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親しい友人などクリスティアにはいないので、人の家に招かれることは滅多になく失念していたが、高位貴族の家には家令、執事がいる。ベラーニ伯爵家にも当然いるのだが、幼い頃から見慣れていてもはや家族だ。
だからこそ不意打ちで目にしたナイスミドルに、クリスティアは心を打ち抜かれた。
「クラウス様がお待ちですので、ご案内いたします」
上品に頷き、執事の半歩後ろを歩きながら邸の中を進む。
壁には風景画が飾られ、廊下の随所には季節の花が活けられている。華美ではないが、公爵家の品格が感じられた。
「道中、お疲れではございませんか」
「お気遣いありがとうございます。おかげさまで疲れを感じることもなく到着いたしました」
「それは何よりでございます」
気遣いの細やかさに、人柄の良さが窺える。薄らある目尻のシワも相まって、クリスティアの好印象メーターが振り切っていた。
この興奮を分かち合いたくて、傍らに浮くレーテに念を送るが当然伝わらない。もどかしく思ってすぐに、同意を得られる可能性が低いと気づき、一人湧き上がる想いを噛みしめた。
(クラウス様に会う前からもう胸の高鳴りが!)
脳内でジタバタしていると、やがて重厚な両開きの扉の前で執事が足を止める。ここにクラウスが、と思うとクリスティアは自然と背が伸びた。
「クラウス様、お客様をお連れいたしました」
「ありがとう。中へお通ししてくれ」
扉の向こうから落ち着いた声が返る。鼓動が跳ねて、どどっと急激に逸りだした。
平常心を唱えクリスティアが静かに深呼吸していると、執事が静かに扉を開く。
ソファからクラウスが立ち上がるのが見えた。
「本日はお越しいただき感謝します」
「こちらこそ、お招きいただき光栄です」
「どうぞお掛けください」
「失礼いたします」
勧められるままに、クリスティアはスカートの裾を整え静かにソファへ腰を下ろす。
見るからに高級感あるソファは、当然座り心地がいい。
向かいに、クラウスは座った。
控えていた侍女と執事が静かに動き始める。磨き上げられた銀のワゴンが音もなく運ばれ、ティーセットが手際よくテーブルへ並べられていく。
温められたティーポットから立ち上る湯気とともに、芳醇な茶葉の香りが部屋いっぱいに広がった。
誰一人として無駄な音を立てることはない。使用人たちの洗練された所作は、公爵家の格式の高さが窺えた。
(やばい、緊張してきた)
執事が最後に菓子皿を中央へ置き、一歩下がって静かに一礼する。
「どうぞ、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
扉が音もなく閉まると、応接室には穏やかな静寂だけが残った。
明るいところで改めてクラウスを見ると、褒め称える語彙さえなくなる。目の前に推しがいる多幸感と緊張感で、クリスティアは呼吸の仕方さえ忘れそうになった。
「今日は静かだな」
形のいいクラウスの唇が開くのに気を取られ、少し遅れて吐息に近い声がこぼれる。最高傑作の彫像に似て完璧な造形ではあるが、感情が窺えなかった。
「夜会の日は随分と饒舌な方だと思った。手紙もまた、その印象どおりだったが……」
淑女の仮面を被り、上品さを演出しても今更だったとクリスティアは気づく。
もういっそ取り繕うことなくすべて正直に言葉にしてしまおうかと考え、ふとある可能性が浮かんだ。
(もしかして、ここはプレゼンの場?!)
