また遊びに来てくださいね
「いやー、お疲れ様」
「お疲れ様です」
夕方、チャレンジショップで簡単な打ち上げをした。
決して豪華なものではない。
販売できなかったスコーン。
ジャムの余り。
缶コーヒー。
それから、なぜか凪沙さんが差し出した飴玉。
片づけも残っているので、打ち上げというよりは少し長めの休憩に近かった。
「いやぁ、よく売れたね。
柚葉、たいしたもんだよ」
「そんなことありませんよ。
結局は、真帆さんの腕があってこそでしたから」
レモンの葉作戦は、確かにうまくいった。
けれどそれ以上に、一度買った人がもう一度買ってくれることが多かった。
温かい夏みかんジャムの香り。
焼き直したスコーン。
その組み合わせが、ちゃんとお客さんに届いていたのだと思う。
誰かが食べているのを見て、別のお客さんが足を止める。
その連鎖が、今日の完売につながった。
私は、ただ最初のきっかけを作っただけだ。
「それは当然」
真帆さんは、堂々と言った。
「だけど、柚葉の努力も間違いなくあった。
私が保証するよ」
「……ありがとうございます」
認めてもらえた。
そのことが、素直に嬉しかった。
「それでさ」
真帆さんは缶コーヒーを開けながら、こちらを見た。
「結局、昨日のは何があったんだい?
そのあたり、私は聞かせてもらってないんだけど」
「それは……」
私は少し迷ってから、玲司とのことをかいつまんで話した。
婚約していたこと。
仕事で私の作ったものが彼の手柄になっていたこと。
この島に来る前に、別の女性の存在を見てしまったこと。
そして、昨日届いたメッセージのこと。
話し終えると、真帆さんは一秒も迷わず言った。
「それは男が悪い」
「判断が早いですね」
どこかで聞いた展開だった。
「殴りつけて黙らせればいいのに」
「暴力はいけませんよ、真帆ちゃん」
「だけどなぁ……」
真帆さんは不満そうに腕を組んだ。
そのアグレッシブさが、少しだけ羨ましかった。
けれど、もう大丈夫だ。
「ケジメをつけることに決めました」
自分の口からそう言うと、不思議なくらい胸が静かだった。
「それはつまり……この島を離れるってことかい?」
「……はい。明日には東京に戻ろうと思います」
私は缶コーヒーの水滴を指でなぞった。
「会社と、玲司のことを終わらせてきます」
それが、私の決意だった。
もう逃げない。
立ち向かう強さを、この島で少しだけもらったから。
「そうか」
真帆さんは、しばらく私を見てから、にっと笑った。
「強くなったな、柚葉も」
「皆さんのおかげです」
この島で、いろいろなものを見た。
いろいろな人の生き方を見た。
自分で考えて、自分の言葉で何かを届ける楽しさを知った。
だから、私も私の生き方を決めたくなった。
「それなら今日は宴だ」
真帆さんが立ち上がった。
「ケーキ焼くぞ」
「今からですか⁉」
「やった! 楽しみです」
「凪沙さんも乗らないでください。
待って、それ明日の材料では⁉」
「大丈夫。明日は定休日にするから」
「適当すぎませんか⁉」
「人生は適度に適当な方が長持ちするんだよ」
これくらい気楽に生きられたらいいのにな、と少しだけ思った。
結局、真帆さんの暴走を止めつつ、
道の駅で簡単な食べ物を買い足して、小さな打ち上げをすることになった。
そのあと真帆さんは明日の片づけと仕込みに戻り、私たちは解散した。
「今日も楽しかったですねぇ」
帰りの軽トラックの助手席で、凪沙さんがぽつりと言った。
窓の外には、夕方の島の道が流れている。
「……うん」
「寂しいですね。明日帰るだなんて」
「突然でごめんね」
もっと早くから決めておけばよかった。
けれど、決意したのはつい昨日だった。
時間をかければかけるほど、今の決意が薄れていく気がした。
だから、早く決着をつけなければならなかった。
私は、ハンドルを握る凪沙さんの横顔を見た。
ずっと気になっていたことがある。
「どうして凪沙さんは、私にこんなによくしてくれたの?」
凪沙さんは、少しだけ目を丸くした。
「急ですね」
「うん。今、聞いておきたくて」
お婆ちゃん――トキお婆ちゃんの友達だとは聞いていた。
けれど友人の孫にしては、あまりにも手厚すぎる。
