第三話「棺桶の中の十二の舞踏」
完成した「ラジオ体操第四」の身体運動については、当時の関係者たちが残した断片的な流出資料によって、現在ではその悍ましい姿をほぼ復元することが可能となっている。
それは全十二節の運動から成り立っており、所要時間はわずか四分十五秒であると構成されていた。カップ麺の待ち時間と大差ないこの短い時間の中に、人間の肉体を内側から破壊し、再構築するための地獄が凝縮されている。
この体操の最大の特異性は、おなじみの第一体操や第二体操とは根本的に異なる力学にある。それは「全動程における持続的最大等尺性収縮(Continuous Maximal Isometric Contraction)」と呼ばれる異常な筋肉の使役方法である。
等尺性収縮とは何か。簡単に言えば、関節の角度を変えずに筋肉に力を入れ続けることだ。例えば、絶対に動かない壁を全力で押し続けている状態を想像してほしい。筋肉は収縮しようとしているが、対象が動かないため、エネルギーは行き場を失い、凄まじい内圧となって己の肉体へと跳ね返ってくる。
なぜこのような自傷行為にも等しい肉体運動が採用されたのか。理由は単純かつ絶望的である。彼らが搭乗する『虫籠』計画の単座式カプセル(天翔一号)は、内部の容積が一・八立方メートルという極限の狭隘空間であったからだ。
この棺桶のようなカプセル内部で行うことを大前提としているため、第一や第二体操のように、手足を空中で大きく振り回すような動作は物理的に一切存在しないのである。
外部の観察者から見れば、彼らの姿は奇妙を通り越して滑稽にすら映るだろう。直立したまま微小な角度で関節を曲げ、ただ全身を小刻みに震わせているようにしか見えないからだ。しかし、その静寂の内部では、主動筋(動かそうとする筋肉)と拮抗筋(それに逆らう筋肉)を同時に百パーセントの力で収縮させ続けるという、生体への極悪な負荷がかけられている。彼らの体内では、行き場を失ったエネルギーによって骨がきしみ、血管が悲鳴を上げるほどの凄まじい内圧が生み出されているのである。
以下に、流出資料から復元された第一節から第十二節までの全容を、その生理学的な狂気とともに解剖していく。
第一節:『呼吸連動求心性覚醒運動』
宇宙への旅は、息を吐き切ることから始まる。この運動の目的は、低酸素耐性の獲得と肺胞内圧の上昇である。
まず、両踵を密着させ、爪先を百二十度に開く。この不自然なガニ股の姿勢から、両腕をゆっくりと交差させながら頭上へ挙上していく。普通ならここで深呼吸をするところだが、マル四は逆である。このとき、肺内の空気を七秒という長い時間をかけて完全に呼出し、横隔膜を限界まで引き上げるのだ。肺が真空パックのように萎んだ状態から、次いで一秒で全肺気量を一気に吸入し、声帯を完全に閉鎖した状態で息を堪える。
これは、固体ロケット点火時の爆発的初加速による血液の脚部降下(ブラックアウト=失神)を防ぐための儀式である。急速なGによって血液が足元へ奪われれば、脳は酸欠に陥り一瞬で意識を失う。それを防ぐため、強制的に胸腔内圧を高めるバルサルバ法の極限応用を行うのだ。これにより、脳への血流を物理的に固定する強固な血管反射を形成するのである。
第二節:『大胸筋及び肩甲帯完全拘縮運動』
ロケットの推力は、搭乗員の胸を背骨に向かって容赦なく押し潰そうとする。この運動の目的は、前後方向の重力加速度(G)による胸郭圧壊の防止である。
動作としては、両腕を胸の前で円を描くように構え、左右の掌を合わせる。そのまま、右腕は左へ、左腕は右へと、互いに全身全霊の力で押し合う。それと同時に、背中の肩甲骨を外側へ引き剥がすように広背筋を極限まで緊張させる。
前胸部と背部の筋肉群を同時に最大収縮させることで、肋骨の周囲に強固な「筋肉の鎧(筋性コルセット)」を形成するのだ。鋼鉄のコルセットを自らの肉肉で編み上げることで、最大12Gという致死的な重力加速度に晒されても、内臓が背骨に押し潰されるのを防ぐのである。
第三節:『頸動脈洞反射制御運動』
首は、重い頭部を支えるための最も脆弱な支柱である。目的は、脳血流の強制維持と頸椎のロックだ。
