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ふるり、とクリスティアの肩が震える。
「思いださせてしまったわね。もう――」
「ふざけんな! もう絶対に自分のためにしか力は使わない!」
過去の記憶が鮮やかになったことで決意を新たにして叫べば、レーテがぽかんとする。失望されようが、クリスティアの本音であり決意は揺るがない。
「できる限りのことはしたのに無能扱い。死まで望まれて、まだやってもらって当たり前の顔をする人たちになんで私が尽くさなければいけないわけ?」
改めて言語化すると、ひどすぎて怒りがふつふつとわいてくる。見返りを求めて行動したわけではないが、返ってきたのは悪意だ。
「強大な聖力を使える者が少ない? だから何? 知ったことじゃないわ。私はもう前々世の清廉潔白な聖女じゃないもの。せっかく新しい生をもらったのに、またあんなストイックな生活とか絶対に嫌!」
しがらみのない前世は最高だった。
傷ついた魂が癒やされるのもわかる。振り返ってみれば、本当に幸せだった。
「今の教皇は正しい人。あなたに仕えることを待ち望んでいるわ」
「え、そういうのいらない」
拒否一択だ。
検討する気にもなれない。
対女神ということで被っていた猫が、アデューとキザなポーズを決めてどこかへ消えてしまったけれど、しおらしくしていたらクリスティアにとって不本意な結果になりそうなので、もう素のままでいくことにした。
「私、今世は自分のためだけに、好きに自由に生きるって決めているの」
「教会でもできるでしょう? 教皇をあなたの手足のように使えばいいわ」
(ナニイッテンダ)
スン、とクリスティアは真顔になる。一瞬だけ、前世の恨みが顔を出し、教会のトップを下僕のように扱うのも楽しそうだと思ったけれど、絶対にいいことばかりではない。
一度聖女として教会に所属してしまえば、多くの制限が課せられる。気楽さも、自由も奪われる。
クリスティアの記憶が、そう断言していた。
「教会は信じられないし、私の思う自由ではなくなるから嫌」
間違いなく、街にふらりと買い食いに行くなど許されないし、護衛という名のお目付役が後をついて回るのが想像できた。
(嫌すぎる)
カゴの中の鳥だ。
それに人の気持ちなど移ろいやすい。ささいなきっかけで真逆の反応になり、信仰心も、尽くす心も、いつなんどき自らの都合のいい考えに変わっていくかわからないものだ。
献身的に人々に向き合っても、その事実をあっさりなかったことにする。生け贄にされるまで気付かなかった前々世は、我がことながら本当に愚かだ。
純粋で優しいシャーランは、野心のある者にとってはいいカモだった。
尽くして、尽くして、搾取されていることにも気付かなかった。
今は正しく理解している。生け贄にされそうになって気付かないのは、間抜けでしかない。
現代日本に転生し、自由気ままに生きてきた記憶もあるから、今世は聖女なんてやってられるか! という心境だ。絶対に嫌だ。無理。断固拒否だ。
清廉に清貧に生きる、が信条の教会と相容れるわけがない。博愛主義など、クリスティアの中にはないものだった。
「私はもう、シャーランのときのように生きるのは嫌なの」
想像するだけでぞっとする。実際に経験した記憶があるからこそ、絶対に嫌だった。
本当に、心の底からシャーランの記憶などいらない。
消せるものなら消してしまいたい。黒歴史のくくりだ。
ただ身を挺して庇ってくれた人にだけは、なんらかの形で恩を返したい。レーテなら、彼のその後を知っていそうだ。
「わかったわ」
淡々としたレーテの声が耳に届く。
「……は?」
想定外のあっさりした了承に、絶対に拒否するのだと意気込んでいたクリスティアは拍子抜けする。いいんだ、と驚きとともにレーテを見つめた。
「あなたが望むままに」
「教会所属の聖女として、国に、民に奉仕しろってことじゃないの?」
「いいえ、もとよりそんなことを望んでいない。わたくしの願いはあなたが幸福に過ごすこと」
「私の、幸福……」
前世では推し活が生きがいで、幸せだった。
多幸感に浸る感覚は思い出せるが、この世界ではうまく想像できない。
「あなたが幸せであることが大切なの。あの当時、周囲があなたを虐げ、搾取して、あなたの心が疲弊していったから魔に付け入られた」
レーテの台詞で、奥底に沈んでいた記憶が浮上する。当時はそういうものだと受け止めていたが、日々を過ごす中で、シャーランは幸せだと感じたことが少なかった。
