表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
消したい人が、写真の中で笑っている  作者: 明石竜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/15

第十三話 写真の中の、昔の私たち

 その日の夜、私は自分の部屋の机の上に、部室から持ち帰った卒業アルバム用の写真候補をまとめたUSBメモリを置いていた。

 志緒里先輩のことが一段落したからといって、写真部の仕事まで待ってくれるわけではない。卒業アルバムの締め切りは少しずつ近づいている。

 家のパソコンを立ち上げ、候補写真を確認していく。

 文化祭。体育祭。校外学習。球技大会。

 画面を切り替えるたびに、一年間の出来事が並んでいった。

 その中に、見覚えのないフォルダが一つ混じっていることに気づいた。

「これ……」

 開いてみる。

 去年の写真だった。写真部で使っていた古いデータを整理したとき、間違って一緒にコピーしてしまったらしい。

 高校一年生の春。

 入学式。遠足。文化祭。今より少し幼い顔をしたクラスメイトたちが、画面の中で笑っている。そして、その中には当然のように紗季もいた。

 私はマウスを動かす手を止めた。

 今とは違う。そう思った。写真の中の紗季は、今より少し髪が短い。制服もまだ着慣れていないようで、リボンの位置が微妙に曲がっている。

 隣には私がいた。今より少し短い黒髪で、紗季のほうへわずかに身体を寄せている。二人で同じ方向を向き、笑っている。 

 何がそんなに面白かったのか、今となっては思い出せない。

 それでも、写真の中の私は確かに楽しそうだった。

 私は次の写真を開いた。また紗季がいる。今度は教室で、私がカメラを構えているところを、横から撮られた写真だった。紗季は私の肩越しに画面を覗き込みながら、笑っている。

 次。

 購買の前。二人でパンを持っている。

 次。

 文化祭準備。床に座り込んで、色紙を切っている。

 何枚見ても、そこには紗季がいた。

 私は、いつの間にかマウスから手を離していた。

 中学から高校一年生の冬まで、ほとんど毎日のように一緒にいた。

 頭では分かっている。それなのに最近は、紗季との記憶を思い出そうとすると、どうしても最後の出来事ばかりが浮かんでしまう。

 秘密が広まった日。誰も私と目を合わせなくなった教室。

 その向こうで、誰かと話していた紗季。

 それだけが強く残り、それ以前の時間を全部押しつぶしていた。

 私はフォルダを閉じようとした。

 けれど、一枚の写真が目に入った。

 中学の卒業式だった。

 どうして高校の写真データの中に混じっているのか分からない。おそらく、以前私がパソコンへ取り込んだものなのだろう。

 校門の前で、私と紗季が並んでいる。二人とも卒業証書の筒を持っていた。

 紗季は私のほうへ少し身体を寄せている。私はカメラに向かって笑っていた。

 その写真を見た瞬間、何かを思い出した。

「あ……」

 私は椅子から立ち上がり、机の本棚に手を伸ばした。

 ページをめくると、同じ写真が見つかった。

 何となく写真を取り出し、裏返す。そこには、紗季の字で短い言葉が書かれていた。

『高校でも、いっぱい写真撮ろうね』

 私はしばらく、その文字を見つめていた。

 忘れていた。卒業式の日、紗季が勝手に書いたのだった。

「未桜は絶対、写真部入るでしょ」

「まだ決めてない」

「絶対入るよ」

「なんで決めつけるの」

「だって未桜、写真撮ってるとき一番楽しそうだから」

 そんな会話をした。

 記憶が、思っていたよりはっきり蘇ってきた。

 あのとき私は、少し嬉しかった。自分でもまだ分かっていなかったことを、紗季だけが分かっているような気がしたからだ。

 私は写真を机の上へ置いた。今の紗季を好きかと聞かれたら、好きだとは答えられない。むしろ、嫌いだと思う。顔を見るだけで腹が立つこともある。

 話しかけられれば身構える。何を言われても、裏に別の意味があるような気がしてしまう。それでも。この写真に写っている紗季まで嫌いなのかと聞かれたら、答えられなかった。

