11. 数多の歓声よりも、玉座への切符よりも
ルミナ・シティ中央広場。
夏祭りメインステージ出演を左右する、事前審査ライブ会場。普段は市民の憩いの場である広場が、今はむせ返るような熱気と殺伐とした緊張感に包まれていた。
舞台袖の狭い待機スペースには、振りを確認するアイドル候補生や、楽器を抱えた吟遊詩人……数多くの人々がひしめき合っている。誰もが目を血走らせ、最後の練習に余念がない。
そんな張り詰めた空気の中、一際異様なオーラを放つ二人組がいた。
「照明プランCに変更。サビ前のきっかけ、0.5秒早く。音響バランス、低音を強調……」
タケルは演出資料を確認しながら、ぶつぶつと呪文のように呟いていた。
その姿は生きている人間というよりは、怨念で動く亡霊に近かった。肌は不気味なほど白く、瞳は真っ赤に充血、目の下には濃すぎるクマが刻まれている。
指先が勝手に震えるのを止められず、額には汗が滲んでいる。だが、その眼だけは狂気じみた光を放ち、爛々と輝いていた。
「タケル」
傍らで腕を組んでいたヴァルガンが、低い声で呼びかける。
「……顔色が悪いぞ。立っているのも不思議なほどだ」
「あはは、何言ってるんですか。絶好調ですよ、ランナーズハイってやつです」
タケルは引きつった笑顔で答える。
嘘ではない。極限状態を超え、脳内物質がドバドバと出ているスーパー・ハイ状態。疲労感は麻痺し、使命感だけがタケルの身体を突き動かしていた。
「ここで合格すれば、夏祭りのメインステージで歌うチャンスが目の前に来る。そうすれば、ステラの背中も見えてくる……!」
タケルは熱っぽく語り、ヴァルガンの手を握りしめた。その手は夏だというのに、ひんやりと冷たい。
「すべてのお膳立てはしました。あとは、貴方が輝くだけです」
「このステージが終わったら必ず休め、いいな」
「ええ、お祝いしたあとぐっすり眠りますよ。さあ、行ってください! 世界に見せつけてやるんです、俺たちの『魔王』を!」
タケルが背中をバシッと叩く。
ヴァルガンは一瞬、何か言いたげにタケルを見たが……すぐに前を向いた。
「フン。任せておけ。……見ていろ」
短い言葉を残し、ヴァルガンがステージへの階段を登っていく。
「エントリーナンバー405番! 話題の異色アイドル、歌う暴力装置こと『RE:Genesis』の登場です!」
司会者の少し茶化したような紹介コール。客席からは「出た!」「筋肉だ!」という、半ば面白がるような歓声が上がる。
「──聴け、愚民ども! 我の魂の叫びを!」
ヴァルガンの咆哮が広場の隅まで届いた。
ざわついていた観客が一瞬で静まり返り、何千もの視線がステージの中央に吸い寄せられる。
(よし……掴みはOK! スタート!)
舞台袖で、タケルは震える指で再生ボタンを押し込んだ。
重厚で、どこか哀愁を帯びたアコースティックギターの旋律が流れ出す。タケルが王立図書館の書庫で見つけ出した楽曲、『戦の徒花』。失った友との誓いを胸に、戦場に立つ男の生き様をロックバラード風に仕上げた一曲だ。
「♪大地を焦がす太陽……乾いた風に、名もなき花が散る……」
歌い出しと共に、会場が息を呑んだ。
いつものシャウトとは違う、深く重く、優しい低音。ヴァルガンが山籠りで会得した魔力圧縮歌唱法の完成度がさらに上がっていた。無駄に拡散していた力が束ねられ、観客の心を直接震わせる。
「♪我は行く、振り返ることなく……ただ、信じた道を……」
サビに入ると同時に、ヴァルガンが天を仰ぐ。
眉間に刻まれた皺、首筋に浮く血管。そのすべてが「誓った友が隣にいない悲しみ」という曲の世界観を形にしていた。
そこにいるのは筋肉アイドルではない。独自の表現力を持つ一人のアーティスト、ヴァルガンだ。
「ほう、やるじゃねぇか」
観客席の最前列付近。一般席でライブを見ていたガルドが腕を組んで唸った。
「筋肉とパワーのゴリ押しだけかと思ってたが、こういうのもできるんだな」
「ええ、驚きました」
隣に座るセレイナも冷静な口調で同意する。ただ、テンションは上がっているのかメモを取る手が止まらない。
「技術的には拙い点もありますが、それを補って余りある『圧』があります。いえ、むしろその不器用さが、曲の切なさを倍増させている……」
セレイナの分析通り、会場の空気は完全に掌握されていた。
最初は冷やかし半分だった観客たちが、今は食い入るようにステージを見つめている。目元を拭う女性、拳を握りしめて聴き入る男性。審査員席に座る厳格な音楽家たちも、最初は眉をひそめていたが今はペンを止めて聴き惚れていた。
(いける……! これはいけるぞ!)
