おまけ『すいばり』
レシピノートを探している最中、ちょっとした事件があった。
「痛った!」
指先に、ちくりとした痛みが走った。
「大丈夫ですか?」
凪沙さんが、すぐにこちらを振り返る。
「うん、全然。驚いただけ」
私は指先を見た。
古い木箱を動かした拍子に、細い木片が刺さったらしい。
「なんだ。すいばりですか」
「……すいばり?」
なんだ、その言葉は。
私が聞き返すと、凪沙さんの顔色が変わった。
「えっ」
「え?」
「もしかして、すいばりって方言ですか!?」
凪沙さんは、まるで自分の秘密が暴かれたみたいな顔をした。
彼女は私と話すとき、意識して方言を減らしていることには気づいていた。
だからこそ、これは予想外だったのだろう。
「うぅ……ぶち恥ずかしい……」
「まあまあ」
慌てていたからか、更に方言を使ってるし。
ちなみに「ぶち」は、「とても」という意味らしい。
「それで柚葉ちゃん。
すいばりって、そちらでは何て言うんですか?」
「えっと……普通に、トゲ、かな? 棘が刺さった、とか」
「……はぁ?」
凪沙さんの目が、すっと細くなった。
どうやら私は彼女の逆鱗に触れてしまったらしい。
「いやいやいや。トゲが刺さったって大ごとですよ」
「そうですか?」
「そうですよ!!
トゲって、バラとか、サボテンとか、そういうやつじゃないですか!!」
「いや、でも……」
日常生活でそれらが刺さることはまずないのだから、
別に同じ名称で困ることもないのだけど……。
「都会の人は、あのぶっとい棘とすいばりを同一視してるんですか。信じられない」
「都会代表として責められても困りまるよ。
あとは、ほら。ささくれ、とか?」
「ささくれは指にできるやつじゃないですか!!」
凪沙さんは、なぜか本気で怒っていた。
「全然すいばりと違います」
「そんなに違います?」
「違います。
すいばりは、木とか竹の細いやつが、すっと入って、見えにくくて、抜くのが地味に面倒なやつです」
「説明されると、確かにちょっと欲しいね、専用の言葉!!」
「でしょう!!」
凪沙さんは、急に勢いづいた。
「都会の人って、そういうところいい加減ですよね」
「へ、ヘイトスピーチ……」
「つまり一般日本人は、そんな不便な言葉で生きているわけですか」
「一般日本人を巻き込まないであげて!!」
「柚葉ちゃん」
凪沙さんは、私の両肩に手を置いた。
「流行らせてください。すいばりを!!」
「えぇ……」
「こんな便利な言葉、他にありませんよ。
他の方言なら、だいたい別の言い方ができます。
でも、すいばりだけは違います」
凪沙さんは、口の中の飴玉をからりと鳴らした。
「オンリーワンの、ナンバーワンです」
「針ごときに背負わせる役目が重くないかな!?」
「針じゃないです。すいばりです」
「そこから!?」
「さぁ、都会の知り合いに連絡するんです。
これから人類は木のトゲが刺さることを、すいばりが刺さると呼ぶのだと。
まずは五人。その五人が、さらに五人に回すように」
「チェーンメール!? 懐かしいね!!」
「または、すいばりを広めていき、広めた相手がさらに下の人に広めて……。
そして広めたら広めただけ、マージンが入るように……」
「方言界のねずみ講!?
すいばりの扱い、それでいいの!!」
結局、すいばりは無事に抜けた。
ただその日から私は、木の細い破片を見るたびに、
心の中の凪沙さんが「これはトゲではなく、すいばりです!!」と訂正するようになった。
方言というのは、意外と感染力が強い。
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