開かれた瞳
「いきなりごめんなさい。滝島セツナです」
私がそう言うと少し間が空いてから「あぁ。今日はありがとう」と感謝の言葉を述べた。
「今、大学?」
私が訊ねると、またしばらく間があって「うん」と答えた。
「今、出てこれないかな。大学の正門のとこ」
私がそう言うとサハラは「何かあったの?」と訊ねた。電話で聞く彼の声は淡々としていて、妙な緊張感があった。私はどう説明すべきか分からなくて、ぐちゃぐちゃになった頭の中を整理することに必死だった。
「何かあったの?」
サハラはもう一度問う。その声は1度目のものとは異なり優しかった。私は張り詰めた緊張の糸が緩むのを感じた。
「助けてほしい」
サハラの声を聞いて急に涙が出てきてしまった。震えてうまく話せなかったので、サハラに伝わったかどうかも分からない。しばらく相手は沈黙し、シーッという機械音だけが耳に響いていた。
「すぐに行くよ」
サハラはそう言って電話を切った。私はこみ上げる嗚咽と涙を抑えるために深く深呼吸をした。
「大丈夫?」
エソラが私の顔をのぞき込んだ。泣き顔を人に見られるのは嫌なので、私は彼から顔を逸らして腕で涙を拭った。
「ごめん。何か緩んじゃったみたい」
「謝ることはない。涙を流すことは悪いことじゃない」
エソラは首を横に振りながら穏やかな口調でそう告げた。
「今から私の知り合いがここに来る。協力してくれるか分からないけれど」
私が言うとサンデが怪訝な表情で訊ねた。
「セツナ。コアの協力をするやつなんかいるのか?」
私は少し躊躇ったけれど事態が事態なだけに、サハラのことを話すことにした。
「彼はコアなの。きっと仲間を助けることに協力してくれる。この前、偶然知り合ってとてもいい人だよ。今日の夜も私、凶暴なコアに襲われそうになったんだけど、助けてくれた」
「大学にいるコア、か」
意味深げにエソラが呟いた。その曇った表情に嫌な予感がした。
「星の手先かもしれないな」
「ちょ……ちょっと、そんな悪い奴じゃないよ。だって私に正体を明かしてまで助けてくれたんだよ? そんなこと……」
私が曖昧な否定の言葉を発しようとした時、背後から「滝島さん?」と聞き覚えのある声がした。振り返ると先ほどと変わらない格好のサハラが門の所に立っていた。私は彼に駆け寄る。彼が星の手先のわけがない。あの講演会の日に見たコアのような残酷な一面など一切無いではないか。
「どうかした?」
サハラは少し身を屈めて私に視線を合わせて訊いた。飄々とした様子は普段と変わらないが、その表情は優しい。私が息を吸い、事情を話そうとした時、背後から背筋が凍るような冷たい声が聞こえた。
「セツナ、そいつから離れろ」
「え?」
私が振り返ると、エソラがこちらを睨んでいる。青い瞳が刺すような眼光を放ち、それが向けられているのがサハラだということはすぐに分かった。
「そいつは星の手先なんかじゃない」
それは良かった、と胸を撫で下ろすわけにはいかなかった。彼の言葉の意味が何を意味するのか分からないけれど、状況が思わしくないことは分かったからだ。次に私はサハラをみる。彼はうっすらと笑みを浮かべたまま、そこに立っている。エソラの言葉も刺すような視線も受けて立つと云わんばかりに。
「会いたかったよ。サハラさん」
「俺は会いたくなかったけどな」
旧友と再会するような話し口調に、私は頭が混乱する。
「こいつこそが半身。邪悪な意思を継ぐ者だ」
「え?」
「セツナに近付いて何を企んでいたのかは知らないが、結局それが仇になったな」
サハラはふぅと息を吐いて目を閉じた。
「別に何かを企んでいたわけじゃない。滝島カオルの娘が偶然落とし物をしてそれをたまたま俺が拾っただけ。偶然再会してご飯を食べただけ。偶然愚かなコアに出会って守っただけ。こんなに偶然が重なって俺すら驚いている」
サハラはゆっくりと目を開けた。その眼窩に入っている瞳が目も覚めるような青い光を放っていることに私は息を呑んだ。エソラと同じ、海を凝縮したような瞳。
「ごめんな」
彼は少し困った顔をして私にそう言った。穏やかな声だった。
「どうするつもりだ?俺を食うのか?」
サハラは視線をまたエソラに戻して訊ねた。
「当たり前だ。お前という脅威を取り除かなければ世界に安寧の平和は訪れない」
「なるほど。まぁそうなるよな。俺は間違いなく世界に闇をもたらす指揮官だしな」
「随分聞き分けがいいな。この世や野望に執着はないのか?」
サハラは首を竦めて「分からない」と短く言った。
「分からない?」
「俺は最高の肉体を得るために、人の身体を奪い野望のために動いてきた。だが次第にどうでもよくなったんだ。これを人は疲れたと言うんだろうな。野望に動かされるだけの日々。意志と使命が離れていくという感覚。お前達には分かるだろう? かつてお前達は俺に自由を奪われていたのだから」
「勝手な奴だな。お前の言い分に興味はないよ」
「まぁいい。要するにどうでもいいってことだ。セルも世界も。願わくばこのまま街をぶらぶらしたり、誰かとご飯を食べたりして平和に過ごしたかったな」
私は目を見開く。サハラが本当に凶悪な星だなんて考えられない。消されるべき存在だと理解することを頭が拒絶している。
「チェキは?」
私は口からこぼすようにサハラに問う。
「チェキも貴方が?」
「残念だけど指示したのは俺だ。まさかキミと関係あるなんて知らなかったけどね」
私はまた泣きそうになる。一体誰を信じればいいのだ。
「ちなみに、俺を消してもハッピーエンドにはならないよ。残念ながら」
「どういう意味だ」
「騎士達が黙ってない。セルがある以上、誰だって神様になれるんだ。リヒトの心さえ手に入れれば」
そう言ってサハラは微笑み、エソラを指さす。
「気付いていたのか」
「あぁ。俺はお前の半身だぞ。分からないわけないだろ。今は何の未練もないけど」
彼はきっぱりとそう告げて大きく背伸びをした。そして金髪を右手で撫でながら、「俺の負けってことで食っていいよ」と笑った。