確かにお飾りの妻としてクリスティアがいかに有用かと売り込むには、絶好の機会と言える。クラウスに会えることに浮かれて、会話のシミュレーションをしてこなかったことを悔やむ。
「このような機会をいただけるとは思わず、ルドウィグ公爵様と向きあえた幸せを噛みしめておりました」
は、と微かな吐息がクラウスからこぼれる。この重要な場で見惚れて何もアピールしないなど、呆れもするかとクリスティアは反省した。
「ベラーニ伯爵令嬢、質問しても?」
「はい」
質疑応答だと理解して、まっすぐにクラウスを見つめるが、圧倒的な美が心臓に悪い。
けれどここで失敗すれば、お飾りの妻の座は得られなくなる。前世の就職活動の面接時よりも、クリスティアは気合いを入れた。
「その前に、俺は社交とは縁がない。言葉が不躾になったらすまない」
「かまいません」
むしろ素が垣間見える感じで、ときめく。
「では率直に訊くが、あなたは本当に呪いを解くことができるのか?」
「できる、と思います。ただお時間をいただきますが」
傍らでレーテが頷く。
夜会の後で念のために確認したが、呪いが受け継がれたことで奥深くまで根を張っているらしい。徐々に取り除いていく方が魂に傷をつけないと、レーテが教えてくれた。
ある意味、聖力を封印していてよかったのかもしれない。
うっかりえいっと全力で解呪に臨んでいたら、クラウスの魂に傷をつけていた。
「俺に求婚していたが、伯爵家の嫡女では?」
「弟がおりますので」
まったく問題なくお飾りの妻になれます! と力説したいが、クリスティアは堪える。まずはクラウスの疑問に真摯に答えるべきだ。
「ベラーニ伯爵は、呪われた家に嫁ぐことに反対しないのか?」
「結婚相手は私に一任されています」
大丈夫です! と意気込み断言してすぐに、すまない父、とクリスティアは心の中で謝罪する。
求婚したことすら伝えていない。見事に失念していた。
「我が家に嫁ぎ呪いを解くと言うが、益はあるのか?」
その疑問はもっともだった。
比較的裕福な伯爵家とはいえ、クラウスならばもっと条件のいい相手を迎えることができる。
「やっぱり弱みにつけ込んでいますよね……でもクラウス様へ向ける私のこの想いに嘘偽りはありません! あ、使用人として雇ってもらってもいいのか」
住み込みにしてもらえれば、路頭に迷うこともない。
呪いを解く機会はあるし、眺めることもできた。
「なぜそうなる」
「え」
「使用人などと」
「もしかして、口に出してました?」
また心の声がこぼれていたらしい。
クラウスのお飾りの妻は理想ではあるが、やはりおこがましさはあった。
「身体が弱いのではないのか?」
そんな設定もあったと、クリスティアは思い出す。
考慮してくれるクラウスの優しさに『好き!』と、心の中で叫んだ。
「実は、引きこもるための建前で、実際は健康体です」
こうして公爵邸へ招き入れるのだから、ある程度の調べはついているだろうが自己申告しておく。
「それは何よりだ」
「お気遣い感謝いたします」
自然とクリスティアは表情が綻ぶ。
嬉しそうだな、とレーテの呟きが聞こえた。
「婚姻を結ぶにあたり、望むことは?」
この話の流れは可能性ありでは!? と、クリスティアは落ち着いていた鼓動がまた騒ぎ出す。
「率直に言っても?」
「ああ」
「ぜひ公爵家の権力を使っていただき、最短で婚約を結び、こちらへ住居を移せればと思います。呪いの状態を見つつ解呪できますし、婚約者ならそばにいても不自然ではありませんから」
社交もしない伯爵家の娘が頻繁に公爵家へ出入りしているなど、いらぬ憶測を呼ぶ。そのせいでうっかり聖力があるなどバレたら、また搾取の人生だ。
「あの、我侭を言わせてもらえれば、時々お茶でもご一緒していただけたら嬉しいです」
駄目かな? 贅沢な主張かな? と、クリスティアはクラウスを窺う。
「他にないのか?」
「そうですね……あ、もし仮にですが、ルドウィグ公爵様が真実の愛を見つけ、私と婚約解消、または離縁したいとなった場合、実家に戻らなくても暮らせるようにしていただけたらありがたいとは思います」
一度ベラーニ家から出れば、戻ることなど義母が許さないはずだ。
ジェイドの人生を振り回したくもなかった。
「ありえないだろうが、承知した」
即答だった。
本当に条件が良すぎて、弱みにつけ込んだクリスティアが悪女に思えてきた。
「俺との婚姻にはかなり煩わしさも付随するが、いいのか?」
「それは躊躇する理由にはなりません」
推しのためなら苦労も厭わない。
そんな心意気でクリスティアが言い切ると、クラウスの口元が緩んだ気がした。
「ベラーニ伯爵令嬢、あなたの求婚を受けよう」
その台詞を耳にした瞬間、時間が止まったような錯覚を覚える。
ぎゅっと握った手のひらに感覚があり、夢や妄想ではない。
緩みそうになる表情を、必死に引き締める。それでも込み上げる喜びは抑えきれず、クリスティアは唇から小さな笑みがこぼれた。