まず、顎を極端に引き、胸鎖乳突筋(首の太い筋肉)を鋼鉄のように硬直させる。その状態を維持したまま、頭部を左右に一ミリだけ動かそうとし、それを自らの首の力で相殺して完全に静止させるのである。
これは戦闘機パイロットが用いる「対G動作(AGSM)」の頸部特化版と言える。首の動脈を自らの筋肉で圧迫・保護することで、ロケットの異常振動による頸動脈洞反射(血圧が急低下する生理反応)を無効化し、意識の喪失を力技で防ぐのだ。意識を保つために、自らの首を絞め上げるような倒錯した防衛術である。
第四節:『脊柱圧縮対抗屈伸』
人間の背骨は、積み木のようなものだ。上から巨大な圧力をかければ、容易に砕け散る。目的は、推進軸Gによる脊椎圧迫骨折の完全防止である。
膝をわずかに曲げ、骨盤を後傾させた状態で、頸椎から尾骨に至る三十三箇所の椎骨を、下から一つずつ意識的に「噛み合わせる」ように全身を硬直させる。腕は前に伸ばし、目に見えない巨大な鉛の球体を押し潰すかのように指先を鉤爪状に固定する。
垂直方向の凄まじい衝撃荷重を、脆い骨組織で受け止めるのではない。脊柱起立筋と腹横筋の「油圧ジャケット構造」によって分散吸収するのである。恐るべきことに、この動作中、被験者の身長は一時的に一〜二センチ縮むという。自らを圧縮することで、さらなる圧縮から逃れるのだ。
第五節:『腹腔内圧爆発的保持運動』
大気圏を抜けた瞬間、Gから解放された内臓は無重力によって体内で浮き上がろうとする。また振動によりカプセル内の密閉が不完全となった場合、急激な減圧に晒される可能性がある。この目的は、消化器官の破裂防止と臓器の定位置固定である。
腹直筋、腹斜筋に最大の力を込めながら、同時にへそを背骨にくっつけるイメージで腹横筋を極限まで収縮させる(ドローインとブレーシングの同時実行)。息は決して吐かず、腸が内側から破裂する寸前の圧力で数秒間耐え抜く。同時に内臓が浮き上がり肺や心臓を圧迫するのを防ぐためだ。これは内臓を筋肉の檻に閉じ込める、一種の生体パッキング技術である。自らの内臓を真空パックにする男たちの姿を、誰が「体操」と呼べるだろうか。
第六節:『下肢静脈弁強制閉鎖運動』
戦闘機パイロットは耐Gスーツを着るが、初期の宇宙計画においてその装備はあまりにも未熟だった。この運動の目的は、耐Gスーツの完全な肉体的代替である。
直立状態から膝を三度(わずか数センチ)だけ曲げる。その瞬間、足の指先で床を鷲掴みにし、ふくらはぎ(下腿三頭筋)、太もも(大腿四頭筋・ハムストリングス)、そして大臀筋までの全下半身の筋肉を同時に百パーセントの力で硬直させる。
下半身の静脈を、外部からの空気圧ではなく、自らの筋肉の圧力で物理的に押し潰し、血液が足に溜まるのを防ぐのだ。当時の未熟な耐Gスーツ(圧迫服)の圧力伝達の遅延を補うため、自らの筋肉で強制的に血液を上半身へ逆流させるのである。
第七節:『末梢微小循環遮断並びに強制還流運動』
宇宙空間は、放射線の海である。薄い船殻を貫通する宇宙線から身を守るため、彼らは血流すらコントロールした。目的は、宇宙線被曝時の重要臓器保護と毒素排泄である。
左右の肩甲骨を背部中央で極限まで引き寄せ、鎖骨下動脈を一時的に圧迫する。腕部への血流を数秒間意図的に完全遮断(虚血状態)させた後、号令とともに一気に脱力し、爆発的な血流再灌流を起こす。
高エネルギー粒子線が船体を貫通した際、造血幹細胞が存在する骨髄への放射性活性酸素の滞留を防ぐためだ。虚血からの再灌流という非常に強いストレスを細胞に与えることで、細胞修復を促すヒートショックプロテインの分泌を強制的に引き出すのである。
第八節:『胸郭拡張並びに横隔膜固定呼吸』
第七節の過酷な血流操作は、心臓に甚大な負担をかける。そこで、爆発的血流再灌流で乱れた心拍を、ここで強引に統制する。目的は閉鎖空間でのパニック抑制と肺胞の強制拡張である。両腕を斜め下へ強く押し下げながら、肋間筋だけで無理やり胸郭を押し広げる。横隔膜は一切動かさず、鎖骨の下だけで浅く、しかし暴力的な速度で呼吸を三回繰り返すのだ。
