表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
21/26

触れ合う袖、手放す縁

「……柚葉ちゃん、大丈夫ですか?」

「うっ、うん……」

「この島に来た時みたいな……。

 いや、それ以上にひどい顔をしています」


自分のことは、自分が一番分かっていた。

眠れていない。

昨夜届いた玲司のメッセージが、ずっと胸の奥に残っている。


【田舎暮らしごっこ】


その言葉が、何度も何度も頭の中で繰り返される。


私は何をしているのだろう。

何がしたいのだろう。

ここにいていいのか。

戻らなければいけないのか。


何ひとつ、分からないままだった。


「大丈夫。

 今日は真帆さんのところで販売するんですから」


体調が悪いから休む。

そんな選択肢は、会社にいた頃の私にはなかった。


顔色が悪くても、資料の締切は変わらない。

玲司の機嫌が悪くても、会議は始まる。

約束したなら、やらなければならない。


そうしなければ、迷惑をかける。

そうしなければ、嫌われる。


「……分かりました」


凪沙さんは、少しだけ眉を下げた。


「でも、本当に無理はしないでくださいね」


私は曖昧に頷いて、凪沙さんの軽トラックに乗った。

いつものように飴玉を勧められたけれど、今の私には甘い味ですら胸やけしそうだった。



道の駅に着くと、真帆さんもすぐに私の顔を見た。


「柚葉、大丈夫かい?」

「はい。大丈夫です……」


自分でも分かるくらい、声に力がなかった。


それでも今日は、新作の販売日だ。

温かい夏みかんジャムとスコーン。


私が考えた言葉。

私のアイデア。

私が、ここにいるための証明を。

逃げるわけにはいかない。


けれど、結果は散々だった。


平日で来客が少ないこともある。

道の駅自体に、どこかのんびりした空気が流れていたこともある。


それでも、問題は私だった。

店の前に立って、声をかけようとする。


「よ、よかったら……」


そこで詰まる。


お客さんがこちらを見る。

私は慌てて笑おうとする。


けれど、その笑顔が自分でも不自然だと分かった。

声をかけられた相手は、少し困ったように会釈して、そのまま通り過ぎていく。


次こそは、明るく。

そう思って声を張る。


「温かい夏みかんジャムのスコーン、いかがですか!」


今度は声が上ずった。

自分の声が、自分のものではないみたいだった。


何もかもが空回りしている。


【田舎暮らしごっこ】


玲司の言葉が、また頭の中で響く。


こんなことに意味があるのか。

お金を稼ぐなら、本業がある。


真帆さんのためと言っても、私はもうすぐこの島を離れる。

自己満足だとしても、こんなものに何の意味があるのだろう。


考えれば考えるほど、足元が沈んでいく。


二時間ほど経っても、まともな成果はなかった。


「柚葉」


真帆さんの声がした。


「……はい」


言われることは分かっていた。

叱られるのだ。


今の私は足手まといだ。

陰気な顔で店の前に立って、かえって客足を遠のかせている。


けれど真帆さんは、私を見て、少しだけ息を吐いた。


「海でも見に行ってきな」

「海、ですか?」

「悩んだ時は、自然を感じるのが一番だ」


真帆さんは、店の裏手の方を指さした。


「ちょうどこの裏に、小島がある。

 潮が引いてる時だけ、歩いて行ける島が」


そういえば、パンフレットで見た気がする。

潮の満ち引きで道が現れる、小さな島。


「でも、お店が……」

「こっちは平気。見ての通り、お客もいないしな」


真帆さんは笑った。

その笑い方には、自嘲ではなく、妙な強さがあった。


「それに、今の柚葉が立ってても売れない。

 顔が“買わないでください”って言ってる」

「……すみません」

「謝るところじゃない。今は休むところ」


真帆さんは、今度は凪沙さんを見た。


「凪沙も一緒に行ってきな」

「私もですか?」

「こういうの、得意だろ?」

「あれ……もしかして、私のこと知ってます?」


凪沙さんが、少しだけ意味ありげに笑う。

真帆さんは、肩をすくめた。


「三浦のお婆ちゃんからそれとなくね」

「……わかりました。では、拝命します」


凪沙さんは、いつになく真面目な口調で言った。

外野の私には何が何だかわからない。


「凪沙さんのお仕事って?」

「今は人を海辺に連れていく係です」

「そんな係あるんですか?」

「正式名称はないです。だいたい押しつけられます」


けれどすぐに、からりと飴玉を鳴らす。


「柚葉ちゃん、行きましょう」

「でも……」

「戻ってくるために、少し離れるんです」


その言葉に、私は何も言えなくなった。

真帆さんが、店の奥へ戻りながら言う。


「ゆっくりしてきな。

 こっちは、焦げない程度に温めとく」


温かいジャムの香りが、店先に残っている。

私はそれを背中に感じながら、凪沙さんと一緒に海の方へ歩き出した。




道の駅のすぐ裏手に、小さな浜があった。

波止場を越えた先に、小島が見える。


島と島をつなぐ道は、今にも潮に消されそうなほど細く、頼りない線になっていた。


浜には、ゴミが落ちていた。

ペットボトル。

発泡スチロール。

何に使うのか分からない、筒状のプラスチック。


きっと、どこかから流れ着いたものだ。

この島で生まれたものではない。

外から来て、ここに引っかかって、いつか誰かに回収されるのを待っている。


私も同じだと思った。

この島に流れ着いただけの、異物。

いつかあるべき場所へ戻らなければならない、漂流物。


「それで、例の婚約者さんのことですか?」


凪沙さんが、静かに言った。


「……凪沙さんは知ってたの?」

「何となくですよ。

