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思いがけない前公爵夫妻との顔合わせではあったが、終始クリスティアに好意的だった。
夕食も同席することになり緊張したが、クラウスの幼い頃の話や、家族だからこそ知っている意外な一面など、呪いを受け継いではいたが大切にされ、愛情を受けて育ったとわかる有意義な時間だった。
凛としていて隙のないイメージのクラウスが、両親の前では少しだけ崩れる姿がなんだか新鮮で、クリスティアは思わず見入ってしまった。
好印象しかない前公爵夫妻は、当分領地には戻らないらしい。
ただ滞在するのは本邸ではなく離れだった。
――私たちが近くにいると気を遣うでしょう? 二人の交流の邪魔をするなんて野暮じゃない。
ねぇ? とルイーズに振られたブライアンが、表情を緩め頷いた。
そんなルイーズの言葉に甘えてではないが、寝るにはまだ早い時間にクリスティアはクラウスの自室を訪れた。
夜這いではない。呪いの解呪のためだ。
平常心を保つためのお目付役として、レーテにも同行してもらっている。同じ邸に居て機会があるのだから、出し惜しみする理由はなかった。
ラフな格好のクラウスに室内へ招き入れられたが、態度が少しぎこちない。
警戒しているというほどではないが、様子を窺っているのが察せられた。
(部屋が見られるとかそんな下心がバレた?!)
緊張と期待が入り混じり、胸の奥がそわそわと騒ぐのを感じながら足を踏み入れたクラウスの私室は、無駄な装飾品がなく落ち着いた印象を受ける。床には深い色合いの絨毯が敷かれ、窓際には丸テーブルと二脚の椅子、その少し離れた場所には二人掛けのソファが置かれていた。
壁際の本棚には整然と本が並んでいるが、その隙間には読みかけなのか、何冊かの本が無造作に重ねられている。この部屋でクラウスが過ごしている気配を感じて、クリスティアは一気にテンションが上がった。
不躾に室内を眺めないように気をつけ、提案された飲み物は辞退し、勧められた窓際の椅子に座る。向かいに、クラウスも腰を下ろした。
「今できる分の解呪をしたらすぐに失礼しますね」
長居は禁物だ。
三階に立ち入れる者は限られているとはいえ、警備の者とクリスティアは顔を合わせている。レーテがふわふわと肩の辺りに浮いているが他の人には見えないので、長時間クラウスの私室に二人きりでいたとなるとよろしくない気がした。
「解呪には、唇で触れるのか?」
「いえ、手で触れれば」
なんで唇? と疑問に思いつつクリスティアは答える。極限まで聖力を絞っているので、触れて力を流した方が効率よかった。
「夜会の日は触れていただろう?」
「ああ! 手袋に口紅が付いてました?」
うっかりしていたと、クリスティアは反省する。ノリと勢いだったので、配慮が足りなかった。
「いや、そんなことはどうでもいい」
「え」
「唇で触れなくていいのならば、なぜ口づけたのかと思ったんだ」
「プロポーズがそんなイメージだったんです」
「それだけの理由なのか」
「はい」
あの日の、月光を浴びた美麗なクラウスは目に焼き付いている。録画機能がないことが、本当に悔やまれた。
「本当に軽く触れるだけなので、手を貸してもらってもいいですか?」
「手袋は取った方がいいのか? 呪いで醜いが」
常に手袋をしている理由に、今更クリスティアは思い至る。食堂から自室に戻る際に、後ほど部屋に伺いますと伝えたので、クラウスは自室に戻っても外さずにいたらしい。気を遣わせてしまった。
「クラウス様が嫌でなければ、状態を見せてもらってもいいですか?」
「俺は構わない」
無造作に手袋を引き抜き、差し出された手の甲には黒い蔓と棘があるだけでなく、半ばくらいから指先に向かって変色している。爪に至っては赤紫色だ。
けれど指が長く、綺麗な手だった。
女性的な美しさではない。
間違いなく、この手にはハーフグローブが似合うはずだ。
色気ましましで、満点以上の札を上げたくなる。ガチャで出るカードなら課金喜んで! とぶち込んでいた。
呪いが消えたら絶対にプレゼントしようと、クリスティアは心に決める。
「どうした?」
「あ、いえ綺麗だなって」
「は?」
ぎゅ、と形のいい眉がひそめられる。これほどまでに『ナニイッテンダコイツ』と伝わる表情はない。
『そんなことを言うのはクリスティアくらいだろうな』
静かに成り行きを見守っていたレーテが呟く。
嘘じゃないのにと、クリスティアは恭しくクラウスの手を取った。
「本当に、忌避感がないのだな」
「ありません」
魔の呪いは厄介なものとはいえ、触れて移るものでもない。
