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消したい人が、写真の中で笑っている  作者: 明石竜


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第六話 写真に残る距離

 撮影の仕事が一段落すると、今度は私に、クラス委員会が管理している行事写真を確認する仕事が回ってきた。

 委員会には、紗季もいる。

 その名前を頭の中で思い浮かべただけで、胃のあたりがきゅっと縮こまるのを感じた。

「私が行かなきゃ駄目ですか」

 思わずそう聞いてしまった私に、志緒里先輩は困った顔をした。

「担当を代わってあげたいけど、日向はまだ委員会に顔が利かないし、私は進路のことで手が離せなくて。ごめん」

 断る理由は見つからなかった。私は仕方なく、放課後、クラス委員会の教室へ向かった。廊下を歩く足取りは、いつもよりずっと重かった。

 教室に入ると、紗季が数人の生徒と一緒に、行事写真の入ったファイルを整理していた。私に気づくと、他の生徒に何か声をかけ、少し離れた机へ移動した。その一連の動きが、あまりにも自然で、かえって私の胸をちくりと刺した。まるで、私と顔を合わせることを、あらかじめ想定して動いているようだった。

「写真部から来ました。行事写真の確認をお願いされていて」

 私は、あらかじめ用意していた事務的な言葉で切り出した。声が、思ったよりも硬くなってしまった。

「うん。こっちにまとめてあるから」

 紗季も同じように、淡々とした声で答える。二人とも、相手の目を見ないまま、机の上のファイルを一つずつ確認していった。会話は必要最低限で、写真の枚数や、日付の確認といった業務的なやり取りに終始した。ページをめくる音だけが、二人の間に流れる沈黙を埋めていた。

 一通りの確認が終わり、私が帰ろうとしたとき、紗季が小さく口を開いた。

「あの……お願いがあるんだけど」

「何?」

「私が写ってる写真、残さないでほしい」

 私は手を止めた。ファイルを持つ指先が、一瞬だけ強張る。

「どうして」

「別に、理由なんてない」

「理由もなく、そんなこと言わないでしょう」

 紗季は少し黙り込んだあと、視線を落としたまま答えた。窓から差し込む夕方の光が、紗季の頬の輪郭を薄く縁取っていた。

「未桜が嫌なら、私は写っていなくていい」

 その言葉に、私は思わず苛立ちを覚えた。胸の奥で、何かがぐらりと熱くなる。

「私が嫌だからって言ってるの? それとも、紗季が嫌だから?」

「……分からない」

「分からないって、何」

 私の声が、思ったより尖ってしまった。紗季はびくりと肩を震わせたが、それでも何も言い返さなかった。その反応が、また私を苛立たせた。

 いつもそうだった。紗季は自分の意思をはっきり口にせず、いつも相手の様子をうかがって、判断を委ねる。中学時代からずっとそうだった気がする。

「未桜はどっちがいい?」「未桜が決めて」――優しさのように聞こえるその言葉が、今の私には、ただ責任を放り出しているようにしか感じられなかった。当時はそれを、自分を大事にしてくれているからだと思っていた。今は違う。あれは、決める勇気がないだけなのだと、そう思ってしまう自分がいた。

「自分で決めてよ」

 私はそう吐き捨てて、ファイルを鞄にしまい、委員会の教室を出た。背中に、紗季の視線を感じた気がしたが、振り返らなかった。

 廊下を歩きながら、腹立たしさが胸の中でくすぶっていた。足音が、いつもより荒くなる。紗季はいつも、自分では何も決めない。決めないまま、私の判断に流れ込んでくる。それが優しさなのか、逃げなのか、私にはもう区別がつかなくなっていた。