「愛し子であるあなたが幸せなら、この国は自然と女神の祝福に満たされ豊かになる」
「……私の幸せは、誰かの思惑に振り回されることなく、自分の望むままに生きたい」
「ええ、あなたの望むままに」
微笑むレーテに、クリスティアはほっとする。また前々世のように生きなければいけないのかと、胸が冷えた。
「ごめんなさい。あなたにだけつらい思いをさせて」
「前世、楽しかったんでいいです」
ただ、この世界へ戻ってきたくはなかったという思いがある。複雑な家庭環境を受け入れてはいるが、理不尽さに晒された記憶があるし、前世と比べてしまうことが多々あった。
「クリスティア」
慈愛に満ちたレーテの声に、うつむけていた顔をぱっと上げる。クリスティアに向けられている眼差しからも、慈しむ気持ちが伝わってきた。
「あなたに祝福を、今世こそ幸せな人生を送って」
額に、レーテの口づけが落とされる。優しい女神の力が身体を覆った。
ぶわっと、聖力が更に増したのを感じる。茫然と、クリスティアはレーテを見つめた。
(なにこれ! いらないんだけど)
嘘でしょ! と髪をかきむしりたくなる。結界を張った後で良かったと、クリスティアは心の底から安堵した。
さすがに鑑定をしなければわからないだろうが、高位司祭に会えばバレる可能性は出てきて、頭を抱えたくなった。
「クリスティア?」
「幸せを願うなら、見守る系でお願いしたかった……」
推しを応援するように、支えるように、お金は出すけど口は出さない。
縁の下の力持ちであれば、クリスティアも純粋に喜べた。
「力がある方がいいのでは?」
「時と場合によるでしょ。力を授かるのは、いいことばかりではないから」
権力者たちの思惑を引き寄せる。聖女としての力、存在を欲するだろう王家や教会に、伯爵家で対抗するのは難しい。
家が、守ってくれるかさえも定かではなかった。
「そうなの?」
「権力の頂点にいるならいいだろうけど、そうでなければ搾取されるだけ」
王家でも教会でも、聖女を引き渡せば多大な恩を売れる。前妻の娘など厄介払いで、前々世のようにさっさと義母により引き渡される可能性が高い。
弟に家を継がせるには、長子であるクリスティアの存在は義母にとって邪魔でしかなかった。
前世、前々世の記憶を取り戻すなんてイレギュラーさえなければ、義母に恨まれながらも爵位を継ぎ、婿を迎えて平凡に生を終えるか、はたまた絶対にないとはいえない下克上、陥れられて家を追い出される、そんな人生を送るはずだった。
(どっちもつまらない人生だな)
家を継ぎたいわけではない。
なんなら弟が当主になればいいとクリスティアは考えていた。
とにかく、搾取されるだけの人生はもう絶対に嫌だ。
前世が自由で楽しい人生だったせいか、想像もしたくない。
この家はクリスティアがいなければ家族円満なのだから、自立できる年になったら消えるのが最善だ。
(それまで、絶対バレるわけにはいかない)
膨大な聖力は、あれば便利だけど今のところ必要性を感じない。
むしろ、厄介なものだ。
「うん、聖力は封印しよう」
それがいい。最善の策だ。
聖力が使えなければ、クリスティアなどどこにでもいる貴族の娘だ。そうそう聖女であると、悟られることはない。
「なんで!」
「じゃまだから?」
「じゃま……?」
理解できないとばかりに、レーテが茫然とする。
「あ、その前にせっかくだから活用しようかな」
転んでもただでは起きない精神だ。
先ほどは聖力が足りないだろうと後日にした庭にも、クリスティアは結界を構築していく。またもごっそりと聖力を持って行かれたが、女神の祝福のせいか倦怠感はなかった。
(あとは……)
クリスティアはまだ膨らみのない胸に手を当てる。無事に育ってくれることを祈りそうになるが、違う、そうじゃないと意識を切り替えた。
なんで、どうしてと騒ぐレーテは無視が一番――てことで、クリスティアは聖力のほとんどを封印した。
(やればできる子!)
前々世は教会の筆頭聖女、指でV字を作りキラーンと脳内でポーズを決める。自画自賛だ。
締めに、ほほほ、と前世の創作物で知った高笑い。気分は悪役だ。
子どもの姿なので、いまいち決まらないのが残念かもしれない。
「せっかく祝福を追加で与えたのに」
女神なのに感情豊かでショックを受けているようだが、クリスティアには関係ない。自分が一番大切だ。
念のため、恩返しのためにも必要かと、わずかばかり残したこの程度の聖力ならば、持っていたところで目立たない。
目の前で使って見せなければ、教会側も気づけないはずだ。




