表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
消したい人が、写真の中で笑っている  作者: 明石竜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/15

第二話 古いカメラと白い鳥

 白い鳥は、しばらく私を見つめたあと、ようやく答えた。

「フィル」

「え?」

「私の名前。そう呼ばれたことがある」

 声には抑揚がほとんどなく、まるで台本を読み上げているようだった。

 私はカメラを持ったまま机から一歩離れた。床板がわずかに軋む。フィルと名乗るその小さな生き物は逃げる素振りも見せず、机の上に立ったままこちらを見ている。灰白色の羽根が、LED照明の光を反射して、写真の印画紙のような艶を帯びていた。

「そのカメラには、写真に写った人物を消す力がある」

 フィルは前置きもなく、そう告げた。

「消す……?」

「今、お前が見た通りだ。ファインダー越しに黒く見えた人物は、シャッターを押せば、写真から消える」

 私は手の中のカメラへ目を落とした。革の剥がれかけたケース、装飾のない黒い金属。手のひらに伝わる重みは、さっきから何も変わっていない。とても、そんな力を持っているようには見えなかった。

「冗談……ですよね」

「冗談を言うために、わざわざ現れはしない」

 フィルの口調は変わらなかった。感情の起伏がまるで感じられない。それが逆に、この状況の異様さを強めていた。人間なら、こんな話をするとき、少しは声を弾ませたり、あるいは緊張させたりするはずだ。フィルにはその両方がなかった。

「ただし」

 フィルは続けた。

「消えるのは、写真の中の姿だけではない」

「どういうこと?」

「その人物と結びついた記憶や、出来事も、少しずつ形を変える」

 私はすぐには意味を飲み込めなかった。写真から人が消える、というだけでもじゅうぶんに信じがたいのに、記憶まで変わるという。頭の芯のあたりが、冷たい水に浸されたようにしんと痺れた。

「信じられない」

 私は思わずそう口にした。声に出してみると、自分でも都合よく逃げているような気がした。口にすることで、まだ何も決めなくていい猶予を、自分に与えようとしているだけなのかもしれなかった。

「信じる必要はない。試すかどうかは、お前が決めることだ」

 そのとき、廊下から足音が聞こえた。志緒里先輩と日向が戻ってきたのかもしれない。私は反射的にフィルのほうを振り返ったが、机の上には、もう何もいなかった。白い羽根の一枚も残っていない。まるで最初から誰もいなかったかのように。

 部室の扉が開いた。

「あれ、十倉、まだいたの?」

 志緒里先輩が怪訝な顔で入ってくる。進路相談は思ったより早く終わったらしい。後ろから、忘れ物を取りに戻ってきたらしい日向も顔をのぞかせた。

「先輩、忘れ物ですか?」

「あ……いえ、戸棚の整理をしてて」

 私はとっさに、手の中のカメラを背中に隠すように持ち替えた。心臓がまだ少し速い。今、この場でフィルのことを話しても、二人が信じてくれるとは思えなかった。それに、自分自身、何が起きたのか整理できていない。言葉にした瞬間、余計に現実味を失ってしまいそうな気さえした。

「もう暗いし、今日は帰りましょう」

 志緒里先輩の言葉に、私は頷いた。カメラは鞄の中にそっとしまい、三人で部室を出た。廊下の窓から見える空は、もうすっかり群青色に沈んでいた。三人分の足音が、静かな廊下に響いていく。


 その夜、私は自分の部屋でカメラを机の上に置いたまま、長い間眺めていた。デスクライトの光の下で、革のケースの傷がいつもより深く見える。ファインダーをのぞく勇気はなかった。もし本当に、あの黒く塗りつぶされた紗季の姿が見えたら、そのときの自分がどうするか分からなかったからだ。眠りにつくまで、天井の木目を見つめながら、何度も同じ問いが頭の中を巡っていた。あれは、本当に現実だったのか。

 

 翌日の放課後、私はカメラを部室へ持っていき、志緒里先輩と日向に見せた。

「戸棚の奥から、これが出てきて」

「なにこれ、ずいぶん古いフィルムカメラね」

 志緒里先輩はカメラを手に取り、あちこちを確認しながら興味深そうに眺めた。指先で革の継ぎ目をなぞり、レンズの奥を覗き込む。

「メーカー名も型番もない。備品台帳、確認してみようか」

 志緒里先輩は部室の隅にある古い棚から、分厚いファイルを取り出した。写真部の備品を記録した台帳らしく、何十年も前の記録から順に綴じられている。紙はすっかり黄ばみ、めくるたびに乾いた音を立てた。志緒里先輩は慣れた手つきでページをめくっていったが、しばらくして首をかしげた。