              ☆

 帰り道、日向と一緒になった。委員会での出来事を話すつもりはなかったが、日向は私の様子から何かを察したらしい。夕焼けの色が、二人の影を長く伸ばしていた。

「先輩、紗季先輩と何かあったんですか?」

「別に」

「顔、めちゃくちゃ怖いですよ」

「そんなことない」

 日向はしばらく黙って歩いていたが、ふいに口を開いた。

「先輩たちって、今でもお互いのこと、気にしてますよね」

「してない」

 私は即座に否定した。声が、自分でも驚くほど早口になった。日向は納得していない様子だったが、それ以上は追及してこなかった。

「私、まだ先輩たちが何で絶交したのか知らないですけど」

「知らなくていい」

「はい。でも」

 日向は少し先を歩きながら、振り返らずに言った。

「見てて、あんまり楽しそうじゃないなって、思うだけです」

 その言葉が、思ったより胸に刺さった。楽しそうじゃない。ただ、それだけの一言が、これまで自分がずっと目を逸らしてきたものを、正面から言い当てているような気がした。私は何も言い返せないまま、日向と別れて家路についた。

           ☆

 その夜、私は自分の部屋で、中学時代のフォトアルバムをまた取り出した。理由は自分でもよく分からない。ただ、紗季との会話が思ったより自分の中に残っていて、何かを確かめたい気持ちがあった。

 デスクライトの下で、表紙の色褪せたアルバムをゆっくりと開く。ページをめくると、乾いた紙の音がした。

 ページをめくるたび、様々な出来事が写真とともに蘇ってくる。

 中学一年生の誕生日、紗季が休み時間にこっそり作ってくれた紙の飾り。不格好だったけれど、嬉しくて、しばらく机の引き出しにしまっていた。写真の中の自分は、その不格好な飾りを両手で掲げて、はにかんだ顔で笑っている。

 雨の日、傘を忘れた私に、紗季が「一緒に入ろう」と半分差し出してくれた傘。二人で肩を寄せ合って歩いた帰り道は、今思い出しても、どこか懐かしい温度が残っている。傘を叩く雨音と、隣から聞こえる紗季の笑い声が、今でも耳の奥にうっすらと残っているような気さえした。

 修学旅行先で撮った、二人の失敗写真。片方が変な顔をしようとして、うまくいかずに笑い転げている写真。あのころは、こんな些細なことがどうしようもなくおかしくて仕方なかった。写真の中の二人の表情は、今見ても、思わず頬が緩んでしまうほど無邪気だった。

 嫌な記憶だけではない。

 むしろ、こうして見返してみると、楽しかった時間のほうがずっと多いことに気づかされる。私はその事実に少しだけ戸惑った。紗季のことを、ずっと嫌いだと思い込もうとしていたのに、写真の中の自分は、隠しようもなく幸せそうに笑っている。その事実が、これまで積み上げてきた怒りの土台を、揺さぶってくるようだった。

 それでも、アルバムの最後のページに近づくにつれ、指先が重くなっていった。ページをめくる速度が、自然と遅くなる。

 中学三年生の冬。卒業を間近に控えた頃の写真だった。

 教室で紗季と並んで笑っている私。撮影者は誰だったのか覚えていないが、その一枚だけは、今見ると妙に遠いものに感じられた。

 私はアルバムを閉じ、机の上に置いた。表紙を撫でる指先が、少しだけ冷たく感じられた。

 楽しかった記憶と、傷ついた記憶が、同じ一冊のアルバムの中に並んでいる。それをどう扱えばいいのか、私にはまだ分からなかった。

 引き出しの奥にしまってある、あの古いカメラのことを思い出す。もしシャッターを押せば、この矛盾ごと、簡単に片づけられるのかもしれない。楽しかった記憶も、傷ついた記憶も、一緒くたに消してしまえば、こんな風に夜中に一人で悩む必要もなくなるはずだった。

 でも――。

 私は美冬から預かったメモを思い出した。丁寧な字で書かれた、忘れてしまった記憶のかけら。あれを見たあとで、簡単に紗季を消す決断ができるとは、もう思えなかった。美冬が今、何を失ったのかも分からないまま、それでも何かを失い続けているという事実が、頭の片隅から離れなかった。

 窓の外はすっかり暗くなっていた。街灯の明かりが、カーテンの隙間から細く差し込んでいる。私はアルバムを本棚にしまい、明日の準備を始めた。だが、頭の中では、紗季の言葉が何度も繰り返されていた。

「未桜が嫌なら、私は写っていなくていい」

 その言葉の裏に、本当は何があるのか。私はまだ、知ろうとすることさえ怖かった。ベッドに横になっても、しばらくの間、天井の闇をぼんやりと見つめたまま、眠りにつくことができなかった。

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