第39話 夜営業初日、静かすぎる
その日の夜。
『喫茶ミナト 王都店』は、初めての夜営業を始めていた。
「……静かだ」
俺は、思わず呟いた。
昼間とは別世界だった。
騒がしい行列もない。
整理券もない。
貴族の怒鳴り声もない。
店内には、落ち着いた灯りだけがある。
すると。
リリアが、静かにカップを並べながら微笑む。
「いい感じですね」
「まあ、これはこれで落ち着くな」
昼の『喫茶ミナト』は、もはや戦場だった。
だが夜は違う。
皆、静かだった。
疲れ切っているから。
すると。
入口のベルが、小さく鳴る。
カラン。
「……いらっしゃいませ」
入ってきたのは、文官服の女性だった。
隈。
書類。
死んだ目。
「あっ」
「完全に夜のお客さんだ」
女性は、ふらふら席へ座る。
「……フレンチトーストを」
「はい」
「あと、黒薬を……」
「夜なのに飲むんだ」
すると女性は、虚無の顔で答えた。
「まだ帰れないので……」
「お疲れ様です」
王都、やっぱり終わってる。
その後も。
カラン。
「……こんばんは」
カラン。
「空いているか……?」
カラン。
「黒薬、濃いめで……」
夜の客が、静かに増えていく。
皆、疲れていた。
昼みたいに騒がない。
ただ席へ座って、ため息を吐く。
そして。
コーヒーを飲む。
フレンチトーストを食べる。
少しだけ、顔が緩む。
その繰り返しだった。
すると。
アリシアが、小さな声で言った。
「昼とは別のお店みたいですね」
「そうだな」
「皆、静かです」
「疲れているからねぇ」
すると。
奥の席で、魔導師たちがぼそぼそ会話していた。
「……今日、塔に帰りたくない」
「分かる」
「ここ泊まれないかな……」
「漫喫みたいなこと言い始めた」
だが。
本当にそんな空気だった。
帰る前に。
少しだけ現実から逃げ込む場所。
その時。
リリアが、ぽつりと呟く。
「店主」
「ん?」
「夜の喫茶ミナト、好きかもしれません」
「お前も?」
「昼より、皆ゆっくりしています」
確かに。
昼は賑やかで楽しい。
でも夜は、“休みに来ている”感じが強かった。
すると。
カウンター席にいた老齢の文官が、小さく笑う。
「……若い頃、こういう場所が欲しかったですな」
「え?」
「王都は昔から忙しい街でしたから」
彼は、温かいコーヒーへ目を落とした。
「皆、“休み方”を知らんのです」
「……」
「だから、ここへ来ると安心する」
その言葉に。
店内の何人かが、静かに頷いた。
その時だった。
入口のベルが、勢いよく鳴る。
カランッ!!
「店主ぅぅぅ!!」
「うわっ」
飛び込んできたのは、限界文官だった。
息切れ。
大量の書類。
完全に修羅場顔。
「た、大変です!!」
「夜営業の空気壊れた」
すると。
限界文官は、肩で息をしながら叫ぶ。
「閉店時間を知った文官たちが絶望しています!!」
「知らんがなぁぁぁ!!」
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