「載ってない。少なくとも、私が確認できる範囲では」

「じゃあ、誰かの私物ってことですか?」

 日向が横から覗き込む。

「かもしれないし、記録される前から、ずっとここにあったのかもしれない」

 志緒里先輩はケースの裏地を指でなぞった。

「この文字……『残したくないものを、写してください』か。なんだか意味深ね」

「呪いのカメラみたい」

 日向が興奮気味に言う。目を輝かせて、まるで面白い謎解きでも見つけたような顔をしていた。

「試してみましょうよ。何か写せば、何か起きるかもしれないし」

「面白がってる場合じゃ……」

 私はそう言いかけたが、二人はすでに部室を出て、校庭のほうへ向かおうとしていた。仕方なく、私も後を追った。冷たい廊下の空気が、頬にひやりと触れる。

 校庭の隅には、創立記念のときに建てられたという古い銅像がある。誰も気にも留めないような、色あせた像だった。夕方の光を受けて、その表面がぼんやりと鈍く光っている。日向がカメラを構え、シャッターを切る。

 何も起こらなかった。

 銅像にも周囲にも、目に見える変化はない。フィルの姿も現れない。

「なんだ、普通のカメラじゃないですか」

 日向は少しがっかりした様子で言った。志緒里先輩も肩をすくめる。

「気のせいだったのかもね、十倉」

 二人にそう言われると、私も自分が見たものに自信が持てなくなってきた。もしかしたら、疲れていて幻を見ただけかもしれない。頭の中で、昨夜の出来事が急に色褪せていくような感覚があった。

 それでも、二人が帰ったあと、私は一人で部室に残った。窓の外はすでに暗く、校庭の照明だけがぽつぽつと灯り始めている。

 スマホで、中学時代の写真のデータを開いた。 

 紗季と二人で、修学旅行先の神社で撮った写真だった。肩まで伸ばした黒髪の私は、紗季の隣で少しぎこちなく笑っている。紗季はその横で変な顔をしようとして、見事に失敗していた。写真の端には、当時使っていた消しゴムまで写り込んでいて、それがやけに懐かしく感じられた。

 私はカメラを構え、全画面表示にしたその写真へレンズを向けた。

 ファインダーの中で、写真全体がわずかに揺らいだように見えた。次の瞬間、紗季の姿だけが黒く塗りつぶされていく。私の姿は、そのままだった。

 やはり、昨日見たものは幻ではなかった。

「本気で願ったときにしか、動かない」

 机の上に、いつの間にかフィルが立っていた。昨日と同じ、灰白色の羽根に、黒く色を変えていく尾羽。まるで最初からそこにいたかのような、唐突さだった。

「お前は今、迷っている」

「迷ってなんか……」

 私はそう言いかけて、言葉に詰まった。指はシャッターにかかったまま、押せずにいた。指先が、まるで自分のものではないみたいに、言うことをきかない。

「シャッターを押せば、紗季は写真から消える。同時に、お前の記憶の中からも、少しずつ薄れていくだろう」

「それなら……」

「それなら、お前は今すぐ押せるはずだ。だが、押していない」

 フィルの言葉に、私は反論できなかった。

「お前は紗季を憎んでいるのではない」

 フィルは淡々と続けた。

「まだ大切に思っているから、迷っている」

「そんなこと……」

 言い返そうとした声が、自分でも情けないくらい弱かった。私はカメラをゆっくりと下ろした。フィルの言う通りだった。憎いのなら、こんなに手が震えるはずがない。手の甲に、うっすらと汗が滲んでいるのに気づいた。

 腹立たしさが込み上げてきた。フィルに対してなのか、自分自身に対してなのか、よく分からなかった。図星を突かれたことへの苛立ちなのか、あるいは、自分でも気づかないふりをしていたことを、あっさり見抜かれたことへの動揺なのか。

「もういい」

 私はカメラを乱暴にケースへ戻した。写真のデータを閉じ、スマホを鞄にしまう。フィルはそれ以上何も言わず、私が動くのをただ見ていた。その視線には、責めるような色も、慰めるような色もなかった。

 立ち上がって帰り支度をしていたそのとき、部室の扉が音を立てて開いた。

 私は反射的に振り返った。フィルの姿は、すでに消えていた。

 扉のところに立っていたのは、クラスメイトの久住美冬だった。長い黒髪が、俯いた頬の横に静かにかかっている。普段、休み時間は一人で本を読んでいることが多く、写真部にはほとんど関わりのない人だった。声をかけられた記憶も、ほとんどない相手だった。

 美冬は、机の上に置かれたカメラのケースを、じっと見つめていた。その視線には、好奇心というより、何か切実なものが滲んでいるように見えた。それから私へ尋ねた。

「そのカメラ、本当に人を消せるんですか?」

 部室のLED照明が、その瞬間だけ、わずかに明滅した気がした。私は、その言葉の重さに、一瞬言葉を失った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