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妖奇譚~怪異の来る探偵事務所と、人間をやめかけた男~ ※次回更新5月  作者: Tomato.nit
空の器

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空の器 25


骨上げ室の空気は、どこか張り詰めた静けさに満ちていた。白いタイル張りの床の上には影が広がり、その中心に蒼良が立っている。影は先ほどまで巣のように蠢いていたが、蒼良の言葉を聞いたあとからわずかに揺らぎ、その形を保つことすら迷っているように見えた。


「探そう」


蒼良の声は大きくはない。それでもその言葉は骨上げ室の奥まで静かに届き、白い壁に反射して、まるで空間そのものが聞き入っているかのような余韻を残していた。


床いっぱいに広がっていた影が、ゆっくりと波紋のように揺れる。まるで息を止めていた何かが、次の瞬間にどう動くべきかを考えているようだった。


そのときだった。


「それを連れていかれると困るんですよ」


声だけが、室内に落ちた。


それは大きな声ではない。むしろ、どこか穏やかな響きを持っていた。しかしその一言は、骨上げ室の空気を一瞬で変える力を持っていた。


「誰!?」


美香が反射的に声を上げる。


同時に彼女は一歩前へ出て、蒼良を背中に庇うように立った。その動きは迷いなく、まるで考えるより先に身体が動いたかのようだった。


竜胆の視線が室内を鋭く走る。拳銃はすでに手の中にあり、銃口はわずかに下げたまま、いつでも持ち上げられる位置で固定されていた。


朔夜は静かに月光の柄へ手を置いている。刀はまだ抜かれていないが、その姿勢はすでに戦闘のそれだった。


鈴は巡煙簫を指先で支えながら、ゆっくりと周囲の気配を探っている。


そして奏灯だけが、ほんの一瞬だけ息を呑んだ。


その感覚には覚えがあった。


未来視の中で、何度か見えた不快な影の気配。具体的な姿は見えないのに、ただ確かにそこにいると分かる存在。影に覆われた未来の断片の中に、必ず混じっていたあの感触。


「……あ」


奏灯の口から小さな声が漏れる。


「この人だ」


その言葉とほぼ同時に、骨上げ室の隅の影がわずかに濃くなった。


壁際の暗がりが揺れる。


最初は影が形を変えただけに見えた。しかし次の瞬間、そこには人影が立っていた。


黒いコートを着た男だった。


いつからそこにいたのか分からない。まるで最初からそこに立っていたかのような自然さで、男は壁際に背を預けるように立っている。


「どうも」


男は軽く片手を上げた。


その口調はあまりにも気軽で、この場所の異様さとはどこか噛み合っていない。


竜胆の眉がわずかに動く。


「……あんたか」


団地で聞いた足音が脳裏に浮かぶ。


夜の廊下を歩く、誰もいないはずの足音。


コツ。


コツ。


あの音の主が、今目の前にいる。


朔夜は男を一瞥し、小さく息を吐いた。


「なるほどな」


その声音には、わずかな納得が含まれている。


鈴ははっきりと言った。


「怪貨連ですね」


男は少しだけ目を丸くした。


「おや、よくご存じで」


しかしその表情に驚きはほとんどない。むしろ、予想通りだと言わんばかりの落ち着きだった。


男は視線をゆっくりと室内に巡らせる。朔夜、鈴、竜胆、美香、奏灯。そして最後に蒼良へ。


その目だけが、わずかに細くなる。


「いやあ」


男は肩をすくめた。


「これは予想外ですね」


骨上げ室の白い棚を一瞥する。


「虚巣をまとめて回収できると思って、この場所に誘導していたんですが」


男の言葉に、竜胆の視線が鋭くなる。


「誘導?」


男は軽く頷いた。


「ええ。最近、虚巣の活動が活発になっていましてね。放っておくと被害が増える。ですから、回収のために集めていたんですよ」


その口調は淡々としている。


まるで害獣駆除の話でもするかのようだった。


「火葬場は都合がいい場所なんです。人が最後に来る場所で、今は誰も来ない。空いた空間という意味では、怪異が集まりやすい条件が揃っている」


男は床の影を見下ろす。


「だから、各地の虚巣を少しずつこちらへ誘導していました」


竜胆が低く言う。


「団地の足音か」


男は小さく笑った。


「お気付きでしたか」


「虚巣は空いた場所を探しますからね。少し誘導してやれば、簡単に動くんですよ」


その言葉を聞きながら、奏灯は男の輪郭をじっと見つめていた。


未来視の中で見えた影。


あの不吉な気配。


それが今、確かにここに立っている。


男は再び蒼良へ視線を向けた。


その視線には、先ほどまでとは違う種類の興味が混じっている。


「ただし」


男はゆっくりと言う。


「あなたは完全に予定外でした」


蒼良は何も言わない。ただ静かに男を見ている。


「廃棄された素体が起動しているとは思いませんでしたよ」


美香の眉が跳ね上がる。


「……素体?」


男は当然のことのように答えた。


「ええ。怪異を縫い留める器として作られた存在です。もっとも未完成だったので廃棄されたはずですが」


その言葉に、室内の空気がわずかに揺れた。


美香の視線が蒼良へ向く。


男は続けた。


「しかし起動しているとなれば話は別です。虚巣を収容する器としては、これ以上ない素材ですからね」


朔夜の視線が冷たくなる。


「なるほど」


低く呟く。


「回収係か」


男は軽く頭を下げた。


「ええ。怪貨連の回収担当です」


そして蒼良を指差す。


「ですので、その子はこちらで引き取ります」


その言葉が落ちた瞬間、美香が即座に答えた。


「断る」


男は一瞬だけ目を細めた。


「困りますね」


「困るのはあんたでしょ」


美香は一歩も退かない。


その背中の向こうで、蒼良が静かに立っている。


床の影が、わずかに揺れた。


骨上げ室の空気が、ゆっくりと張り詰めていく。


男は小さく息を吐き、肩をすくめた。


「まったく」


その声には、どこか本当に困ったような響きがあった。


「せっかく綺麗に集めたんですがね」


影が、わずかに蠢く。


「ここで全部回収できる予定だったんですよ」


男の視線が蒼良に固定される。


「あなたが余計なことを始めなければ」


蒼良は、その言葉を静かに聞いていた。


床の影は、まだ揺れている。


まるで、何かを待つように。



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