前々世では聖女としての活動の中で凄惨な状況にも遭遇したし、手の施しようがないような傷さえ治そうと努力したことがある。当事者にとっては切実で、どちらがと比べることはできない。
『魔の気配が濃いな』
レーテの見立て通りに、クリスティアも感じる。
「服も脱いでもらっていいですか?」
「……なぜだ」
「状態を見せてもらおうかなって――」
何気なく口にして、はっとクリスティアは気づく。
「あ! 大丈夫です、襲いませんから!」
下心満載の女に言われても説得力はないだろうが、一応令嬢の仮面は被っているつもりだ。鼻息が荒かっただろうかと、少し心配になった。
アウト判定の態度を取っていた? と、さりげなくレーテに目で確認を入れるが伝わらない。念のために、クリスティア自身でフォローを入れるしかなかった。
「貞操の危機を感じますよね。不用意に脱いで欲しいなどと提案してすみません。最初に理由を言うべきでした」
「いや、大丈夫だ」
なんとも言えない顔をして、クラウスは潔くシャツを脱いでくれる。細身なのに筋肉質で、その造形はため息が出るほど美しかった。
やはりこれは貞操の危機だ。
迂闊に脱いで見せるなど絶対駄目だった。
「見ても平気なのか?」
「すみません、前言撤回してもいいでしょうか」
「ああ、やはり――」
「私を警戒してくださいね。絶対ですよ! あまりにも最高すぎて、理性が飛んで襲ったら悪いですから」
「――は?」
「そうですよね、呆れますよね。襲わないって言っておきながら、やっぱり襲うかもなんて申告する女は信じられませんよね。でもほんと理性が仕事している間は何もしませんので、うっかり、本当にうっかり襲いかかったら返り討ちにしてやってください!」
推しに迷惑をかけるなど言語道断だとわかっている。わかっているが、手の届く距離に推しがいるなど前世では経験し得なかったことで、理性が負けないと断言はできない。
「あ、でも息の根を止めるのは容赦ください」
無礼打ち、という言葉が頭に浮かぶ。
推しの手にかかる幸せもあるだろうが、クリスティアはそんな願望を持っていない。
今世こそ寿命を全うしようという目標を掲げているので、追放程度で許してほしかった。
「わかった」
表情には出ていないが、声のトーンでクラウスがドン引きしているのはなんとなくわかる。クリスティアは自分が信用できないのだから仕方がない。過度な自己評価の高さは身を滅ぼすこともあるはずだ。
軽く深呼吸でクリスティアは少し落ち着きを取り戻すと、あらためてじっくりと眺める。肩から腕、背中にかけて蔓に似た呪いの痕があった。
範囲が広く、血族へと継がれるほどに根が深い。
『これは解呪に時間がかかるぞ』
クリスティアは心の中で、レーテに同意を返す。
それこそ魂に傷をつけないために、慎重を期すべきだ。
「複数回にわけて解呪していくことになります。一気にできなくてすみません」
「かまわない。本当に解呪できるのか?」
『クリスティアならできるぞ』
レーテが力強く頷く。
それが心強く感じた。
「はい」
敬虔な心がなくヤサグレてはいるが女神付きの聖女なので、と心の中で付け加えてクリスティアはにっこりと笑う。
聖女など、まったくもって嬉しくはない事実ではある。ただ推しの役に立つのだから、聖力があって良かったのかもしれない。
(呪いの元凶は私だけど! わーん、ごめんなさい!)
まじでくたばれ王族たち絶許、とクリスティアは怨嗟に心が染まる。復讐に興味はないが、落ちぶれろ、とことあるごとに祈らずにはいられなかった。
「違和感があったら言ってくださいね」
クラウスの手を握り、クリスティアは浄化の力を流し込む。
呪いの力が強く、抵抗が強い。手の甲の変色が幾分か薄くなったところで、聖力が残りわずかになるのを感じた。
「すみません、今日はここまでです」
もどかしいだろうなと、申し訳なさを感じる。
「すごいな」
けれどクラウスの反応は、クリスティアの想像よりもいいものだった。
「腕が軽くなった気がする」
「それなら良かったです」
少しは役に立てたのかもしれない。ほっとして、クリスティアは表情が緩む。
「では、お暇しますね」
「部屋まで送ろう」
「一人で戻れますよ?」
まだ来たばかりの邸とはいえ、さすがに迷子にはならない。
三階をうろうろせずに、おとなしく真っ直ぐに部屋に戻るつもりだ。
「呪いを解きに来てくれたのに、一人で帰すわけにはいかない。せめて部屋まで送らせてほしい。婚約者だろう?」
「えっ……あ、いえ……」
嬉しさと、戸惑いと、うまく表現できない気持ちになる。ここまで言われて、断るには惜しい。
「……では、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか」
そう答えた途端、クリスティアは胸の奥がまた少しだけ弾んだ。




