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新メニューと試作品

道の駅は、定休日だった。

いつもなら観光客の車で埋まっている駐車場も、今日はどこか間が抜けたように広く見える。


直売所の自動ドアは閉まり、建物の中も薄暗い。

けれど、チャレンジショップの一角だけは違っていた。


プレハブ小屋の小さな窓から、明かりが漏れている。

その前に、見慣れたエプロン姿の女性が立っていた。


「あっ、真帆ちゃん」


凪沙さんが、口の中の飴をからころ鳴らしながら手を上げる。

真帆さんはこちらを見ると、にっと笑った。


「おう。来たね、お二人さん」

「今日は道の駅、お休みなんですよね?」


私が尋ねると、真帆さんは肩をすくめた。


「店は休み。でも仕込みは別腹」

「仕込みに別腹って使います?」

「使う使う。菓子屋はだいたい胃袋で考えるんだよ」


その理屈はよく分からなかった。

けれど、真帆さんらしいとは思った。


「凪沙、さっきは夏みかんのお届けありがとね」

「いえいえ。私は繋いだだけですので」


そう言いつつ、凪沙さんは少し照れたように頬をかいた。

飴玉が、からころと小さく鳴る。


「繋ぐのが一番大事なんだよ。

 材料がなきゃ、菓子は焼けない」


真帆さんはそう言って、店の奥を親指で示した。


「そのお礼と言ったらなんだけど、

 ちょうど今、焼き上がったところなんだ。食べてくれるだろ?」

「もちろんです」


凪沙さんが即答した。


「早いですね」

「食べ物の返事だけ速いですね」

「食べる役目を任されていますから」

「誰にですか」

「島に」

「主語が大きいな」


真帆さんは豪快に笑いながら、店の奥へ入っていった。


小さな厨房から、甘い香りが漂ってくる。

バターの香り。

それから、ほのかに青く、爽やかな柑橘の匂い。


真帆さんは、まず小さな焼き菓子を乗せた皿を持ってきた。

深い緑色をした、丸い菓子だった。


「こっちは平日用。抹茶のマドレーヌ。

 甘さ控えめで、お茶に合わせるつもり」

「もう作ったんですか?」

「思いついたら焼く。焼かないと分からないからね」


真帆さんは、何でもないことのように言った。

その迷いのなさに、少しだけ圧倒される。


思いついたら動く。

試して、焼いて、食べて、直す。


そのフットワークの軽さは、私にはないものだった。


「ほら、食べてみて」

「いただきます」


抹茶のマドレーヌは、しっとりしていた。

甘さは控えめで、後味にほんの少し苦みが残る。

派手さはない。

けれど、お茶と一緒に食べるなら、きっとちょうどいい。


「これ、おいしいです」

「私も好きです」


凪沙さんが、すかさず頷いた。


「地域の集まりとかで出してもよさそうですね。

 小さいし、食べやすいですし、お年寄りにもいいかもです」

「そういうのが聞きたかったんだよ」


真帆さんは満足そうに笑った。


「平日はこっちを増やそうと思ってる。

 あとはあんこ入り、ゴマ入りとかも試すつもり」

「すごい……もうそこまで」

「方向が分かれば、あとは焼くだけだからね」


真帆さんは軽く言った。

けれどそれはきっと、真帆さんに技術があるから言えることなのだろう。


私が言葉にしただけの提案を、彼女はすぐに菓子の形へ変えていた。

それが少し眩しく見えた。


「それで、問題はこっち」


真帆さんは、今度はオーブンの天板からスコーンを取り出した。

湯気が、ふわりと立ち上る。

表面には、浅い黄色の細かな粒が混ざっていた。

夏みかんの皮だろう。


「休日用。夏みかんピール入りスコーン」

「これも、もう……」

「だから定休日なんだよ。こういう日は試すに限る」


真帆さんは、手早くスコーンを紙皿に乗せた。


「熱いから気をつけて」


指先に熱が伝わる。

火傷しそうなほどではないけれど、かなり熱い。

息を吹きかけながら、そっと口をつけた。


まず小麦の香りが広がった。

そこにふわりと柑橘の香りが重なる。

夏みかんの皮を甘く煮たピールが、ところどころに混ざっていた。

噛むと、甘さの奥にほろ苦さが残る。


「夏みかんの香りがいいですね」


凪沙さんが、目を細めて言った。

私も頷く。


「はい。おいしいです」


ただのスコーンではない。

この島で採れた夏みかんを使った、この島のスコーン。

その一言が加わるだけで、食べているものの輪郭が少し変わる。

ここで食べる理由が、この島に来たという物語が、ちゃんとあるように感じられた。