 トキさんが、今度結婚するんだって言ってましたから」


凪沙さんは、海の方を見たまま続ける。


「でも電話したときの声に力がないって、少し気にしてました」


そういえば、そんな話をした気がする。

元気がないことを見透かされないように、明るく喋ったつもりだった。


それすら、お婆ちゃんには見抜かれていたのだろう。


私は、簡単に玲司とのことを話した。

彼の私に対する扱い。

仕事での立場。

私が作った資料が、いつの間にか彼の手柄になっていたこと。

そして、この島に来る前に見た、別の女性のこと。


話しているうちに、自分の声が少しずつ小さくなっていくのが分かった。

全部を言葉にすると、思っていたより情けなかった。


「なるほど」


凪沙さんは、少し考えたあと、きっぱりと言った。


「その男性が悪いですね」

「判断が早いね」


思わずそう返してしまった。

けれど、少しだけ救われた。


誰かに、あなたが全部悪いわけじゃないと言ってもらいたかったのかもしれない。

でも、そこで終わってはいけないことも分かっていた。


愚痴を言って、嫌な気持ちを吐き出して、納得して、それで終わり。

それではきっと、また同じ場所へ戻ってしまう。


私は、判断しなければならない。


「柚葉ちゃん」


凪沙さんが、私の方を見た。


「袖振り合うも多生の縁って言葉、知ってますか?」

「いえ……初耳です。ことわざですか?」

「ことわざです。

 道ですれ違って、袖が触れただけでも縁になる。そういう意味です」


凪沙さんは、足元の砂を軽く蹴った。


「柚葉ちゃんが婚約者さんから離れて、この島に来たことも。

 トキさんの家に戻って、三浦さんや真帆ちゃんと繋がったことも。

 最初は小さなきっかけだったとしても、縁だったんだと思います」

「……そうだね」


私は、祖母の病室で握った手を思い出した。

骨ばっていて、温かかった手。


「お婆ちゃんにも言われました。人との縁は大切にしなさいって」


縁を大切にする。

それは、トキお婆ちゃんが私にくれた言葉だった。


なら、玲司との縁も。

婚約までした相手との縁も。

簡単に切ってはいけないのではないか。

そんな考えが、また私を引き戻そうとする。


「そうです。大切にしないといけないんです」


凪沙さんは、静かに頷いた。


「繋げるのも、切るのも。

 ちゃんと意思を持たないといけないんです」


私は、思わず顔を上げた。


「……それって、別れてもいいってことですか」

「当然です」


凪沙さんは、あまりにもあっさりと言った。


「縁があったから、全部大事にしなきゃいけないわけじゃないんです。

 触れた袖を、ずっと握って歩く必要も」


少しだけ間を置いて、凪沙さんは続けた。


「ずっと握ってたら、転んじゃうじゃないですか」

「……急に現実的だね」

「ことわざなんてそういうもんですよ」


その言い方があまりにも凪沙さんらしくて、少しだけ笑ってしまった。

けれど、胸の奥では、何かが静かにほどけていた。


縁を大事にすることと、離れないことは違う。

切ることも、雑にすることではない。


ちゃんと自分の意思で選ぶこと。

それが、大事にするということなのかもしれない。


ふと、目の前の道が広くなっていることに気づいた。

今にも潮に消されそうだと思っていた道。

けれど、実際には逆だった。


潮は引いていた。

さっきよりも、道が開いている。

まるで、私の前に道を示すみたいに。


「大丈夫です」


凪沙さんが言った。


「柚葉ちゃん、自分のことを信じてあげてください」

「でも、スコーンだって売れてないし」

「それでもです」


凪沙さんは、少しだけ笑った。


「何より柚葉ちゃんは、このまま負けっぱなしで気が済むタイプじゃないでしょう?」


その言葉に、胸の奥が少し熱くなった。


そうだった。

どんなに失敗しても。

違和感があっても。


私は、絶対に売りたいと思っていた。

この島の魅力を伝えたいと思っていた。


玲司に【田舎暮らしごっこ】と言われたからといって、

それがごっこになるわけではない。


私がここで見たもの。

食べたもの。

出会った人たち。

それらは全部、私の中にちゃんと残っている。


心の中に刺さっていたすいばりが、すっと抜けたような気がした。

ずっと、ちくりと痛んでいた小さな木片。

見えないふりをしていた痛み。

今なら、ちゃんと抜ける気がした。


私はこの島に来て、いろいろな人と出会った。


凪沙さん。

真帆さん。

三浦さん。

自治会のおばあさん。

野良のタヌキ。

そして、お婆ちゃんが残した想い。


それらは全部、縁だった。

紛れもなく、私の人生だった。

私は、その経験を大切にしたい。


だから――。


「そうだ」


私は顔を上げた。


「閃きました」


凪沙さんが、にししと笑う。


「それでこそ、柚葉ちゃんの顔です」


思い出した。

自分のことを。

本当にやりたいことを。


私は、島の魅力を伝えたい。


売るためだけじゃない。

玲司に証明するためでもない。


私が、そうしたいから。


「凪沙さん

 お願いがあります」

「任せてください」


まだ何も言っていないのに、凪沙さんはそう答えた。

その即答がおかしくて、少しだけ笑ってしまう。


私たちは、来た道を引き返した。

明日の販売に向けて、あるものを取りに行くために。

ここまで読んでいただきありがとうございます!!

「面白そう」「続きが読みたい」と思っていただけましたら、

☆☆☆☆☆から評価、ブックマークで応援していただけると嬉しいです。

皆さまの反応が、更新の大きな励みになります!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