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クリスティアの乞う眼差しに、アントンはゆっくりと唇を開く。
「祖父が当主の時だ。教会の筆頭の聖女が愛し子を名乗ったせいで女神の怒りを買い、加護が弱まり、魔が力を強めた、そんな噂が流れていたらしい」
噂は知っている。わざわざ嫌味を交え教えてくれた人がいた。
不意にシャーランのときに聞いた、教皇の説法が耳に甦る。
『魔とは、女神の光に背く者なり。女神が世界に光を与えたときその光を拒み、闇に堕ちたものである。魔は人の心に巣食い、恐れと憎しみ、内なる欲を煽り、我らを女神の御許から遠ざけようとする。ゆえに我らは魔を恐れ、決してその言葉に耳を傾けてはならぬ』
この世界のこと、国のこと、そのすべてをクリスティアは正しく知らないが、魔は実在している。儀式のときに、輪郭が定かではない禍々しい黒いモヤが蠢いているのを見た。
「王都に蔓延している疫病もそのせいだと」
奥底に沈めていた記憶が次々に浮上し、クリスティアは悲しみ――ではなく怒りがふつふつと湧く。
教会側が聖女の奉仕に付加価値をつけるため、勝手に愛し子と謳っていただけだ。シャーランは、一度も名乗ったことはない。
今思えば、シャーランを都合良く使って次期教皇候補にまで上り詰めた司教の顔には『野心の塊です』と書いてあった。
「噂を裏付けるかのように、その聖女を贄として捧げれば魔は封じられる、との神託を受けたと教会が王家へ報告し、それは鵜呑みにされて、儀式が強行された」
(なんだろう、王家がマヌケだと聞こえる……)
今まで父と娘の会話は少なく知らなかったが、もしかすると穏やかに見えて平然と毒を吐く人なのかもしれない。
「女神が贄を捧げろと指示するなどあり得ないと、異を唱えたのがルドウィグ家だ」
「その通りだ。わたくしが犠牲を強いるなどありえない。不愉快だ」
憤るレーテの声はアントンには届かない。
後は概ねレーテから聞いた話を薄めた曖昧なもので、聖女の魂は女神のもとへ還ったとされていた。
(まあ、異世界へ送ったなんてわからないよね)
案外、口伝えで呪いの経緯を知っている人は多いのかもしれない。
納得もできる。加護が消えたのだから、王家といえども隠し通せるものではなかった。
「当然、責任を追及する声は上がった。王家と教会はすぐさま、次期教皇の座を狙う司教が功績をあげるために神託をねつ造したと公表、その司教は国に混乱をもたらしたと処刑された」
悪徳司教を殴りたいと思ったが、すでに罰を受けていた。
自業自得ではあるが、司教一人に罪を押しつけた印象だ。
教会では水面下で司教三人が後継者争いをしていて、誰もが認める功績を残せば、他の候補者より優位に立てた。けれどねつ造した神託でシャーランを贄として捧げたとしても、疫病が蔓延している状況が好転するものではない。
変化がなければ逆に立場を悪くする司教が、安易に企んだとは思えなかった。
(そういえば、新たな聖女が誕生すると自信満々に言ってたような……)
妙に確信を持っていた。
それこそ神託を受け、現実となると知っているかの口ぶりだった。
(他に黒幕か共犯者がいたりして)
いたところですでにもう過去のことだ。
転生して当時の記憶があるとしても、復讐など面倒くさい。
そんなことよりも、クラウスを全力で幸せにするのが今のクリスティアには大切だ――と考えて、間接的にクラウスを害した相手でもあるのだと気づいた。
(もしかして復讐すべき?!)
瞬間的に過激思考に支配されるが、優先順位を間違えてはいけないと思い直す。
機会があれば、復讐したいかの確認をする、と心のノートにメモした。
「処刑後も、加護を源とする魔法は失われたままだった。多くの者が混乱し、恐怖し、教会へ押し寄せた。そこで教会は、祈りを忘れた人々へ女神が与えた試練であり、耐え抜いた者だけが救われる、との神託があったと発表した」
はあ? と、思わず上げそうになった声をクリスティアは呑み込む。
眉間に皺を刻むのも堪えた。
「わたくしはそのような神託を与えていない」
静かに耳を傾けていたレーテからも、突っ込みが入る。加護を失う神罰を受けて尚も、教会は神託を都合良くねつ造したらしい。
恐れ知らずで、見事な責任転嫁だ。
すごいな、以外の感想がクリスティアにはなかった。
「それを受け王家は、今まで女神の力に頼りすぎていた、今後は人の力で生きていく努力をすべきであり、与えられた試練を受け入れると宣言した」
どう考えても、王家と教会は結託している。混乱を収めるためには必要な嘘ではあるが、クリスティアはすっきりしなかった。
王家は、加護を失ってはいるが誰も処罰されていない。
儀式の場には当時の王太子が婚約者を伴い来ていて、高貴な血筋の者の役に立てるのだから光栄に思え的な、横柄なことを言われた記憶があった。
(国王と王妃になっているところがまた腹立つ!)
傲慢な性格だからルドウィグ家を敵視するのかと、クリスティアは得心がいった。
「そのようなことがあったんですね」
「ああ。ルドウィグ家の行いは正しい。だが王家との関係は良好とは言い難い。その上、第一王女殿下が公爵閣下に執着しているという話もある」
「王女殿下が……」
見る目がある! と褒め称えたいが、執着という言葉選びにすべてが現れている気がする。間違いなく厄介な存在だ。
アントンの言葉の端々から、クリスティアの苦労を心配する気持ちが伝わってきた。
「それでも、私はクラウス様の元へ嫁ぎたいんです」
「あの方でなければ嫌なのか?」
「はい」
「公爵家だからではなく?」
「クラウス様だからです」
迷いのない答えを返す。
しばらく黙り込んだアントンは、やがて困ったように笑った。
「参ったな。そこまで言われては、反対するほうが悪者だ」
「では……」
「ああ。認めよう」
クリスティアの顔に浮かんだ喜びを見て、アントンはまた小さく息を吐いた。
「この先もそばにいるはずの跡取り娘を手放すことになるとは……寂しいものだな」
「嫁いだからと、会えなくなるわけではありません」
「そうだな……離れはそのままにしておく。いつでも戻ってきていい」
「ありがとう、お父様」
顔を見合わせ笑う。
今更、アントンに愛されているのだとクリスティアは実感していた。




