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一日の仕事を終えたジェシーは、使用人棟にある自室に戻るなりドアを勢いよく閉める。同時に、繕っていた表情をすうっと消した。
いつもは仕事終わりにある疲労感が、今日はない。
代わりに腹立たしさと焦燥がないまぜになり、苛立ちが胸の奥でじりじりと膨れ上がっていく。
「何あの女!」
堪えきれず、文句がジェシーの唇からこぼれる。庭園のガゼボでクラウスの姿を目にした瞬間は心が躍ったのに、突如現れたよそ者が当たり前の顔で向かいの席に座るのを見て一気に胸が冷えた。
(どうしてあの女なの……)
何度考えても分からない。
愛嬌はなく、勝ち気な表情に冷淡な眼差しで、すでに公爵家の一員とでもいわんばかりの高慢な態度だった。
いかにも貴族家の娘ともいえる。所作や言動に今のところ目立つ難はないが、クラウスの好みではないはずだ。
なんで、がジェシーの思考を埋め尽くしていく。
使用人同士の噂話でも、クラウスが結婚相手を探していると耳にしたことはない。
むしろ家柄や年齢を考えれば縁談の一つや二つあって然るべきなのに、まったく関心を示さないとロベルトが嘆いているのを聞いたことがある。それなのに突如使用人を集めた場で、前触れもなくクラウスが婚約したと家令から告げられた。
耳を疑った。
何が起きているのか理解しきれないままジェシーが愕然としていたところに、その女性を数日後には邸に迎えることが決まっているからと、侍女長が専属侍女候補を募り始めた。
瞬間的に、憤りに支配されたのを覚えている。それでもジェシーは手を挙げた。
二階に立ち入る権利が得られるからだ。
「……やっぱりおかしいわ」
ぼそりと呟いて、ジェシーはぎゅっと拳を握る。
なぜ突然現れた女が我が物顔でクラウスの隣にいるのか、到底理解できない。
爪を噛みそうになり、ふと鏡に映る姿が目に入った。
緩く波打つ淡い金髪は艶やかで、ぱっちりとした目元は愛らしい。整った顔立ちに控えめな微笑みを浮かべれば、清楚な美しさがあった。
侍女として控えめな身なりをしていても、容姿は隠しきれない。
周囲からは美しいと言われることが多く、好意を向けられる状況も多々あった。
クリスティアと比べて、何が劣っているのかわからない。
家柄? と、鏡に向かって問いかけてみる。そんなものは、夫婦になるうえで本当に必要なのだろうかと疑問が浮かぶ。
ジェシーも、本来は子爵家の娘だ。
ただ幼いころに両親を亡くし、家が没落した。
身寄りを失ったジェシーを引き取ってくれたのが、ルドウィグ家に仕える遠縁にあたる伯母だった。
その縁でルドウィグ家に置いてもらうことになり、公爵夫人の厚意で学ぶ機会を得て、教養は身に付けている。その当時からジェシーは人並み以上に賢く、おかげでクラウスと共に難解な問題を解き、女性が好まないであろう難しい本を読み、クラウスの話し相手になることもあった。
十代前半で侍女として働き始めてからは、必然と立場の違いで気安さはなくなったけれど、ルドウィグ家に尽くしてきている。
クラウスが忙しいことも、弱音を吐かないことも、疲れていても平気な顔をしていることも、よそ者であるクリスティアは知らない。けれどジェシーは長くそばに仕えていて、知っている。
呪いに関しても、完璧な人であっても一つくらい欠点はあるものだ。
それを受け入れる覚悟はできている。
(クラウス様には私が必要なのよ)
ずっとそばで見つめ続けていたからこそ、幸せにできるはずだ。
何を好み、何を嫌うのか知っている。疲れているときの表情も、機嫌が悪いときの声も、食事を取らずに執務へ戻ってしまうことも知っている。
完璧を求める人であり、クラウスは自ら誰かに甘えることはしない。だからこそ、そばにいる者が気づかなければいけなかった。
けれどクリスティアは、何一つ把握していない。
クラウスが疲れている時でさえきっと、あれをしてほしい、これをしてほしいと好き勝手に望むはずだ。
私なら――と、ジェシーは仮定する。
好きなものを用意し、少しでも休んでもらえるよう取り計らい、我が侭など言わない。ただ寄り添うだけだ。
それにルドウィグ家のこともよく知っている。使用人たちのことも、しきたりも、公爵家としてどれほど多くのものを背負っているのかも理解していた。
「そうよ。私はずっと、クラウス様のそばにいたんですもの」
クリスティアが現れなければいずれ、結婚相手に選ばれたはずだ。
あの豪奢な部屋も、本来はジェシーのものになるはずだったんだと唇を噛む。
「私から奪うなんて許せない」
取り返さなければいけない。すべて元通りにすべきだ。
まずは、クリスティアの本性を暴き、おぞましい企みを調べようと決める。ルドウィグ家に突然現れた理由も、あっさり迎えられた理由も何かあるはずだ。
企みをすべて暴けば、本当にクラウスのことを想っているのが誰なのかをわかってもらえる。伴侶へと望んでくれるはずだ。
(こんなに美しくて賢い私が、ただの侍女で終わるなんておかしいもの)
ふふっと、ジェシーは鏡に向かって笑みをこぼした。




