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辞退と後継

私は固唾を呑んでその様子を見守っていた。胸には大穴が開いたような気分だった。サハラがケロッとした様子で食われてもいい、と言ったせいかもしれない。生への執着の欠片もない彼の様子に何故か私は心を傷めた。


「どうした? 躊躇うことはないよ」


彼は相変わらず穏やかな笑みを浮かべて言った。エソラは慎重になっているのか、すぐに動き出しはしなかった。


「お前を信用する気はないが、少し引っかかるんだよ」

「何が?」

「実は」


エソラが何かを言おうとした時、かき消すようにして「だめだよ」と男の声がした。声の発信源を探すようにして、エソラは首を動かした。声を発したのは、大学の門の所に立っている小柄な黒縁眼鏡をかけた少年であることに気付いた。高校生だろうか。ボロボロの穴の開いたジーンズをはいていて、腰に着けたチェーンのせいで歩くとガチャガチャと騒がしい音がした。精悍で知的な顔立ちと対比したそのだらしない格好は、スーツを着たピエロと同じくらい滑稽に私の目に映った。


「俺達のを奪わないでよ」


ヘラヘラと笑う少年の言葉には懇願などは微塵も感じられなかった。


「サハラ君はこれから神様になるんだよ。世界に必要な存在なんだよ」


時間が遅いからか、校門周辺を歩く人はいなくなっていた。気が付くと、先ほどまで点いていた研究棟の電気が消えていた。


「この混沌カオスから世界を救うには神様がいるんだ。そうでしょ? サハラ君」


サハラはすぐに答えなかった。このまま彼が何も答えなければいいのにと私は強く思った。彼は薄暗い霧の立ちこめる森の中で答えを見出そうとしているようだった。


「生命が飽和したこの世界と少女の願いが交わった時、その意志は生まれた。秩序の失われた世界は癌細胞のように恐ろしい速さで成長を加速する。それを統制する者が今必要なのは確かだ」


彼は劇の台本を読んでいるようだった。すらすらと止めどなくこぼれる言葉の意味はよく分からない。


「でも俺はその使命を果たす気力がなくなってしまった」


サハラは肩を落として、目の前にいる少年に力なく告げた。


「タテナリ。俺はもう止めるよ」


タテナリと呼ばれる少年は口元を緩めたまま笑っていた。サハラの弱々しい姿を眺めて、楽しんでいるようにも見えた。


「そうみたいだね。サハラ君が一抜けする話はさっき陰でこっそり聴いてたよ。残念だ、とても」

「タテナリ……」

「サハラ君は俺達コアを生み出した神に限りなく近い存在なのにさ、限りなく人間に近づこうとするんだもん。見ててイライラするよ。俺達が手を伸ばして手に入れようとするものは目の前にあるのに。くだらないよ。本当にくだらない」


そう言うタテナリの表情に落胆の色はない。むしろこの状況を楽しみ、待ち望んでいたように見えた。サハラはタテナリのその様子が想定内だったようで、固まった表情をただ彼に向けていた。


「で、サハラ君」


タテナリはゆっくりと前進する。彼は歪んだ笑みを浮かべながら、サハラと向かい合った。


「さっき興味深い話があったね。鍵に関することだけど」


タテナリは手を後ろで組み、サハラの顔をのぞき込んだ。サハラは顔を背けるが、タテナリの手が彼の顎を掴み、否が応でも前を向かされる。


「もう俺のものだよね。サハラ君は辞退したんだもん」


タテナリはすっと背筋を立てて、傍らに立つエソラを見た。


「なんかいいことずくしだなぁ。命令を素直にきいてきた今までの褒美かもしれない」


にやつく少年に苛立ったのか、エソラが声を荒げた。


「おいおい。まさかお前、おれが素直についていくと思ってるんじゃないだろうな」

「だよねぇ。でも準備はしてるんだよ」


タテナリはそう言って指をパチンと鳴らした。その音がなると共に、ヒュッと風を切るような音がして、私の目の前に人影が現れた。思わず声を失った。眼前に喉元に鋭利な刃物を突きつけられている。それが日本刀であり、持っているのが艶っぽい外国人女性であることに戸惑いを隠せない。


