美味しいだけでは届かない
「このままでは、販売することはできない」
「えっ……」
真帆さんの真剣な表情を前に、それ以上の言葉が出なかった。
真帆さんはスプーンを置いた。
その表情には簡単には譲らない線引きがあった。
「どうしてですか?
こんなに美味しい味なのに」
凪沙さんはいつの間にか、手にしたスコーンにジャムを乗せ、口にほおばっていた。
私もそれにならい、スコーンにジャムを乗せる。
その瞬間、ジャムがスコーンの上をゆっくり滑る。
「もしかして保健所の問題ですか?」
「それもある。だが、それ自体はうちのお店でジャムを煮込めば解決する」
「なら、なんで……」
真帆さんは改めてジャムの方を見つめた。
その瞳はどこか悲しげに見えた。
「味はいい。スコーンにも合う。
でも持ち帰り商品としては相性が悪い」
「あっ……」
私は真帆さんの言葉で致命的なことを思い出した。
それは真帆さんの商品たちだった。
全て綺麗に個包装されていた。
試作のスコーンもわざわざ冷めてから味見していた。
それらは全て、お持ち帰りを前提に作られていた。
ぽたり、とスコーンからジャムが流れ落ち、指先についた。
「ジャムはこぼれる。手も汚れる。
スコーンに添えるなら容器もいるし、スプーンも付けることになる。
それらは車で食べたい客には、ちょっと面倒なんだよ」
それと同時に思い出されたのは、なつみのPOPを作ったときことだった。
あのときは皮の剥きやすさを、車の中での食べやすさとして売りにした。
実際、それでお客が手に取るきっかけとなった。
では今回のスコーンとジャムはどうだ。
ジャムを添えるなら片手では食べられない。
子供も食べるなら車内でこぼす恐れもある。
それらは持ち帰りの商品として致命的だった。
スコーンは美味しい。
ジャムだって。
それぞれきっと価値があるものだ。
だが、それだけでは届かない。
その事実が、なんだか私に向けられている言葉のような気がした。
「待ってください。
なら、店頭での販売ってことならどうですか?
持ち帰らずに、お皿にスコーンとジャムを添えて販売するなら……」
「悪くはない。だが、それだけじゃ弱いだろうな」
真帆さんは他のチャレンジショップ、そして道の駅の二階に視線を移した。
「ここに来る客は、だいたい昼食を食べに来る。海鮮丼、ラーメン、定食。
腹を満たしに来たのに、スコーンをわざわざ食べに来るヤツは少ないだろう」
「……確かに」
「島のジャムです。スコーンです。美味しいです。
それだけじゃあ、わざわざここで食べる理由にはならない」
真帆さんの言っていることはもっともだと思う。
今のままでは、わざわざ食べてもらうだけの理由が足りない。
「……そこまで考えていませんでした。
祖母のレシピを使うことばかり考えていて」
「いや、いいんだ。
むしろ、そういう案が出たから問題が見えた」
真帆さんは小瓶を見た。
「味はいい、それは私が保証する。スコーンにも合う。
でも、どう届けるかがまだ見えてない」
美味しいだけでは、まだ届かない。
この味を、どう手渡せばいいのだろう。
考えるべきことが、次々と増えていく。
会議室のホワイトボードみたいに、頭の中に項目が並んでいく。
課題。改善案。検証方法。販売導線。差別化。
考えることを整理して、分析して、組み立てて……。
「……柚葉ちゃん」
凪沙さんの声が聞こえた。
「また眉間が会議室になってます」
「眉間が会議室って何ですか」
「椅子と机が並び始めてます」
「嫌な比喩ですね……」
自分でも分かる。
私はまた、考えすぎている。
真帆さんのお店を盛り上げるには。
お婆ちゃんのレシピを届けるには。
このジャムを商品にするには。
考えれば考えるほど、言葉ばかりが増えていく。
でも、その言葉の真ん中にいるはずの私が、どんどん薄くなっていく気がした。
私は、何がしたいのだろう。
真帆さんの店を助けたいのか。
お婆ちゃんの夢を叶えたいのか。
それとも誰かに頼られることで、自分にも価値があると思いたいだけなのか。
思考が沈み込みそうになった瞬間、目の前から声がした。
真帆さんだった。
「ああもう。分からん!!
これは一回、置く」
「置くんですか?」
「置く。いったん保留。
スコーンとジャムを睨んでても、急に答えは生えない」
真帆さんは店の奥から、畳んであったタオルを一枚取り出した。
そういえば、さっきから店の隅に布袋と着替えのようなものが置かれていた。
「ちょっくら石風呂に行ってくる!!」
「おっ、いいですねぇ!!」
「石風呂?」
聞き慣れない言葉だった。
頭に浮かんだのは、石でできた大きな浴槽だ。
五右衛門風呂の親戚みたいなものだろうか。
「サウナみたいなものですよ」
凪沙さんが、当然のように説明した。
「石の洞窟みたいなところで火を焚いて、その余熱で温まるんです。
この辺だと、たまにやってるんですよ」
「そういうのがあるんだ……知らなかった……」
この島の新たな一面を知った。
「むしろ真帆ちゃん、よく知ってましたね」
「お菓子はオーブンを使う。火の扱いにも長けている。
よって菓子屋は古今東西のサウナ事情に精通してるもんだ」
「ただのサウナ好きということですね」
確かに真帆さんとサウナというのは何となく似合う気がした。
真帆さんは、タオルを肩にかけて笑った。
「お菓子のことばっか考えてると、頭が固くなる。
こういうときは、一回蒸した方がいい」
「頭を蒸すって、言い方が怖いです」
「蒸したら柔らかくなるよ。食べ物も、人間も」
その言葉に、凪沙さんがすかさず頷いた。
「いいこと言いましたね」
「だろ?」
「私のことわざ枠を取らないでください」
「そこ張り合うんですか」
定休日のチャレンジショップに、三人分の笑い声が響いた。
私は皿の上に残ったスコーンと、小瓶のジャムを見た。
まだ答えは出ていない。
スコーンもおいしい。
ジャムもおいしい。
けれど、まだ何かが足りない。
この島でなければならない理由。
買ってもらう理由。
持ち帰る方法。
そういうものに、あと少し届いていない気がした。
それが見つからないまま、私は小瓶の蓋を閉めた。
無理にここで答えを絞り出しても、きっとまた焦げるだけだ。
ジャムも人間も、煮詰めすぎると焦げる。
前に凪沙さんが言った言葉を思い出す。
「……私も行ってみたいです」
それが今の私の”やりたい”だった。
私が言うと、真帆さんは満足そうに頷いた。
「よし。じゃあ、皆で頭を蒸しに行こう」
「やっぱり言い方が怖いです」
凪沙さんは、からころと飴を鳴らしながら笑った。
私はずっと手に持っていたジャム付きのスコーンを口に運ぶ。
「あれ……」
「どうしました?」
「……ううん、なんでもない」
小さな違和感が、舌の上に残った。
おいしい、ちゃんとおいしいはずなのに……。
今の私には言葉にできなかった。
だけど……だからこそ……。
この違和感の先に、何かがあるような気がした。
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