね」
「……う、うん」
「あと、服を着ないといけないから、わたしの服を着せてあげるわね。このマントはしまうから、ちょうだい」
いったん少女を下ろし、洞窟の扉に鍵をかけてマントやランタンを収納する。
ハナは思わず裸になった少女の身体を見つめてしまった。
信じられないことに、どう見ても人間にしか見えなかったのだ。
背中に翼がないのは分っていたが、尻尾らしきものも、鱗もない。
「えっと、ちょっと汚れている所があるから、拭いてあげるわね」
ハナは収納しておいた濡れタオルを取り出して、少女の顔や体を拭いていく。
(うん、とっても可愛い顔だ。とてもドラゴンとは思えないわね……。ただ髪はボサボサだから、キルコ村に戻ったら洗ってあげよう)
少女の肌はドラゴン鱗のように硬いのかもしれないと思ったが、人間と同じようにプニプニと柔らかかった。
拭き終わったタオルを収納して、今度は下着と服と靴を取り出す。
ワンピースにサンダルみたいな靴だ。
ワンピースを選んだのは、もちろん着せるのが簡単だから。
(なんだか娘の世話をする母親になったような気分だけど、悪くないわね!)
ところが、服を着たところで急に少女が両手で股間を押さえだした。
「え? もしかして……、おしっこ?」
ハナは慌てて少女を木陰へ連れていく。
「ここをこうして、こういうふうに服を持ってしゃがんで。服を汚さないように気を付けて。はい、いいわよ」
「はぁ~(気持ちよさげな表情)」
(間に合った……。そうだ、この娘には人間の常識は分からないんだから、まずはそれらを教えてあげないとね。特にトイレは大事だ。女子なんだし、町中とかでさせるわけにはいかない)
とりあえず、ハナは少女に人前で排泄しないように言っておいた。
トイレの使い方は後で教えるとして、その前にこの少女をキルコ村に連れて帰るのだから、村長にどう説明するかという難題があるのを思い出した。
実に悩ましい問題である。
(とりあえずキルコ村に向かいながら考えるか……)
ハナは再び少女をおんぶして、キルコ村に向かって歩き始めた。
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