「セツナ!」

「滝島さん!」


サンデとサハラが私の名前を呼んだ。私は全身を震わせる。


「ごめんなさいね。サハラさん。私達、タテナリには敵わないの。貴方が悪いのよ。私達騎士をを裏切るようなこと言うから」

「シエラ……」

「なんだか様子がおかしいと思ったわ。こんな小娘にたぶらかされていたのね」


身体をくねらせて、まとわりつくような話し方をするこの女性の顔に何故か見覚えがあった。ピンクの口紅とウェーブのかかったブロンドの髪。このようなわざとらしい演技をする女優がいたような気がする。


「こんな小娘が人質じゃ心配だから、人質はもう1人いるんだ」


タテナリは校門の方を見やる。ゆらりと再び景色が歪んで、そこにもう1人の男が現れた。整った皺1つないスーツに身を包んだその男の顔も知っていた。あのコア狩りの時、講演会場にいた、あのコアだ。彼の腕に羽交い絞めにされるようにして血みどろのままのチェキがいた。力なくぐったりとした様子で、彼はかろうじて立っているようだった。あの端正な顔にも殴られた痕跡が鮮明に残っている。


「チェキ!」


私の声にチェキはうっすらと目を開けた。それでも力ないことは間違いない。男は私に視線を一瞬向けただけで、興味なさそうに息を吐いた。


「サハラさん、僕はがっかりしています。タテナリとか、シエラとは違って本当に残念に思っていますよ」


スーツの男は愕然とした様子でそう言った。


「貴方は神になるべき存在だった。それほどまでに完璧な存在に思えたのに、実際は違ったんですね。本当に悲しい」


そう告げるスーツの男の言葉を愉快そうに聞きながら、続いてタテナリが口を開いた。


「ま、そういうわけでさ、取引がしたいんだよね。エソラ君」

「取引?」

「そうそう。俺は鍵がほしい。あんたはチェキを返してほしいんだろ? 取引しようよ」

「つまりおれがお前とチェキを交換しようってことか?」

「そういうことだね、エソラ君」


タテナリはワックスで固めたツンツンの黒髪を触りながら、ゆっくりと前進しエソラの前に立った。


「お前が星の意志を継ぐというのか?」

「まぁ、そうなるね。だって、この世界は本当にこのままじゃいけないからね。共存できない2つの種族が、入り乱れたこの世界は力あるものによって統制されるべきなんだ」


それを聞いて、サハラは顔を歪めて笑った。


「お前が求めているのは、秩序ある世界ではないだろう?」


咎めるような口調だった。タテナリは相変わらずヘラヘラ笑ったままだ。


「さぁ、どうだろう?」


彼はそう言って、エソラに右手を差し出した。


「どうする? この取引がうまくいかないなら、チェキはセルに投げ込むことになる。そこの可愛いお嬢ちゃんも、喉元切り裂かれて死んじゃうかもね」

「汚いな」

「そうだね。俺はサハラ君のように、星のように綺麗に計画を遂行する必要はないから。だって人間だったんだからさ。汚いことも、卑怯なことも全部やる。あ、勿論サハラ君、俺達の妨害しないでね」


サハラは鼻で笑う。


「俺は、お前達に私怨があるわけではない」

「だよね。それを聞いて安心したよ」


タテナリの骨ばった右手をエソラは凝視していた。その手を握り、神誕生に加担するか、拒否し、私とチェキを切り捨てるか。

エソラとは出会ったばかりで、どのように選択するか予想がつかなかった。ある時は優しく、ある時は非情に私達を導いた。そんな彼が、一体私達の命と世界の脅威を天秤にかけてどのように傾かせるのか、全く分からない。


エソラはゆっくりと息を吐いた、長く、深く息を吸い、それを外に吐き出した。


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