第三話「黒騎士ミサキ・ヴァレンティア」
王都アルヴェリア・北門。
「私、この国で一番強いから」
「…………」
朝日を背にして、黒騎士は言い切った。
黒と金を基調とした騎士装束。
腰には剣。
長い髪が、朝の風になびいている。
そして何より――本人がまったく冗談を言っている顔ではない。
「自分で言うんですね」
「事実だから」
「すごい自信だ……」
「不安なら試してみる?」
「何を!?」
「剣」
「出発前に護衛対象を斬ろうとしないでください!!」
「冗談」
「表情変えずに言わないでもらえます!?」
ほんの少しだけ。
ミサキの口元が緩んだ。
どうやら――笑っているらしい。
(……分かりづらい人だな)
「行くよ、ケント伯」
「あ、ちょっと待って」
「?」
「その『ケント伯』っていうの、ずっと?」
「伯爵でしょう?」
「そうだけど……旅の間ずっとそれだと疲れる」
「…………」
「普通にケントでいいですよ」
ミサキは一瞬だけ目を細めた。
「……変な貴族」
「それ、今日二回目ですよ」
「じゃあ、ケント」
「はい」
「行くよ」
「切り替え早っ」
こうして二人は、王都を離れ北へ向かった。
◆
王都を出て、数時間。
会話がない。
馬を並べて進む二人の間に聞こえるのは、蹄が街道を叩く音ばかりだった。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
(気まずい)
ケントは試しに横を見る。
ミサキは真っ直ぐ前を見ていた。
(怒ってる……?)
「何?」
「いやっ!?」
突然声をかけられ、ケントの肩が跳ねた。
「さっきから三回見た」
「数えてたの!?」
「護衛だから」
「……ミサキさんって、普段からこんな感じ?」
「こんな感じって?」
「静かというか……」
「必要なことは話す」
「なるほど」
再び沈黙。
「…………」
「…………」
「…………」
「……何?」
「いや、会話終わるの早いなって」
「旅に会話って必要?」
「俺は欲しいです!」
ミサキは少し考え込んだ。
やがて――
「……趣味は?」
「お見合い!?」
「会話したいって言ったでしょう!」
「そうだけど!」
初めて、ミサキの表情がはっきりと崩れた。
「あ」
「何」
「今、ちょっと怒った」
「……前見て」
「はい」
ケントは言われた通り前を向く。
どうやら、この黒騎士。
思っていたより面白い人なのかもしれない。
◆
しばらく進んだところで――
「ちょっと止まって!」
「!」
ミサキは瞬時に手綱を引いた。
同時に腰の剣へ手を伸ばし、周囲へ鋭い視線を走らせる。
「何がいる?」
「あそこ!」
ケントが指差す。
敵か。
魔物か。
あるいは――伏兵か。
ミサキの視線がその先を捉える。
しかし、そこにあったのは。
「光めっちゃ綺麗じゃない!?」
「…………」
森の隙間から差し込む朝日。
薄い霧の中に、何本もの光芒が伸びていた。
「ちょっと撮ってくる!」
ケントは馬から飛び降り、魔導撮影機を構える。
カシャ。
少し移動する。
カシャ。
今度は姿勢を低くして――
カシャ。
「…………」
ミサキは無言でその様子を見ていた。
ケントはさらに数歩、森へ近づいていく。
「ケント」
「もうちょい!」
「街道から離れない」
「あと一枚!」
「離れない」
「はい……」
数分後。
満足そうな顔で、ケントが戻ってきた。
「いやー、よかった」
「……」
「見ます?」
「別に」
「そうですか」
ケントが魔導撮影機をしまい、馬へ戻ろうとする。
「…………」
「?」
「……一枚だけ」
「見るんじゃん」
「うるさい」
「でも、今は宿に戻ってからにしましょう」
「?」
「ここでは見られないので、宿で現像しましょう」