宇宙空間特有の「閉所性パニック」による過呼吸を、論理的な思考ではなく、物理的に不自然な呼吸パターンを上書きすることで中枢神経から強制リセットするのである。狂った呼吸で、狂った精神を相殺する。
第九節:『内臓自己修復的捻転運動』
無重力下では、腸は怠ける。蠕動運動が停止すれば死に直結する。目的は、無重力環境下におけるイレウス(腸閉塞)の防止である。
下半身をコンクリートで固められたかのように微動だにさせず、腹筋群を硬直させたまま、腰椎だけで上体を左右に捻る。動作は極めて遅く、雑巾を限界まで絞り上げるような感覚で行う。
無重力で蠕動運動が停止し、腸の内容物が滞留して腐敗するのを防ぐためだ。分厚い腹筋の装甲越しに、自らの内臓を物理的に「揉み潰し」、強制的に消化管を動かすのである。それは一種のセルフ・拷問マッサージとでも呼ぶべき猟奇的な動作である。
第十節:『前庭小脳系同期捻転』
無重力は三半規管を狂わせ、激しい嘔吐を誘発する。目的は、重力喪失時の激甚な空間識失調(宇宙酔い)の完全無効化である。
眼球を極限まで左上方に固定したまま、頸部を右下方に回旋させ、体幹はさらに逆方向へ捻る。三半規管からの入力と視覚情報を意図的に完全乖離させるのだ。さらにここで、伴奏である服部正信が設計したポリリズム(ピアノの旋律が三拍子、低音打楽器が四拍子)が脳を直撃する。
宇宙酔いの原因である「視覚と三半規管の情報のズレ」に対し、地上で人為的にさらに強力なズレを引き起こし、脳の平衡感覚処理を意図的に「クラッシュ」させるのである。音楽と捻転を用いた、前代未聞の神経的ショック療法だ。
第十一節:『大脳皮質・辺縁系乖離運動』
大気圏再突入の炎と、機体が分解するかのような振動。その恐怖に打ち勝つためのメソッド。目的は、恐怖心の物理的切除と痛覚の遮断である。
全身の筋肉の緊張を維持したまま、顔面の表情筋のみを独立して操作する。奥歯を砕けんばかりに噛み締めながら、口角を極限まで引き上げて「笑い」の表情を作るのだ。同時に、意図的に瞳孔を開くよう眼筋に意識を集中する。このとき、伴奏ではピアノの最低音域(超低周波)による不協和音の連打が響き渡る。
大脳辺縁系(恐怖を感じる部位)の活動を、表情筋からの強烈なフィードバック信号でバグらせるためだ。「笑っている=安全である」という偽の信号を脳に強制送信し、大気圏再突入時の炎と絶望的なGに対する恐怖を薬物なしで麻痺させるのである。極度の緊張状態の中で満面の笑みを浮かべる宇宙飛行士の姿は、悪夢以外の何物でもない。
第十二節:『全神経系・筋繊維強制初期化運動』
すべての狂乱が終わり、日常へと帰還するための最終シークエンス。目的は、蓄積した乳酸の散乱と、致死的な強直状態からの生還である。
ここまで限界まで高めてきた全身の等尺性収縮を、指先、手首、肘、肩、首、体幹の順に、コンマ一秒のタイミングをずらしながら「ドミノ倒しのように」解除していく。そして最後は完全に虚脱し、操縦席に身体を預けるのだ(無重力下であれば、空中に死体のように浮かぶことになる)。
これは、急激に全身の力を抜くことで生じるショック死(急性心不全)を防ぐための、段階的リセットプログラムである。この第十二節が終わった瞬間、被験者の体温は平熱より二度近く上昇し、汗腺からは霧のように汗が噴き出すという。
以上が、四分十五秒間にわたって展開される「ラジオ体操第四」の全貌である。
それは体操などではない。国家の都合によって生身の肉体を機械部品へと強制的にアップグレードするための、十二個の科学的呪術の体現である。この狂気のプログラムを完遂したとき、彼らはもはや人間ではなく、巨大なミサイルの先端に取り付けられた、笑う生体パーツへと成り果てているだろう。
最後までお付き合いいただき感謝します。
さすがに無理矢理になってきました(笑)
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「南山共和国建国史シリーズ」
https://ncode.syosetu.com/s0124k/
ご興味がある方はご一読くださいませ。




