価値を届けるための言葉
「……わかりました。どこまで力になれるかはわかりません。
ですが、このなつみを届ける為の手伝いをさせてください」
それは三浦さんのみかんを売るためだけではなかった。
本当に良いものが……評価されるべきものが報われるためのお手伝い。
私自身の自己満足だった。
「簡単なものであれば、紙とペンがあれば作れるのですが……」
「では道の駅の人に借りられないか聞いてみますね」
買いに行く話のつもりだったのだが、凪沙さんは足早に店内の奥へと入っていった。
スタッフの人とも顔見知りなのか、すぐに楽しそうな声が聞こえる。
その間、三浦さんは私を見ていた。
警戒している、というほどではない。
けれど、どんな人間なのか見定めようとしている目だった。
「あなたがトキさんとこのお孫さんね」
「……はい」
「よう言っとったよ。自慢の孫だって。
都会の会社でバリバリ頑張っているって」
「……そうですか」
愛想笑いで答えることしかできなかった。
何一つ合っていない気がした。
私は自慢されるような孫ではない。
もう何年も帰省せず、お婆ちゃんが一人で畑を守っていたことも知らなかったのだから。
仕事だって、頑張っていたというより、ただ必死にしがみついていただけだった。
その頑張りだって……今は無意味だったようにすら思える。
「借りてきましたよ」
凪沙さんが戻ってきた。
少しだけ気まずかった空気が終わり、思わず息が漏れる。
手には黄色い厚紙と、黒と赤のマジックが握られていた。
「ありがとうございます」
私は厚紙を受け取ると、広場のテーブルへと腰を据えた。
平日でお客もまばらなので邪魔にはならないだろう。
「まず、これは何ていうみかんなんですか?」
「なつみ。漢字だと、南の津に海で、南津海じゃね」
三浦さんは指で机に文字をなぞった。
「うーん、ひらがなの方がわかりやすいですね」
「漢字じゃなくてもいいんです?」
「名前は瀬戸内らしくて綺麗ですが、多分普通の人は読めないと思うので。
パッと見で読めないと足も止めてくれないですし」
私は厚紙の上の方に大きく「なつみ」と書いた。
「特徴はどんなものがありますか?」
「凄い甘いです!!」
「それは素敵なことですが……他にもありますか?」
甘い、という言葉は大事だ。
けれど、それだけでは売り文句としては弱い。
たいていのミカンは、甘いことを売りにしているからだ。
「甘くて、酸味は控えめでしょうか?
あとは果汁は少ないような……?」
要素としては決して悪くはない。
きっと甘くて食べやすいみかんなのだろう。
だけど同時に、それは他のみかんでも同じであり個性がない。
この島に来てまで食べたいと思わせるだけの魅力を表現できない。
「柚葉ちゃん。聞くだけじゃなくて、食べてみてください。
百聞は一見にしかず。百見は一食にしかずですよ」
凪沙さんは得意げに言った。
「……そんなことわざありましたっけ?」
「今作りました!!」
「でしょうね」
ただ、凪沙さんの言うことも一理ある。
自分で体験して、言葉にすることが一番だ。
三浦さんからもらったみかんのネットを開け、一つ取り出した。
なつみの皮に親指入れる。
ほのかに果汁が弾け、シトラスの香りが漂った。
皮は思ったより簡単に、するりと剥けた。
房を一つ受け取って、口に入れる。
甘い。
ただ甘いだけではなく、ほんの少し酸味がある。
ただその酸味も控えめであり、子供でも食べやすいと思った。
「美味しいです」
「じゃろ?」
三浦さんは嬉しそうに笑う。
確かにこの味で売れないのはもったいない。
一度食べたらリピートしたくなる味をしていた。
だが、その一回がこの場所では難しい。
勝手に試食を出すわけにもいかないのだろうから。
どうしたものか、そう考え視線を落とした。
そして気づいた。
包丁を使っていない。
手だけで皮が剥けている。
房も柔らかく飲み込むことができる。
それはスーパーで果物を見た時にはあまり意識しない情報だった。
けれど、この島の、道の駅に来る人にとっては大きな情報だった。
「一番伝えるべき情報。
それは手で皮を剥けることだと思います」
「そんなこと?」
三浦さんと凪沙さんは不思議そうに首を傾げた。
それもそうだろう。
二人はこの島に暮らしているのだから。
だが、ここに来るお客は違う。
わざわざ車で、この島にやってきている。
「このみかんは車の中でも食べられる、その情報が大切だと思います。
せっかく買ったのだから、海を見ながら、信号待ちの最中に、そんな場面できっと……」
お土産として自宅で食べる人もきっと多いだろう。
だがこの言葉を聞いて、食べる場面を新たに想像してくれたら……。
私は厚紙にゆっくりと文字を走らせた。
【包丁いらず
手でむけて、子どもにも食べやすい
ドライブのおともに、春のなつみ】
情報はたったこれだけ。
もっと書きたいことはあったが、これ以上は目が滑る。
文字を短くして、必要な情報を、できるだけ大きく。
基本に忠実なPOPになっているだろう。
だが同時に、無個性になってしまったかもしれない。
他人の商品なのに、これで売れなかったら……。
「これ、いいじゃないですか。
分かりやすくて」
凪沙さんが厚紙を覗き込んで言った。
「そうですか?」
「うん。私でも分かるもん」
