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石は熱を覚えている

「これが、裸の付き合いってやつですね」

「服、着たまま入るんだよね⁉」


思わず声が裏返った。

流石に出会って数日の相手に裸を見せるのはまだ恥ずかしい。


真帆さんは運転席で、からからと笑った。


「まあ、今回は着たまだね。

 汗かいてもいい格好なら大丈夫」

「今回は?」

「今度は海に入ろうじゃないか。全裸で。」

「いいですね!!」

「捕まりますよ⁉」

「人も警察も来ない浜なら知ってますよ」


なぜ二人とも乗り気なのだろう。

現在、私たちは真帆さんの車で、石風呂のある地区へ向かっていた。


「それにしても、真帆さんの車、面白いですね」


私は話題を変えるために、車内を見回した。

後部座席には、キャンプ道具らしいものがいくつも積まれている。


寝袋。

折りたたみ椅子。

小さなランタン。

何に使うのか分からない紐。

そして、なぜか鍋。


「そうだろう。相棒のキャンタ君だ」

「キャンタ君?」

「軽だけど、後ろがフルフラットになる。車中泊もお手の物な、我が相棒だ」

「車中泊、するんですね」

「するよ。日本全国、津々浦々。菓子を焼きながら、ふらふらしてる」

「規模が大きい……」


私には到底できない。

会社と家と、玲司との関係の中で、小さく固まっていた私には。


「真帆ちゃんは、どうしてこの島へ?」


助手席の凪沙さんが、口の中で飴玉をからりと鳴らしながら尋ねた。


「なんだい、急に」

「ずっと聞いてみたかったんですよ、島に来る人に。

 いったい都会の人が、どんな縁ときっかけでこの島を選んだんだろうって」


それは確かに気になる疑問だった。

真帆さんは私のように、祖母の実家がこの島にあるわけじゃないだろうし。


「私のはあんまり参考にならんぞ。

 海とチャレンジショップで検索かけて一番上に出ただけだし」

「実質ダーツの旅みたいですね」

「実際そんなもんよ」


真帆さんは軽く言った。


「この島じゃなきゃだめだった、ってわけじゃない。

 けど、来てみたら思ったより悪くなかった」


その言葉に、少しだけ胸が反応した。


ここじゃなきゃだめだったわけじゃない。

でも、来てみたら。


私も、そうなのだろうか。

逃げるように来たこの島を、いつかそう言える日が来るのだろうか。


車は、道の駅のある海沿いから少しずつ山の方へ入っていった。

県道から町道へ。

そこからさらに、農業用道路のような細い道へ。


両側から木々がせり出していて、道路の端には落ち葉や小枝が溜まっている。

山道の隙間から、何度か海が見えた。

見えたと思ったら、また木々に隠れる。

この島の景色は、忙しい。


「イノシシとか出そうな道ですね」

「当然、出ますよ」


凪沙さんが、当然のように言った。


「当然出るんだ……」

「安心してください。イノシシを轢いた場合、物損事故で保険がおります」

「何も安心できないんだが……」

「まあ、大概の場合、イノシシはぴんぴんしてます。

 車はダメになりますが」

「なおさら安心できないんだが!?」

「ですので、車のことは気にせず、必ず仕留めてください」

「農家さんの闇!!」


凪沙さんは、いつになく悪い顔をしていた。

農家としての事情があるのだろう。

深く踏み込んではいけない気がした。


道はさらに細くなった。

カーブを曲がるたび、木々の間から光が差し込む。

タイヤが小石を踏む音が、車内に小さく響いた。


やがて、車は山の中の開けた場所に停まった。

路上にはいくつもの車が停まっている。


車から降りると感じたのは、煙の匂いだった。

不快ではなく、暖かみを感じる、そんな匂いだ。


凪沙さんについていく形で、段々畑を歩く。

煙の匂いも次第に強くなり、それと共に人の活気のある声も大きくなった。


「これが、石風呂……?」


歩いた先にあったのは、石をくり抜いたような洞窟の入り口だった。

入口にはどこからか拾ってきたような不格好な扉が立てかけられていた。


「そうです。中で火を焚いて、石を熱して、その余熱で体を温めるんですよ」

「昔の人、すごいですね」

「今みたいにスイッチ一つで風呂が沸くわけじゃないですからね。

 農作業の疲労を癒す施設が必要だったんでしょう」


凪沙さんが、タオルを肩にかけながら言った。


「石風呂は、体の芯から温まりますよ」

「常連なんですよね」

「常連です。トキさんに鍛えられました」

「お婆ちゃんが⁉」

「えぇ、それはもう。

 あの人、滅茶苦茶長く入ってましたよ」