「ずるい」

 思わず、声に出していた。

 楽しかったころの写真なんて、残っていなければよかった。

 そうすれば、もっと簡単に嫌いになれたかもしれない。

 秘密を守ってくれなかった人。

 私を一人にした人。そういう人だったと決めてしまえばよかった。

 なのに写真の中には、そうではなかった時間まで残っている。

 私が笑っている。紗季も笑っている。どちらも嘘だったとは思えない。

「まだ見ているのか」

 聞き慣れた声がした。机の端を見ると、フィルが立っていた。

 灰白色の羽根を小さく揺らしながら、机の上の写真を見下ろしている。

「勝手に出てこないで」

「呼ばれてはいない」

「じゃあ帰って」

「それも私が決める」

 相変わらず平坦な声だった。

 私は写真を裏返した。

「何か言いたいんでしょう」

「何も」

「嘘」

「私は嘘をつく必要がない」

 フィルはそう答えたあと、しばらく黙っていた。

 その沈黙がかえって気になった。

「……何」

 私から尋ねると、フィルは机の上の写真へ視線を向けた。

「その写真の人物を、お前は消したいのか」

 私はすぐには答えなかった。

「今の紗季なら」

「写真の中の人間と、今のお前が嫌っている人間は、同じ人物だ」

「分かってる」

「本当に?」

 思ったより腹が立った。

「分かってるって言ってるでしょう」

 私は写真を掴んだ。

「人は変わるでしょう。昔は好きだった。でも今は嫌い。それだけじゃ駄目なの?」

「駄目だとは言っていない」

「じゃあ何」

「お前が二人を別の人間のように扱っているから、確認しただけだ」

 私は言葉に詰まった。

「昔のお前を笑わせた紗季も、お前を傷つけた紗季も、同じ一人だ」

「……そんなこと」

「分かっている?」

 また同じ問いだった。

 私は答えられなかった。分かっているつもりだった。でも本当は、分けて考えようとしていたのかもしれない。

 優しかった紗季。私を裏切った紗季。

 どちらかが本当で、どちらかが間違いだったと思いたかった。

 そうでなければ、自分の感情をどう整理すればいいのか分からない。

「人って、そんなに綺麗に分けられないのかな」

 私は小さく呟いた。

 フィルは答えなかった。

 写真の裏には、『高校でも、いっぱい写真撮ろうね』という紗季の字が残っている。

 私はもう一度表へ返した。

 二人とも笑っている。このころの私は、数年後に紗季を消したいと思う自分がいるなんて、想像もしなかっただろう。

 反対に、今の私は、この写真に写っている自分の気持ちを、完全には否定できない。

「もし消したら」

 私はフィルを見た。

「この写真のことも忘れる?」

「可能性はある」

「紗季が、私に写真部を勧めたことも?」

「紗季と結びついた記憶であるなら」

 私は写真を持つ指に、少し力を込めた。

 それ以上は聞かなかった。

 フィルも何も言わなかった。

 しばらくすると、その姿はいつの間にか机の上から消えていた。

 私は写真をアルバムへ戻そうとして、手を止めた。

 結局、その一枚だけは戻さなかった。

 机の端に置いたまま、もう一度パソコンへ向かう。

 卒業アルバム用の写真を選ばなければならない。

 残す写真と、残さない写真。さっきまでは単純な作業だと思っていた。けれど今は、その境界が少しだけ曖昧に見えた。何を残して、何を消すのか。

 写真なら、選べばいい。けれど人との記憶は、そんなに簡単に切り分けられるものなのだろうか。

 私は答えを出せないまま、その日の作業を終えた。

 机の上には、中学の卒業式の写真が一枚だけ残っていた。

 笑っている私と、笑っている紗季。

 その二人を見ていると、「嫌い」という言葉だけでは説明できない何かが、まだ自分の中に残っているような気がした。

 けれど、それが何なのかを考えるのは、まだ少し怖かった。


 翌日の放課後。

 部室で卒業アルバム用の写真整理を終え、鞄にカメラをしまいながら廊下を歩いていると、下駄箱のあたりに人影が見えた。夕方の光が、廊下の床に長く伸びていた。

 紗季だった。昨夜見つけた、中学の卒業式の写真が頭に浮かんだ。

 笑っている私と、笑っている紗季。写真の裏に残されていた、「高校でも、いっぱい写真撮ろうね」という文字。

 私は反射的に、その記憶を頭の奥へ押し戻した。

 目の前にいるのは、写真の中の紗季ではない。

 そう思ったのに、昨夜までなら簡単に引けたはずの境界が、今は少しだけ曖昧になっていた。

 私に気づくと、紗季は一歩、こちらへ近づいてきた。夕方の薄暗い廊下に、二人だけが立っている。空気が、いつもより張り詰めているように感じられた。

「未桜、少し、話せる?」

 私は警戒しながらも足を止めた。

「何」

 紗季は、いつになく強張った表情をしていた。何かを決意してきたような、そんな顔だった。その表情には、これまで見たことのない、覚悟に似た色が浮かんでいた。

「お願いがあるの」

「お願い?」

 紗季は、大きく息を吸ってから、言葉を続けた。その一呼吸の間が、やけに長く感じられた。

「私を、そのカメラで消してほしい」

 私は、その言葉に一瞬、何を言われたのか理解できなかった。頭の中が、真っ白になる。

「……何言ってるの」

「本気だから」

 紗季の声は震えながらも、はっきりとしていた。

「未桜の記憶から、私を消してほしい」

 廊下の窓から差し込む夕陽が、紗季の顔を橙色に染めていた。その表情には、これまで見たことのない、確かな覚悟のようなものが浮かんでいた。逃げるのでも、誤魔化すのでもない、まっすぐな瞳が、私を見つめていた。

 私は、鞄の中に入れたばかりのカメラの重さを、あらためて感じていた。志緒里先輩から受け取ったばかりのそれを、今度は紗季自身が望んでいる。まるで、手放されたばかりの重荷が、また別の誰かの手によって、こちらへ押し戻されてくるような感覚だった。

 答えを持たないまま、私はただ、紗季の顔を見つめ返すことしかできなかった。夕陽の色が、少しずつ濃くなっていく廊下で、二人の影だけが長く伸びていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