表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
22/26

島の匂いを届けるために

「それで、昨日いったい何を思いついたんだい?」


真帆さんには昨日、途中で店を抜けたことを謝っていた。


気分が落ち着いたこと。

今日の販売にはちゃんと来ること。

それから、売るために少し試したいことがあること。


それだけを伝えて、私は凪沙さんとあるものを取りに行った。


「まあ、顔色が良くなったから、私としてはいいんだけど……」


真帆さんは、厨房に並んだスコーンを見て、少しだけ眉を上げた。


「それより大丈夫だろうね?

 今日は休日だから人は来るだろうけどさ……ちょっと強気な数じゃないかい?」

「大丈夫です」


自信があった。

昨日とは違う。

売れる確信、というより、お客さんに声をかけられる確信があった。


「任せてください」


真帆さんは、少しだけ目を丸くしたあと、にっと笑った。


「柚葉がそこまで言うなら信じるよ」

「はい」

「さあ、たくさん売るよ。一攫千金、億万長者だ!!」

「どれだけ売る気なんですか⁉」


真帆さんの期待の大きさは少し心配だったけれど、

それでも昨日のように足元が沈む感じはなかった。


開店時間が近づくにつれて、駐車場に車が入り始める。


直売所へ向かう人。

トイレ休憩の人。

海を眺めている人。


それぞれが、いつもの道の駅の時間を歩いている。


「それで、秘策をそろそろ店主様にも教えてもらっていいかな?」


真帆さんが、少し身を乗り出した。


「一応ね。信じてないわけじゃないんだけど」

「これです」


私は持ってきた袋の中から一枚の葉を取り出した。

つやのある、濃い緑の葉。


「これは?」

「レモンの葉っぱです」


それは、祖母の家の庭に植えられていたレモンの木の葉だった。

昨日、小島から戻ったあと、凪沙さんと一緒に取りに行ったものだ。


「いやー、驚きましたよ」


凪沙さんが、手の中の葉をくるりともてあそびながら言う。


「まさか、葉っぱを取りたいって言うなんて。

 人生で初めて、あれだけ葉っぱを毟りました」

「ごめんね。私一人だと、どこまで取っていいのか分からなくて」


木を傷める取り方をしてはいけない。

取っていい葉と、取らない方がいい葉があるのかもしれない。


そう思って、凪沙さんに頼ったのだ。


「それ自体はいいんですけどね」


凪沙さんは、まだ納得していない顔で葉を見た。


「これが売れる秘訣になるんですか?」

「大丈夫です。私が、実際に体験しましたから」


私は一度、深く息を吸った。


ちょうど、親子連れが直売所から出てくるところだった。

小さな女の子が、母親の手を引いている。


昨日の私なら、きっと声が上ずっていた。

でも今日は違う。


「こんにちは」


私は、できるだけ自然に声をかけた。


「よければ、このレモンの葉っぱを少しだけちぎってみませんか?

 すごくいい匂いがするんです」


両親は、一瞬だけ不思議そうな顔をした。

でも、女の子がすぐに目を輝かせる。


「やってみたい!!」


私は、葉を一枚差し出した。


「食べるものではないので、香りだけ楽しんでくださいね」


女の子が、指先で葉を少しちぎる。

その瞬間、ふわりと香りが広がった。


「あ、ほんとだ! レモンの匂い!!」


母親が驚いたように笑う。


「葉っぱなのに、こんなに香るんですね」

「そうなんです」


私は頷いた。


「この島で育ったレモンの匂いです」


鼻をくすぐる、あのとき初めて嗅いだ匂い。

この島の匂い。

私はそれを今、お客さんに体験してもらっている。


海を見るだけでもない。

買い物をするだけでもない。

葉をちぎって、香りを嗅ぐ。


ほんの小さなことだけれど、それはきっと、島を覚えるきっかけになる。


「面白いね」

「ねえ、いい匂い」


女の子がはしゃぐと、両親も自然と笑った。

その笑顔を見て、私は確かに手応えを感じた。


「もしよろしければ、あちらのチャレンジショップで、

 温かい夏みかんジャムのスコーンを出しています」


私は、真帆さんの店を示した。


「温かいジャム?」

「この島で採れた夏みかんのジャムを、食べる直前に温めて添えているんです。

 瓶のジャムとは違って、香りがふわっと広がるんです」

「そうなんですね」


母親が、少し興味を示す。


「はい。出来立てに近い香りを楽しんでもらえるようにしています」


父親が、女の子に視線を落とした。


「みーちゃん、どうする?」

「食べたい!!」


その声を聞いた瞬間、胸の奥で何かが跳ねた。


よかった。

私の考えは、間違っていなかった。


レモンの葉は、商品ではない。

でも、お客さんとの会話の入口になる。

島の匂いを知ってもらう入口になる。

ただ声を張るより、ずっと自然に、目の前の人へ届いていく。


それから何度も、お客さんに声をかけた。

断られることもあった。

怪訝そうな顔をされることもあった。


それでも、昨日とは違った。

私はもう、売り込もうとしているだけではなかった。

この島で私が知った匂いを、誰かにも知ってほしかった。


その先に、真帆さんのスコーンがあった。

温かい夏みかんジャムがあった。

凪沙さんがつないでくれた人たちがいた。


午前中が終わる頃には、用意していた数はすべて売り切れていた。

黒板の前で、真帆さんが腕を組む。


「完売か」

「完売ですね」


凪沙さんが、どこか誇らしそうに言った。


「レモンの葉っぱ、すごいですね」

「葉っぱだけの力じゃないですよ」


私は、チャレンジショップの奥から漂う、

温かい夏みかんジャムの香りを吸い込んだ。


葉っぱ。

ジャム。

スコーン。

黒板の言葉。

誰かの笑顔。


全部が近くにあって、初めて届いたのだ。


これが、私がこの島で出した、最後の成果になった。

少なくとも、逃げてきた私が出した成果としては。

ここまで読んでいただきありがとうございます!!

「面白そう」「続きが読みたい」と思っていただけましたら、

☆☆☆☆☆から評価、ブックマークで応援していただけると嬉しいです。

皆さまの反応が、更新の大きな励みになります!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