「それは基準として正しいんでしょうか?」
「正しいよ。私、長い文章読まないもん」
「堂々と言いましたね」
ただ、凪沙さんの直感は正しいと思う。
きっとそれは皆同じだから。
POPを棚の前に置いた。
黄色い厚紙は、赤いネットに入ったなつみの横で思ったよりも目立っていた。
これならPOPに気づかない、ということはないだろう。
問題は読んでくれるか。
そして買ってくれるか。
思考が逡巡する。
ここまでやって無駄だったら。
余計なことだったら。
三浦さんに嫌われたら―――。
「あの、このミカンの生産者の方ですか?」
声と共に意識が現実へ引き戻される。
近くにいた女性が話しかけた。
旅行客だろうか、手にはお土産らしき紙袋を持っている。
「えっと……」
「私たちは違うんですが、あちらが”生産者の顔”です」
そういうと凪沙さんが三浦さんを指さした。
「生産者の顔……いいですね。安心できます」
「でしょ?では、果実についてはこちらの方が説明しますね」
今度はこちらに話を振られる。
一瞬戸惑ったものの、言う言葉は既に決まっていた。
「このなつみという柑橘です。
甘くが強くて酸味は控えめです。
そして何より、皮を簡単に手で剥けます」
「皮を簡単に……」
「はい。ですので、車の中でも食べることができるんです」
緊張した。だが自分の口で言いきった。
POPの内容そのままだった。
だから問題は、この言葉が相手にとって求めていた価値なのかどうか。
女性はしばし顎に手を当て、棚のなつみへ視線を落とした。
緊張した。だけど―――
「いいですね。
せっかくなんで、島を回りながら食べてみますね」
女性はそう言って、三浦さんのなつみを一袋、カゴに入れた。
たった一袋だった。
けれど、その一袋がカゴに入るまでの動きが、私には妙にはっきり見えた。
果実に興味を持ってくれて。
話を聞いてくれて。
手に取って。
そして……購入した。
言葉が行動へと変わった。
私の言葉で、このみかんの評価が変わった。
「ぜひ食べるなら近くで食べた方がいいですよ。
絶対にまた買いに来たくなりますので」
「それは楽しみですね。
さっそく駐車場で食べてみます」
凪沙さんの言葉に女性は笑って、カゴをレジへと持って行った。
こういう会話ができるのは、さすが凪沙さんだ。
「よかった……」
「凄いですね、柚葉ちゃん!!」
「いえ、元々のみかんの魅力があってこそですよ。
私は背中を押しただけで……」
「それでもです!! 柚葉ちゃんの言葉のおかげです」
このなつみにはちゃんと魅力があった。
ただその魅力が、棚の上でうまく伝わっていなかっただけだ。
会社では、私が考えた企画も、整えた資料も、いつの間にか玲司の名前で通っていた。
私の言葉は、私の名前では届かなかった。
けれど今、あの人がカゴに入れたなつみは、私が書いた言葉を見て選ばれたものだった。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
「あんたの言ってたことは本当じゃったね」
三浦さんは、なつみの並んだ棚を見つめたまま、ぽつりとそう言った。
その声は驚いているようで、少し嬉しそうでもあった。
田舎には、魅力がないわけではない。
価値がないわけでもない。
ただ、その価値を伝える言葉が、棚の前に置かれていないことがある。
このなつみにも、ちゃんと魅力はあった。
甘さも、食べやすさも、旅の途中で手に取ってもらえる理由も。
けれど、それは誰かが言葉にしなければ、通り過ぎられてしまうものだった。
「流石、トキさんとこのお孫さんやね」
三浦さんが、ふっと目を細めた。
「……?」
その言葉に、少しだけ違和感を抱いた。
孫だから、というだけではない。
そこには、私の知らない祖母の何かが含まれている気がした。
「あの、それって……」
「柚葉ちゃん」
横から、凪沙さんの声がした。
振り向くと、凪沙さんは深刻な顔をしていた。
さっきまでの嬉しそうな表情とは違う。
「……どうしました?」
「お腹が減りました」
「今ですか?」
「今です。私たち、お昼まだ食べてません。
ポケットの飴玉も切れました」
そういえば、私たちは昼ごはんを食べに来たのだった。
「柚葉ちゃん、朝も食べてないんですよね?」
「三浦さんのなつみを食べましたよ?」
「一房で人は動けません。どんな燃費してるんですか⁉」
アイドリングストップしてたんですか!!」
「例えが軽トラ寄りだね……」
凪沙さんは、もう限界だと言わんばかりにお腹を押さえている。
その様子に三浦さんが、くつくつと笑った。
「行っといで。続きはまた今度でええよ」
「……はい」
少しだけ名残惜しかった。
けれど、その“また今度”という言葉が、不思議と嬉しかった。
この島で、また聞きたい話ができた。
また会いたい人ができた。
それだけで、さっきより少しだけ、ここにいる理由が増えた気がした。
私たちは三浦さんに頭を下げ、食堂のある二階へ向かった。
背中の向こうで、黄色いPOPが赤いなつみの横に置かれている。
たった一枚の紙。
たった一袋の売上。
それでも私には、確かに何かが動いたように見えた。
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