ミサキは一瞬、魔導撮影機へ伸ばしかけた手を止めた。
「……合理的」
「でしょう?」
「宿に着いてから、見せて」
「はい」
二人はそれ以上、魔導撮影機を気にすることなく、再び馬を進めた。
◆
その日の夜。
二人は街道沿いの宿場町へたどり着いた。
「疲れたぁ……」
「まだ一日目」
「騎士基準で言わないでください」
二人は小さな宿へ入る。
「お二人ですか?」
宿の主人が声をかけてきた。
「はい」
「ちょうど良かった。今日は混んでましてね」
「?」
「空いている部屋が――」
ケントの背中に嫌な予感が走る。
「一部屋だけなんですよ」
「…………」
「…………」
「俺、馬小屋で」
「早い」
「いやいやいや! 男女で一部屋はまずいでしょう!?」
「私は気にしない」
「俺が気にする!」
「護衛対象と離れる方が危険」
「でも……」
「それとも――」
ミサキが一歩近づく。
「?」
「私があなたに何かするとでも?」
「そういう意味じゃ――」
「安心して」
そして、耳元で小さく囁いた。
「私にも選ぶ権利があるから」
「…………」
数秒の沈黙。
「なんか傷ついた!!」
「ふふ」
今度は分かった。
完全に笑ってる。
二人は主人に案内され、部屋へ入った。
そして――
「ベッド二つあるじゃん!!」
主人が不思議そうな顔をする。
「一部屋と言っただけですが?」
「先に言ってよ!!」
「…………っ」
後ろから、小さな声が聞こえた。
「?」
ミサキが顔を逸らしている。
肩がわずかに震えていた。
「……笑ってます?」
「笑ってない」
「絶対笑ってる!」
「……ふふっ」
初めて聞いた。
声を出して笑うミサキの声。
「やっと普通に笑った」
「……何それ」
「ずっと怖い人なのかと思ってた」
「失礼ね」
「初対面で『変な貴族』って言った人に言われたくないです」
「それは事実」
「まだ言う!?」
◆
その夜。
ケントは机に座り、今日撮った写真を宿に戻ってから現像していた。
「何してるの?」
ベッドに腰掛けていたミサキが尋ねる。
「今日撮った写真を現像してます」
「毎日するの?」
「だいたい」
森。
街道。
馬車。
途中で通り過ぎた村。
撮影した写真を一枚ずつ現像していく。
そして――
「……止めて」
「?」
現像された一枚の写真を、ミサキが見つめていた。
休憩中。
馬のそばに立つミサキ。
本人はこちらを見ていない。
風に長い髪が揺れ、その向こうから夕方の柔らかな光が差している。
「…………これ」
「あ」
「いつ撮ったの?」
「夕方」
「勝手に?」
「……ごめんなさい」
「…………」
怒られる。
そう思った。
しかし――
「……その写真、残しておいて」
「え?」
「……別に」
「いいんですか?」
「うん」
そして少し間を置いて。
「……あとで、私にもください」
「もちろん」
「…………」
「気に入った?」
「調子に乗らない」
「はい」
ミサキは窓の外へ顔を向けた。
その頬がほんの少し赤くなっていたことに――
ケントは気づかなかった。
◆
一方その頃。
遠く離れたアステリア伯爵領。
《星灯り亭》。
「…………」
フウカは、ケントから届いた手紙をもう一度読んでいた。
そこには、短い一文が記されている。
『帰ったら、また一緒に撮りに行きましょう』
「……ちゃんと帰ってきてくださいね」
窓の向こうには、静かな夜空。
そして――同じ月。
フウカはまだ知らない。
その月の下。
ケントの隣に――
黒騎士ミサキ・ヴァレンティアがいることを。
そしてミサキも、まだ知らない。
ケントが大切に持っている、もう一枚の写真。
夕日に微笑む――
フウカ・リーヴェルの写真を。
三人の運命はまだ――
交わり始めたばかりだった。
――第四話「北へ」 続く。