「そう。それならよかったんだけどね」


けれど、真帆さんの表情は晴れなかった。

腕を組み、少し難しい顔をしている。


「どうしたんですか?」

「こっちも食べてみて」


真帆さんは、別の皿を持ってきた。

そこには、さっきと同じようなスコーンが乗っている。

ただ、こちらはもう湯気が出ていなかった。


「少し前に焼いたやつ。冷めた状態」

「いただきます」


私は、冷めたスコーンを一口食べた。

生地はさっくりしていて、それ自体は悪くない。

むしろ、スコーンらしい食感になっている。


けれど、焼きたての時とは少し印象が違った。


夏みかんのピールが、歯に引っかかる。

焼きたてのときは香りや熱で気にならなかった皮の繊維が、冷めると少しだけ硬く感じられた。

苦みも、先ほどより前に出ている気がする。


「……確かに、少し変わりますね」

「だろう?」

「けど普通に美味しいですけど……」


真帆さんが、悔しそうに言った。


「不味くはない。普通に食べられる。

 けど、私はこれを売りたくない」


その声に、さっきまでの軽さはなかった。


大雑把な人だ。距離の詰め方もいい加減。

けれど作ったものに対する線引きは、思ったよりずっと厳しい。


「意外と厳しいんですね」

「意外とは余計だ」


真帆さんは、スコーンを指で軽く叩いた。


「私は粗雑だけど、雑じゃないんだよ」


その言葉に、少しだけ笑ってしまった。

でも、言っていることは分かる気がした。


真帆さんは大雑把に見える。

けれど、自分の菓子を雑には扱わない。


「てなわけで試行錯誤中。

 冷めても美味しく食べれるように研究しているところなんだ」


真帆さんははぁ、っと息を吐く。

もう何度も試してみているのだろう。


力になってあげたい。

そう思う反面、私には知識がなかった。

真帆さんにわからないことが、私にわかるはずもない。


「柚葉ちゃん?」


考え込んでいると、凪沙さんが私の顔を覗き込んだ。


「真帆さんに食べてもらわなくていいんですか?」

「……うん」

「なんだい?面白そうな話だね」


私は、鞄の中に入れていた小瓶を取り出した。

手のひらに収まるくらいの小さな瓶。


中には、昨夜作った夏みかんジャムが入っている。

浅い橙色のジャムが、瓶の中で光っていた。


「実は、私も試してみたものがあります」

「へえ。柚葉も仕事が早いじゃないか」


真帆さんの目が、少し楽しそうに細くなる。


「夏みかんのジャムです。

 お婆ちゃんのレシピを見ながら、作ってみました」

「へぇ、柚葉の家で代々受け継つがれたジャムか」

「そんな壮大ではないですよ」


受け継いだわけではない。

ただ私が勝手に背負いたいと思っただけ。


「まだ試作品です。完成品ではありません。

 売り物でもないです」


言い訳みたいだと思った。

けれど、そこは先に言っておきたかった。


この小瓶は、答えではない。

ただ、答えを探しに行くために持ってきたものだ。


「まず、食べてもらえませんか」


私は小瓶を差し出した。


「真帆さんのお菓子に合うかどうか。

 その可能性だけでも、見てもらいたくて」

「……わかった」


真帆さんは、しばらく私の顔を見た。

それから、何も言わずに瓶を受け取った。


蓋を開けると、夏みかんの香りが小さく広がる。


真帆さんはスプーンで少しすくい、そのまま口に入れた。


その表情が、さっきまでとは少し変わった。


軽い顔ではない。

お菓子を見る人の顔だった。


「……うん」


真帆さんはもう一度、そして今度はスコーンにジャムをつけた。


「これは悪くない」


胸の奥が、少しだけ緩む。


「本当ですか?」

「悪くないどころか、スコーンにはこっちの方が合うかもしれない。

 ピールを生地に混ぜ込むより、ジャムとして添えた方が、香りも苦みも調整しやすい」

「……」


自分で作った小瓶の中身が、真帆さんの言葉で、少し違うものに見えた。


ただの試作品ではなく。

スコーンの横に置けるかもしれないもの。


それなら―――

私は安堵の息を漏らした。


お婆ちゃんのレシピが。思いが。

価値を伝えることができた―――


「だがこのままだと、販売することはできない」

「えっ……」


真帆さんの真剣な顔に、私は声を出すことができなかった。


ここまで読んでいただきありがとうございます!!

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