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今夜の夜会は顔を見せるだけだと、クラウスがあらかじめ御者へ伝えていたので馬車はすでに用意されていた。専属なので手際が良い。
「お戻りになりますか?」
「ああ」
「かしこまりました」
馬車に乗り込み、クラウスは王城を後にする。夜会の場に顔を見せた時点で、王家に対しての義理は果たした。抜け出したところで問題はない。
わずらわしさしかない場に、長居は無用だった。
自然と、クラウスの唇からため息がこぼれる。短時間の滞在ではあったが、疲れた気分だ。
向けられる雑多な視線、思惑は鬱陶しい。
特に王女ヘレナに、クラウスは関わりたくなかった。
国王夫妻が甘やかすせいで、我が侭に、傲慢に育っている。いつからかクラウスに執着し、まるでおもちゃを欲しがる感覚で、手に入れようと躍起になっていた。
おぞましささえ感じる執着に辟易し、ヘレナが参加する夜会には欠席を決めることさえある。王家はルドウィグ家が呪われた元凶だというのに、求婚状を送ってくるその面の皮の厚さに呆れ、いっそ清々しささえ覚えた。
正式に断りを入れたのに、ヘレナに諦める様子はない。
国の戦力の要であるルドウィグ家に強くは出られないと理解はしているらしく、ヘレナの独断という形を取って、王家は行動を黙認している。今もなお女神の力を残すルドウィグ家を、手中に収めたい思惑をクラウスは察していた。
本当に、己の欲ばかりだ。
だからこそ、民を守るべき王族が国を傾ける愚かなことができる。今夜も無駄に金を使い、華美に着飾っていた国王一家の姿が浮かんだ。
女神に見放されることとなった所業を反省し、悔い改めているかも怪しい。
そんな家族と折りが合わず、本来の王位継承者である第一王子は教会へ身を寄せている。現在の王太子は第二王子だ。
王家はかつての栄光を取り戻そうと躍起になっていて、その思惑で結ばれた、魔力を持つ侯爵家の優秀な令嬢を口うるさいとローラントは冷遇している。社交界と距離を取っているクラウスですら知るところで、良識ある者なら誰もが、いずれ見限られると考えていた。
(愚かなやつだ)
第一王子は王家の愚行を悔い女神へ謝罪と祈りを捧げているのに対し、ローラントは力を奪われた恨みを募らせている。そもそもの原因は、愛し子である聖女を魔の贄にしようなどと画策したからで、それを棚に上げるなど筋違いもいいところだった。
当時、権力者たち特有の自己中心的な思惑があったのかもしれない。
詳しくは知らないし興味もないが、王家が主導した聖女を贄とする儀式をクラウスの祖父が中断させ、呪いを受けたのは確かだった。
――愚かな者たちに、加護を与え続ける道理はありません。
――愛し子を助けた勇気にはわたくしの加護を。
――受けてしまった呪いが進行しないように祝福を。
断罪、慈悲を与えた後、女神は力を使い果たし眠りについた。
祖父が当主の時の話であり、その場にいた父からクラウスは話を聞いた。
当時の混乱はすごかったらしい。
それもそのはずだ。
使えたはずの魔法が使えない。
元々弱まっていた傷や病を癒やす聖力がさらに弱まり、教会治療院は機能しなくなった。
王家も、教会上層部も、力を失った者は女神に断罪されたということだ。
ルドウィグ家は力を失うどころか以前より力を増したが、呪いも同時に身に宿している。呪いが刻まれた右手へ、クラウスは視線を落とした。
今は黒い手袋に覆われ、印は見えない。
呪いも祝福も血筋に受け継がれるものであり、接触で移ることはないが人は自然と忌避感を覚える。家族以外で躊躇なくクラウスに触れる者は、ほとんどいなかった。
(右手を取ったのは偶然か?)
先ほどクリスティアが口づけた、右手袋の指先を歯で咥え、無造作に引き抜く。
呪いの印は黒い蔦に似ていて、右鎖骨の下から伸びて肩を覆い、腕を伝って手首へ続いている。遠目では装飾的な刺青にも見えるが、近くで見れば棘が皮膚の下で脈打っていた。
幼い頃からゆっくりと広がっていったものだ。
クラウスの肌に蔓が伸びるたび、棘が増えるたび、父の腕に伸びる蔓は薄くなっていく。今では鎖骨から肩の辺りに、わずかに残る程度にまでなっていた。
(これは……)
クラウスはまじまじと、覆う物のなくなった手を眺める。手の甲に広がっていた黒い蔓はそのままだが、時折痛みを与える棘が半分以上抜け落ちていた。
(まさか、本当に解呪ができるのか?)
呪いが薄くなっていることに、クラウスは驚愕する。今まで定期的に邸に訪れ浄化を試みる教皇でさえも、棘がもたらす痛みを取るだけで呪いを薄くすることさえ叶わなかった。
(ベーラニ伯爵令嬢、か)
緩く波打つ赤紫の髪に、涼やかで軽くつり上がったピンクの瞳、身にまとうシャンパンゴールドのドレスは月光にも似た柔らかな輝きを放ち、華やかな印象を受けた。
――一目見て、恋に落ちました。
肩書き、容姿で好意を向けられることにクラウスは慣れている。けれど跪いて求婚されたのは始めてだった。
ただ台詞とは裏腹に、向けられた瞳には恋焦がれる熱はなかった。
見慣れた、思惑を隠して媚を売る眼差しでもない。
まっすぐで、不快さのない綺麗な瞳だった。
(まさかお飾りの妻を提案されるとはな)
クラウスの知る令嬢たちと違い過ぎて、考えがまったく読めない。
本当に解呪ができるのならば、婚姻を交換条件にすることもできる。お飾りの妻などとは言わず、愛することを強要すればいい。
ヘレナならば平気でクラウスを脅し、間違いなくそうしているはずだ。
けれどクリスティアは、求婚を受けなかったとしても解呪させてほしいと言うから驚く。
(ありがたいのはこっちだろう)
希有な能力を、見返りなしに使うなど信じられない。
実際は対価を提示されるのかもしれないが、お飾りの妻の条件が邸の滞在と三食だった。
(さて、どうするか)
言いたいことだけを言って立ち去ったクリスティアの姿を、クラウスは思い浮かべる。いずれにしろ、もう一度会わなければいけなかった。




