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12. 推しのためなら壊れたって構わない

 白い天井。消毒液の匂い。

 タケルが重い瞼を開けると、見慣れない部屋の景色が飛び込んできた。

 木目の浮き出た古ぼけた梁。鼻をつくのはツンとした消毒用のアルコールと、独特な薬草の香り。


「……ん」


 声を出すだけで、喉が焼け付くように痛い。身体を起こそうとした瞬間、全身の筋肉が悲鳴を上げ、そのままベッドに沈み込んだ。指一本動かすのにも、凄まじい気力が必要だった。


「気がついたようですね」


 ベッドの脇から声がした。

 視線を向けると、椅子に座って分厚い本を読んでいたセレイナが、バタンと本を閉じてタケルを見た。その表情には微かに安堵の色が浮かんでいる。


「セレイナさん……? ここは……」

「冒険者ギルドの医務室です」

「医務室……あっ、ライブ! ライブはどうなったんですか!?」


 記憶が濁流のように押し寄せてきた。

 審査ライブ。ヴァルガンの見事なパフォーマンス。そして、照明を切り替えようとした瞬間に途絶えた意識。


「動かないでください。貴方は倒れてから丸二日、ずっと眠り続けていましたよ」

「え……!? 嘘だろ!?」


 タケルは跳ね起きようとしたが、激痛が走って崩れ落ちた。腕には点滴代わりの魔力供給チューブが繋がれている。


「ぐっ……!」

「医者の診断では、極度の過労と魔力欠乏、それに栄養失調。最低でも三日間は絶対安静です」

「み、三日も……!?」


 タケルは血の気が引いた。

 このまま寝ていたら、夏祭りはどうなる? 審査ライブは夏祭りの八日前だった、そこから二日経っていてさらに三日休め? 準備期間が終わってしまう。それどころか、Bランク依頼のノルマだってまだ残っているのに。


「そんなに寝てられるか! 審査の結果はどうなったんですか!?」

「……保留です」


 セレイナは静かに、少し答えづらそうな表情をしながら言葉を続ける。


「ヴァルガンさんが倒れた貴方を抱えて途中退場したので、委員会の心証は最悪です。『パフォーマンスは見るべきものがあったが、プロとしての責任感に欠ける』と。最終決定がどうなるか、まだわかりません」


 その言葉を聞いたタケルは、頭を殴られたような衝撃が走った。

 自分のせいで。自分が倒れたせいで、ヴァルガンのチャンスを潰してしまった。


「ああ……ああっ……!」


 タケルは頭を抱えた。あの時、這ってでも意識を保っていれば。いや、もっと早くBランクの依頼を進めて余裕を作っておけば。後悔と自己嫌悪が、黒いタールのように心臓を塗りつぶしていく。


「行かなきゃ……! 今すぐ行って謝らないと! 追加の審査でも何でも受けて、頭を下げて……!」


 タケルは震える手で腕のチューブを引き抜こうとして、赤い血が滲む。慌ててセレイナがその手を掴んだ。


「タケルさん、落ち着いてください!」

「離してください! 早く行かなきゃ、手遅れに……!」


 バンッ!