畑を見てくれて、道の駅へ連れていってくれて、
人を紹介してくれて、私の話まで聞いてくれた。
ただ親切なだけでは説明できない気がしていた。
凪沙さんは、口の中の飴をからころと鳴らしてから、少し照れたように言った。
「実は私、実家がお寺なんです」
「……お寺?」
思わず身構えてしまった。
宗教、という言葉が頭をよぎる。
「ああ、違いますよ」
凪沙さんは、すぐに苦笑した。
「親切にして入信させるとか、そういう手口ではないです」
「そ、そういうものなんですか?」
「そういうものです」
そう言われても、私にはまだ少しぴんと来なかった。
凪沙さんは、前を見たまま続ける。
「田舎のお寺って、法事やお葬式だけの場所じゃないんです」
「そうなの?」
「誰が困っているとか、どこの家が空き家になりそうとか、
誰が畑をやめるとか、誰が嫁探しをしているとか」
「最後のは急に生々しいですね」
「島ですから」
凪沙さんは、からりと飴を鳴らした。
「そういう相談が、勝手に集まってくるんです。
田舎のお寺って、半分くらい地域の連絡所なんですよ」
私がイメージしていた宗教とは、少し違っていた。
「その延長線なんです」
凪沙さんはなんでもないように言った。
「トキさんは、うちのお寺の門徒さんでもありましたし。
そのお孫さんが困っていたから助けた。
島のためになりそうだったから真帆さんも手伝った。
何より私がやりたいからやった」
「……それだけ?」
「それだけです」
凪沙さんは少し笑った。
「縁を大切にしただけです」
その言葉に、胸が静かに鳴った。
【縁】
小島で聞いた言葉を思い出す。
袖振り合うも多生の縁。
繋げるのも、切るのも、ちゃんと意思を持つこと。
「あとは……」
凪沙さんは、少しだけ声をやわらげた。
「単に、羨ましかったのかもしれませんね」
「羨ましい?」
「はい。私の場合、お寺を継ぐのは、ほとんど決まっていたことなので」
軽トラックが、緩やかな坂を下りていく。
「都会に出ても、何か仕事をしても。
最後はこの島に戻るんだろうなって、ずっと思ってました」
「……」
「最後に戻るなら、最初から出ない方が楽だと思ったんです。
出たら、戻るのがつらくなる気がしたので」
その声は明るかった。
けれど、明るいだけではなかった。
「だから、外の世界で生きてきた柚葉ちゃんや、
あちこち旅してきた真帆ちゃんが、少し羨ましかったです」
私は、何も言えなかった。
田舎の当たり前が、都会の当たり前ではないように。
私が暮らしてきた当たり前も、凪沙さんにとっては当たり前ではなかったのだ。
私が逃げ出したかった場所を、凪沙さんは少し羨ましいと言う。
凪沙さんが当たり前のようにいる島を、私は少し眩しいと思っている。
人の居場所は、外から見るほど単純ではないのかもしれない。
「柚葉ちゃんが、これからどうするのかは分かりません」
凪沙さんは言った。
「東京で生きるのか、どこか別の場所へ行くのか、それともまた島へ来るのか」
「……うん」
「でも、精いっぱい楽しんできてくださいね」
「楽しむ?」
「はい」
凪沙さんは、口の中の飴をからころ鳴らした。
「どの道を選んでも、柚葉ちゃんの人生ですから。
苦しむだけじゃ、もったいないです」
楽しむ。
その言葉を、私はずいぶん長い間忘れていた気がした。
仕事も
結婚も
将来も
ちゃんとしなければいけないものだと思っていた。
間違えてはいけないものだと思っていた。
けれど、どの選択をしても、それは私の人生なのだ。
だったら、少しくらい楽しんでもいいのかもしれない。
「……うん。分かった」
私がそう言うと、凪沙さんは満足そうに笑った。
「あと」
「あと?」
「また遊びに来てくださいね」
遊びに。
その言葉が、やけに優しく響いた。
仕事でもなく。
逃げ場所でもなく。
誰かの夢を背負うためでもなく。
ただ、遊びに来る。
「……うん」
私は窓の外を見た。
夕方の海が、木々の隙間からちらりと見える。
「また、来るね」
凪沙さんは、それ以上何も言わなかった。
ただ、からころと飴玉の音だけが、軽トラックの中に小さく響いていた。
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