13. 決死の逃亡、聖女の賭け
「撤退だッ! タケルを助けるのが最優先だ、早くここから逃げるぞッ!!」
膠着状態の中、ヴァルガンの怒号が響く。
プライドの塊であるはずの魔王が、タケルの命のために逃走を選んだ。
「わかりました、白紙の舞台!」
ステラは頷き、パチンと指を鳴らす。解呪の光が広がり、ヴァルガンやガルドたちを包んでいった。すると、身体を縛り上げていた鎖や蔦が瞬時に消えていく。
「ぬ……おおッ!」
拘束を解かれたヴァルガンが床に着地した。身体に刻まれた紋様はまだ残り、魔王の力は依然として封じられたままだが、逃げるには十分だった。外れていた関節を強引にはめ直し、腕が動くようにする。
「純白の幕引き!」
ステラが両手を広げると、ライブ特効用のスモークが爆発的に噴き出す。視界も魔力探知も塗り潰す煙が、カンディードたちを飲み込んだ。
「走れェッ!!」
ヴァルガンは床に倒れていたタケルを、腕の中に抱き上げた。青白く冷え切った相棒の身体を温めるように抱え、駆け出していく。ガルドは負傷したゼクスを背負い、セレイナとレオン、ステラが続いた。
「クソが、逃げるったってどこ行きゃいいんだよ!?」
「ドームの外に出ても、街中に追手がいたら終わりです……!」
「そもそも扉が開かねぇし、壁も壊せねぇッ! このままじゃ追いつかれる!」
通路を全力疾走しながらレオンとセレイナ、ガルドが口々に叫ぶ。
各々が途中で扉や壁を殴りつけるが、結界の影響かびくともしない。
「ステラ、貴様の力で転移はできんのか!?」
「私一人なら余裕なんですけど、この人数は流石に……」
背後からは、勇者たちが攻撃を仕掛ける爆音が近づいていた。破滅の光線が通路の天井を崩落させながら追いすがる。
『──やっと通じた! 誰か聞こえる!? タケルが気絶してるのは見えてるわ、代わりに返事しなさい!』
「女神か! なんの用だ!?」
その時、タケルの近くにウィンドウがポップアップし、女神ルミナスが慌てた様子で声をかけた。ヴァルガンが叫び返す。
『いい、今から独り言を言うわよ! 通路を進んで、突き当たりの右にあるトイレに全員で飛び込みなさい! そしたら"偶然"、転移魔法が発動するから!』
それだけ伝えると、ブツンと一方的に通信が切れる。
「トイレってどーいうことだよ!?」
「四の五の言うな、右だッ!!」
レオンのツッコミを一喝し、先頭を走るヴァルガンが突き当たりの角を曲がった。現れたのは簡素なドアと「関係者専用お手洗い」のプレート。
通路の奥から、勇者の放った熱線が壁を焼き溶かしながら追ってくる。光の津波が背中に迫る中──
「飛び込めぇぇぇぇッ!!」
ヴァルガンがタケルを抱きかかえたまま、肩でドアを押し破りトイレの中へと突っ込んだ。その後に続いて、全員が勢いよく雪崩れ込む。直後、トイレの空間がグニャリと歪んだ。
ズドォォォンッ!!
吹き飛ばされたドアの残骸を踏み越え、カンディードとアークがトイレに踏み込む。だが、そこには砕けた便器とタイルがあるだけで、人の気配はなかった。
「……長距離転移ですか。余計な仕事が増えてしまいますね」
*
「はぁ、はぁ……!」
聖アイディール大聖堂に留まったマリアンヌだったが、限界が近づいていた。結界には無数の亀裂が走り、内側で膨れ上がるカンディードの魔力に術式が耐えきれなくなっている。
「これ以上、抑えられない……!」
「お見事でしたよ、聖女様。ここまで足止めされるとは」
パキ、パキ……パリィィィィンッ!
ついに、結界が粉々に砕け散った。
解き放たれたカンディードが服を整え、ふぅと息をつく。
「ですが、終わりですね」
「くっ……!」
追撃に備えて咄嗟に身構えたマリアンヌだったが、カンディードは敵意すら向けようとしなかった。彼は無防備なほどあっさりと踵を返し、背を向ける。
「私はこれで失礼します。魔王たちが転移したようなので、追跡しなければ」
「……わたくしを見逃すというのですか?」
「ええ。貴方は確かに私の邪魔をしました。ですが、『魔王の手先』として動いたという明確な証拠がありませんからね」
カンディードは肩越しに振り返り、「手続きの都合で仕方がない」と言いたげな困り顔を向ける。
「今ここで聖女を傷つければ、監査官たる私の立場が悪くなってしまいます。そのようなことをする意味はありませんので。では、ごきげんよう」
フッと陽炎のように輪郭が揺らいだかと思うと、カンディードの姿は闇の中へと消滅した。
「舐めた真似を……!」
放置したところでなんの痛手にもならないという態度。マリアンヌは悔しげに呟くが、怒りに囚われている場合ではない。
「逃げた……ヴァルガンさんたちが、街の外へ……」
魔王の力があるのに逃げたということは、そうせざるを得ない事情があるのだろう。大怪我を負っているのか、それ以上の危機か。だとしたら、一刻も早く助けに向かわなければならない。
「ですが、一体どこへ……?」
ルミナ・シティの近郊はすぐに追手が回るだろう。
彼らが頼れる場所、そんな候補は数カ所しかない。
「わたくしの魔力を一気に使えば、直接転移は可能なはず。でも……」
長距離の空間転移は魔力の消耗が激しい。
チャンスは一度きり。もし行き先を誤れば、二度と彼らを救うことはできない。
「……迷っている時間はありませんね」
たった一度の賭けに、聖女は詠唱を始めた。