凪沙さんは、にししと笑った。

私の知らないお婆ちゃんの一面をまた知れた。


石風呂の管理をしているらしい年配の男性に挨拶をしてから、私たちは中へ向かった。

入口の前で、真帆さんがタオルを渡してくれる。


「熱くなりすぎたら、無理せず出ること。あと、水は飲む」

「はい」

「初めての人は、張り切るとだいたい蒸しすぎる。

 お菓子も人間も蒸されすぎても良いことはないからな」

「蒸しすぎる……」

「柚葉ちゃん、目指せ半生です」

「何を目指させてるんですか」


中へ入ると、むっとした熱が体を包んだ。

普通の風呂とは違う。

湯気というより、石そのものが熱を持っている感じだった。


床にはむしろのような敷物があり、その上に腰を下ろす。

石壁は暗く、ところどころすすけていた。


火はもう消えている。

それなのに、壁も床も、空気も、全部がゆっくりと熱を放っていた。

最初は、暑いと思った。


息を吸うと、鼻の奥に熱が入る。

肌がじわりと湿っていく。

額に汗がにじむ。

服の中にこもる熱が、少し息苦しい。


「……これ、結構きますね」

「最初はね」


真帆さんは、慣れた様子で背中を丸めて座っていた。


「でも、しばらくすると、抜けるよ」

「何がですか?」

「余計な力」


その言葉の意味は、すぐには分からなかった。

けれど、しばらくすると少しずつ体が変わっていくのが分かった。


肩の力が抜ける。

背中が緩む。

呼吸が、少しだけ深くなる。


頭の中で絡まっていた考えが、熱にほどかれていくような気がした。


スコーン。

ジャム。

お持ち帰り。

お婆ちゃんのレシピ。

そして……玲司のこと。


それらが、さっきまではごちゃごちゃと頭の中で音を立てていた。

でも今は、遠くにある。

消えたわけではない。

ただ、少し距離ができた。


「……不思議ですね」

「でしょ」


真帆さんは、気持ちよさそうに目を細めていた。


「火が消えたあとでも、石が熱を覚えてるんだよ」

「熱を、覚えてる」


その言い方が、少しだけ心に残った。


熱を覚えている石。

火が消えても、まだ温かいもの。


私は、自分の胸のあたりに手を当てた。

私の中にも、そんなものはあるのだろうか。


玲司に何度も冷やされて、会社で何度も削られて、それでもまだ残っている熱が。


「柚葉ちゃん」


凪沙さんが、飴玉のない口で言った。

さすがに石風呂の中では食べていないらしい。


「はい」

「顔、少し戻りましたね」

「どんな顔ですか」

「人間の顔です」

「さっきまで何だったんですか」

「煮詰まったジャム」

「ひどい」

「でも、焦げる前でよかったです」


そう言われて、思わず笑ってしまった。

体が温まると、笑うことすら少し楽になる。


石風呂の熱が、静かに体を包んでいる。

慣れてみると普通のサウナよりも入りやすい気がした。


それから一体どれだけの時間が経っただろうか。

真帆さんが立ち上がった。


「そろそろ一回出ようか」


外へ出ると、山の風が汗ばんだ肌に触れた。


冷たい。

けれど、気持ちいい。


体の奥には、まだ熱が残っていた。

火はもう消えているのに、石は熱を覚えていた。

その熱を、私の体も少し分けてもらったような気がした。


深く息を吸う。

木の匂い。

煙の匂い。

かすかな潮の匂い。


私は、さっきまでより少しだけ、息がしやすくなっていた。

答えはまだ出ていない。


スコーンも、ジャムも、どうすればいいのか分からない。

でも、分からないままでも、今は少しだけ立っていられる。


「どう?」


真帆さんが聞いた。


「初蒸された感想は」

「……思ったより、よかったです」

「でしょ」

「頭が少し静かになりました」

「それが石風呂の効能だよ。たぶん」

「たぶんなんですね」

「細かいことはいいの」


凪沙さんが、タオルで首元の汗を拭きながら言った。


「柚葉ちゃん、顔色いいですよ」

「そうですか?」

「はい。さっきより、だいぶ人間です」

「だからさっきまで何だったんですか」

「煮詰まったジャムです」

「二回言わなくていいです」


三人で笑う。

山の中に、私たちの笑い声が少しだけ響いた。


この島には、まだ知らない場所がある。

まだ知らない熱がある。

まだ知らない人の顔がある。


そしてたぶん、私の中にも。

まだ、冷えきっていないものが残っている。

そんな気がした。


ここまで読んでいただきありがとうございます!!

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