18
クラウスとの会話は終始事務的ではあったが、クリスティアは心地よい高揚感に満たされたまま帰宅する。やはり推しは人生に彩りを添えて、幸福感や癒やしを与えてくれる存在だ。
イケオジの執事から始まったルドウィグ家での出来事を何度も反芻し、淑女らしからぬ顔をしている自覚がクリスティアにはあるが、自室にこもれば見られる心配はない。ただし、大抵傍らにいるレーテを除く。
「また、だらしのない顔をして」
「レーテ様、クラウス様が求婚を受け入れてくれたこと、夢じゃないですよね?」
「何度訊くのだ」
向けられるレーテの眼差しには呆れが滲んでいる。帰りの馬車の中から、何度も確認しているせいだ。
「だって、私の妄想の世界のできごとに思えるです」
「現実だ」
律儀に返ってきた答えに、クリスティアは表情が綻ぶ。
翌日からすぐに何かが変わることもなく、普段と変わらない生活を数日送っていると、領地にいるはずのアントンが帰宅したと知らせを受けた。
どうしたのかとクリスティアが本邸へ行くと、挨拶もそこそこに執務室へと連行される。ソファに座り向きあい、妙な緊張感を覚えた。叱られる心当たりはない。
付き添ってきたレーテはソファの隅にちょこんと座り、頬杖をついて成り行きを見守っている。
「ルドウィグ公爵家から、婚姻の申し入れがあった」
落としていた視線を、クリスティアはぱっと上げた。
(クラウス様仕事が早い!)
心の中で叫び賞賛を送る。急遽アントンが帰宅した理由がわかった。
同時に、軽い驚きも覚える。婚姻について、こんな風に難しい顔をしたアントンと向きあうことなく淡々と話が進むと思っていた。
「クリスティア、公爵閣下とはいつ知り合ったんだ?」
普段から離れに引きこもっているクリスティアが、前触れもなく婚姻の打診を受けるなど訝しむのも当然といえる。特に相手も滅多に社交の場へ姿を見せない、国の影の支配者ともいえるルドウィグ家の若き当主ともなれば尚更だ。
そこを失念していた。
「先日の王家主催の夜会で知り合いました」
「あのときか……」
「はい」
正しくはクリスティアが突撃したのだが、ものは言いようだ。
「公爵家からの申し出、伯爵家としては良縁と言える。だが、断ってもかまわない」
「お受けします」
断るなどありえない! と、脳内では宣言する。アントンも喜んで――いないらしく、表情は曇っていた。
「……私は、クリスティアに爵位を継がせるつもりでいたんだ」
「ジェイドがいます」
クリスティアが嫁げば、サシャとの不仲問題も解決される。憂いなく家族三人で幸せに暮らせるはずなのに、アントンの表情は晴れない。
なぜ? と思ってすぐに、本来の後継者である先妻の娘を追い出す形になるのだと気づいた。
そこに気遣いはいらない。クラウスに求婚したのはクリスティアの方だ。
これはもう正直に経緯を言ってしまえ、そんな気持ちに傾く。
「実は、クラウス様に一目惚れしたんです。私から求婚しました」
「クリスティアから?」
まあ驚くよね、と思いつつ頷く。
「ですから受けてもらえたのが今でも夢のようで、夢だったら覚めるのを恐れるくらいに、絶対にあの方がいいんです」
きっぱりと言い切ると、アントンがクリスティアの顔をじっと見つめる。間違いなく、喜びを隠しきれていない表情のはずだ。
「求婚状が届き、嬉しいのか?」
「はい」
その一言を聞いたアントンは長く息を吐き、苦笑を浮かべる。
「父親なのに気づきもせず、何も知らなかったとはな」
伝えていないのだから当然だ。
それなのに、クリスティアと同じ色の瞳は揺れていた。
「お父様が私に任せると信頼してくださったので、その言葉に甘えて相談せずに申し訳ありません」
「いいんだ。私はおまえが幸せになれるなら異論はない。ただ、相談相手にもなれない父親だったと自分勝手に落ち込んでいるだけだ。いや、こんなことを言うべきではないな」
「お父様……」
「だがこの機会を逃せば、伝えることができないかもしれない」
決意を滲ませた眼差しで、アントンはまっすぐにクリスティアを見つめる。
「おまえの母と死別した悲しみから仕事に逃げ、多くのことを一人で抱えさせてしまった。すまない。もっとそばにいて寄り添うべきだった」
「謝らないでください。私の我が侭とも言える選択を許し、信じて自由にさせてもらえたことに感謝しています」
離れに引きこもる、学園は最低限しか登校しない、社交も最低限、これを許してくれる親はそういない。政略結婚が当たり前の貴族家で、アントンはクリスティアに自由の選択肢さえも与えた。
「愚かな父にも優しいのだな」
「お父様は、不器用なだけです」
長年、思っていたことを口にする。一瞬アントンは虚を衝かれた顔をして、すぐに「そうか」と呟き笑った。
「今回も、クリスティアが選んだ相手を認めてやるべきなのだろうが、父親としては反対したい」
え、と思考が一瞬固まる。想定外だ。
反対されるとは思ってもみなかった。
戸惑うクリスティアを前に、アントンがためらいがちに口を開く。
「……あの家は、呪いを受けている」
(それが反対の原因?)
なあんだ、そんな気分にクリスティアはなった。
「知っています」
「知っていたのか」
「はい」
レーテから当時の話を聞いていなければ、社交から距離を置いているクリスティアは情報を得る機会がない。知らないと思われて当然だった。
(むしろその呪いにつけ込みました)
狡かったと反省はしているが、後悔はしていない。
「そうか……だが呪いについて正しく把握している者たちばかりではない。憶測で好き勝手噂している者もいる」
クラウスの言っていた煩わしさに、これも含まれるのかもしれない。
「どのような噂があるのですか?」
まずは知ることからだ。
情報がなければ、対処も難しい。
「今は失われた強大な力を維持しているのは、魔の力を得ているからだと。呪いがその契約だと信じている者もいる」
はああ? ふざけんな! と、クリスティアは内心で苛つく。
「お父様もそれを信じているのですか?」
「いや。私は祖父に話を聞き、呪いに関しては正しく知っているつもりだ」
父の祖父、クリスティアにとっては曾祖父だ。
肖像画でしか知らない。
「私は詳しく知らなくて……お父様の知っていることを教えていただけますか?」
「私も聞いた話だ。真偽不明の情報も混じっている」
「かまいません」
客観的に見た、当時を知るチャンスだ。
逃してたまるかと、しがみつくイメージだった。