 ドアが悲鳴を上げるほどの勢いで開かれた。

 入ってきたのは、果物かごを抱えた巨漢──ヴァルガンだった。


「騒がしいぞ。病人が暴れるな」

「ヴァルガン……!」


 タケルは涙目でヴァルガンを見た。

 その顔を見るだけで、申し訳なさで胸が張り裂けそうになる。


「すみません、俺が倒れたせいで……でも大丈夫です、今すぐ委員会に行って土下座してきますから……!」

「ならん」


 ヴァルガンはかごをサイドテーブルにドンと置き、ベッドから這い出そうとするタケルの肩を片手で掴んだ。

 そのまま優しく、しかし抗えない力でベッドに押し戻す。


「貴様は休め。これは命令だ」

「離してください! 今やらなきゃダメなんだ!」


 タケルは必死に抵抗した。だが、魔王の圧倒的な筋力に敵うわけがない。動けないもどかしさと、焦りと、自己嫌悪。それらが混ざり合って、タケルの中で何かが弾けた。


「わかってない! ヴァルガンはわかってないんだ!」


 タケルは叫んだ。喉が裂けそうなほどの絶叫。


「注目度抜群、夏祭りのメインステージが目の前にあるんだぞ!? お前が輝ける、最高の場所が!」

「……」

「なのに、そのチャンスが俺のせいでなくなるなんて……そんなの絶対にダメだ! 俺の体なんてどうでもいい! アイドルが輝く場所を作れるなら、俺なんか壊れたって本望なんだよ!!」


 医務室の空気が凍りついた。セレイナも思わず息を呑む。

 それは、これまでタケルが隠していた本音だった。オタクとしての歪んだ献身。自分には価値がない、自分は空っぽ。だからこそ推しという「光」のために使い潰されるなら、それは正しいことなのだという悲しい自己犠牲。


 タケルは肩で息をしながら、涙を流した。

 みっともない。最低だ。こんなところまで見せて、プロデューサー失格だ。


「……ふざけるな」

「え……?」

「貴様が壊れて作ったステージになど、我は立たん」


 ヴァルガンの瞳は、静かな怒りで燃えていた。それはタケルの失敗に対する怒りではない。タケルが自分自身を軽んじたことへの、激しい憤りだった。


「我が欲しいのは、完璧な舞台ではない。貴様が一番前で、馬鹿みたいにペンライトを振っている景色だ」

「……」

「貴様がいなくては、我は『アイドル』になれんのだ。自覚しろ、愚か者め」


 ヴァルガンは、ふぅ……と大きく息を吐き、ベッド脇の椅子に腰を下ろす。


「全く。世話が焼ける」


 呆れたように言いながら、タケルの額に大きな掌をかざした。


「王の名の元に命ずる。『眠れ』、タケル」

「あ……れ……」


 ヴァルガンの赤い瞳が、妖しく輝いた。

 その瞬間、タケルの意識に強烈な睡魔が襲いかかる。抗おうとする思考が、甘い綿菓子に包まれたように溶けていく。瞼を開いていられない。


「ま……だ……」

「黙って寝ていろ。起きたら、リンゴを食わせてやる」


 ヴァルガンの声が遠くなる。

 タケルは抵抗できず、深い安らぎの中へと落ちていった。規則正しい寝息が聞こえ始める。


「うむ。これで丸一日ゆっくり寝るはずだ」

「……催眠魔法スリープで強制的に眠らせたのですか? 精神干渉系の魔法を一瞬で通すなんて、高ランクの魔法使いでも簡単にはできないのに……貴方、一体……」


 一部始終を見ていたセレイナが戦慄したように呟く。

 魔力欠乏で弱っていたとはいえ、瞬時に他者の意識を強制的にシャットダウンさせるなど人間業ではない。


「愚問だ、我は特別な存在だからな。……それに、こうでもせねばこいつは死ぬまで動き続けるだろう」


 ヴァルガンは少し悲しげな目でタケルの寝顔を見つめ、布団を掛け直した。


 ガチャリ。


 その時。ドアが開き、渋い顔をしたガルドが入ってきた。


「悪い知らせだ、トラブルが起きやがった」


 ヴァルガンは指を口元に当て、「静かにしろ」と合図を送る。ガルドは眠っているタケルを見て状況を察し、声を潜めた。


「……実行委員会から通達が来た。夏祭りの件について、早急に話したいだとよ」


 ガルドは一枚の書状をヒラヒラとさせた。そこには、王立騎士団と実行委員会の印章が押されている。


「呼び出しだ。……覚悟しておけよ」

「フン。望むところだ。タケルが目覚めるまでに、憂いは断っておかねばな」

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