舞台袖で、タケルは確信した。
審査員の表情、観客の熱量、会場の一体感。長年ドルオタとして現場を見てきた勘が告げている。これは合格確定のパフォーマンスだ。
(あとはラスサビ。照明を赤に切り替えて、フィニッシュの逆光演出……!)
グニャリ。
タケルの視界が、水飴のように歪んだ。
(……え?)
ステージ上のヴァルガンが、二重にも三重にもブレて見える。
音が遠くなる。あれほど鮮明だった歌声が、水の中に潜った時みたいにボヤけていく。
(あれ、おかしいな。ピントが合わない……)
頭の中でキーンという鋭い耳鳴りが響いた。急に吐き気が込み上げてくる。
心臓が早鐘を打ったかと思えば、ドクン、ドクンと不規則に脈が跳ねる。血の気が引いていくのがわかる。指先の感覚がない。足元の床が、底なし沼になったかのように沈んでいく感覚。
(ダメだ……今じゃない……)
タケルは歯を食いしばり、必死に意識を繋ぎ止めようとした。
まだ終わっていない。最後の演出が残っている。自分が照明を切り替えなければ、最高のフィナーレにならない。
(最後まで、見届けなきゃ……プロデューサーとして、俺が……)
タケルは機材にしがみつこうと手を伸ばす。
プツン。
世界が暗転する。
張り詰めていた糸がついに切れた。
*
「♪この魂が、燃え尽きるまで……!」
ヴァルガンが最後のロングトーンを響かせ、マイクスタンドを握りしめたままビシッと決めポーズを取る。
曲が終わり、一瞬の静寂の後──
ワァァァァァァァァァァッ!!
割れんばかりの拍手と歓声が爆発。
ヴァルガンは荒い息を吐きながら、満足げに口元を歪めた。この勝利を真っ先に伝えるべき相棒を探して、舞台袖へ視線を向ける。
──タケルが、スローモーションのように前へ倒れ込んだ。
ドサッ。
歓声にかき消されそうな、鈍い音。
だが、魔王の聴覚はそれを聞き逃さなかった。
「タケル!!」
ヴァルガンの表情が一変した。
余裕で構えていたアイドルの顔が消え失せ、焦燥に満ちた一人の男になる。彼はステージを離れ、舞台袖へ飛び込んだ。
「しっかりしろ、タケル! おい!」
抱き起こしたタケルの体は冷え切っていた。呼吸は浅く、意識はない。
完全に限界を超えていたのだ。
「エントリーナンバー405番さん、素晴らしいパフォーマンスでした! さあ、ステージに戻って審査員の講評を……」
「「「RE:Genesis! RE:Genesis!」」」
表のステージから、司会者の明るい声が響いてくる。観客たちも盛り上がり、ヴァルガンの再登場を待ち望んでいた。
「あの、RE:Genesisさん? そろそろステージに上がってくださーい!」
舞台袖に捌けたヴァルガンを呼びに、スタッフがやって来た。
今ここでステージに戻り、手を振って観客のコールに応えつつアピールをすれば合格は確実だ。夢見た夏祭りメインステージに一歩近づく。
だが、ヴァルガンは迷わなかった。
彼はタケルを抱きかかえ、立ち上がる。
「帰る」
「え? 何を言って……」
呼び止めようとしたスタッフが、ヴァルガンの顔を見て凍りついた。
──退け。さもなくば、消す。
言葉はなくとも、その殺意は明確だった。
そこにあったのは、世界を震え上がらせた魔王の瞳。邪魔する者はすべて消し炭にするという絶対的な圧。
「ひっ……!」
スタッフが腰を抜かして道を開ける。
ヴァルガンは舞台袖から飛び出した。歓声を背に、そのまま出口に向かって走る。
「……それがお前の答えってわけか」
その姿を見たガルドは、立ち上がって追いかける。セレイナもすぐに魔導端末を取り出し、救護班への手配を始めた。
ステージにはマイクだけが残され、歓声がざわめきに変わる中、RE:Genesisの出番は唐突に幕を閉じた。
魔王は選んだのだ。
数多の歓声よりも、玉座への切符よりも、たった一人の相棒の命を。




