8. 聖女に暴かれた神父の仮面
夕闇がルミナ・シティの空を染めていく頃。
聖アイディール大聖堂の最奥、権限のある者しか入れない中庭に二つの足音が響いていた。
「それで……ご相談とはなんでしょうか、聖女様?」
先を歩いていたカンディードが、ふいに立ち止まって振り返った。
いつものように穏やかで、慈愛に満ちた笑顔を浮かべている。
「今夜は少々、外せない私用がございまして。あまり長居はできないのですが、今の時間であればお聞きできますよ」
「お引き止めしてしまって申し訳ありません、カンディードさん」
マリアンヌが静かに歩み寄る。
聖女も丁寧な口調で応じ、にこやかに微笑む。
「ほんの少し、貴方の『お仕事』についてお尋ねしたかっただけなのです」
「私の? 教会の事務処理や孤児院の支援なら、特に変わりありませんが……」
「いいえ。そういった表向きの話ではなく──」
マリアンヌがトン、と爪先で石畳を鳴らした刹那。
キィィィィン……!
「……おや?」
高音が鳴り響き、薄暗かった中庭が白銀の光で塗り潰された。
カンディードの足元、頭上、そして周囲の空間に、幾何学模様の魔法陣が一斉に展開する。
「聖域捕縛結界、展開」
無詠唱で発動した特級の結界術。
光の鎖が地面から無数に飛び出し、カンディードの全身を瞬く間に締め上げた。
「これはまた、随分と手荒いご挨拶ですね」
光の鎖で拘束され、身体を動かせなくなったカンディードが首だけを傾げる。
しかし、表情に焦りの色は微塵もない。
「聖女様、一体どういうおつもりでしょうか?」
「とぼけないでください」
聖女は一歩、警戒しながら光の檻へと歩み寄る。
「いきなり現れた、経歴だけ不自然に整った神父。周囲の人々やホーリー・エンジェルスを洗脳している不審者を、わたくしが信用するわけがないでしょう」
「……ほう? おかしいですね。貴方が遠征からお戻りになった際、確実に精神操作の術式を施したはずなのですが」
「聖女を甘く見ていただいては困ります」
マリアンヌはカンディードを睨みつけながら、鼻を鳴らした。
「万が一に備えて、わたくしの魂は二重三重の結界で保護されています。得体の知れない術式だろうと無力化して当然。貴方が何を企んでいるのか見極めるため、今日まで術にかかったフリをしていただけです」
「なるほど、外部干渉を弾けるほどとは。流石は聖女様ですね」
カンディードは感心したように小さく笑った。鎖に縛られたまま、微動だにせず話を続ける。
「ですが……見破っていたのなら、なぜもっと早くに告発しなかったのです? 教会の幹部や騎士団に通報すれば、大騒ぎにできたでしょうに」
「どうせ、貴方に洗脳された人物が他にも居るのでしょう。口裏を合わせて『聖女様が混乱している』と言われたら、わたくしが軟禁される恐れがありましたから」
「おや、そこまで見抜いていたとは。聡明でいらっしゃる」
こともなげに答えたカンディードに、マリアンヌはぞっとする。迂闊に他の人に相談していたら、間違いなく自分は拘束されてしまっていただろうと。
「答えなさい、偽りの神父。貴方は何者で、何を企んでいるのですか?」
「では、改めまして。私は神界の監査官サリエルと申します。カンディードは仮の名です」
マリアンヌの問いに対し、カンディードはふっと肩の力を抜いて答えた。
神父の表情から温和さが剥がれ落ち、笑みの形だけが残る。なんの感情も読めない、不気味な顔だった。
「プリズマリアで起きている歪みを正し、害毒を駆除するために遣わされた者です。『異物』を見つけ出す調査のため動いていたのですよ」
「だから、みなさんを自らの手駒にして……RE:Genesisを監視していたのですか。彼らの周囲を嗅ぎ回る動きが、随分と目につきましたが」
「その通りです。あの男が世界を滅ぼしかねない魔王そのものであると、聖女様も薄々気づいていたのではありませんか?」
「……」
「放置していれば、やがて世界の均衡は崩れる。ゆえに、私は正当な職務として『処理』を全うしようとしているだけですよ。貴方と立場は同じです」
「他人を強制的に操るような方と一緒にしないでください」
嫌悪感を隠しもせず、マリアンヌは吐き捨てるように言った。
「人々の心を操り、弄ぶような行為をわたくしは認めません。……貴方の危険性は十分に理解しました。このまま教会の地下深くに拘束させていただきます」
「結界の維持に絶対の自信がある、と。確かに聖女様は守護と浄化のスペシャリスト。拘束や封印を得意とする私にとって、かなり相性が悪い。ですが……」
ズズ……と、不気味な地鳴りのような音が響いた。
カンディードの足元──白銀の光に照らされた彼の影が、ヘドロのようにドロリと蠢き始めたのだ。
「こういった事態を想定していないとでも思いましたか?」
「なっ……!? 影が、形に……!?」
「私の権能は魔力と魂の等分。己の『半身』を作り、同時に行動できるのですよ。貴方以外にも、このような罠を仕掛けてくる相手はいたので慣れていまして」
カンディードから、ぬっと黒い人影が立ち上がった。
光の鎖をすり抜けるようにして、影のカンディードが結界の外へと滑り出る。
「これで邪魔が入らない舞台が整いました」
「舞台? ……まさか、タケルさんたちに何かしたのですか!?」
「ルミナ・ドームにご招待しました。密閉性に優れていて、魔王たちをまとめて『処理』するにはこれ以上ない処刑場ですから」
「させません!」
マリアンヌが杖を構え、カンディードの影へ神聖魔法を放とうとした──が。
ギチ、ビキビキッ……!
檻の中に囚われているカンディードから、魔力が溢れ出す。
光の鎖が悲鳴を上げ、結界の内壁に亀裂が走り始めた。
「くっ……!?」
「私が強引に拘束を解けば、魔力の暴発で大聖堂ごと吹き飛んでしまうかと。聖女様は、教会の信徒たちを見捨てたりしませんよね?」
「他の方を巻き込むつもりですか!?」
「結界を放置したらどうなるか、結果をお伝えしただけですよ」
マリアンヌは杖を構え直し、結界に魔力を注ぎ込まざるを得なかった。
手を離せば、教会に甚大な被害が出る。だが、ここに釘付けにされたら影を追うことができない。
結界の外に出た影は徐々に形を成し……カンディードと瓜二つの姿になった。
「それでは、失礼。世界を救うお仕事へと向かわせていただきます」
「待ちなさい……! 戻りなさい、カンディードッ!!」
影のカンディードは急ぐ様子もなく、ルミナ・ドームに向かっていく。
掌に伝わる結界の軋みと、遠ざかっていく神父の背中。マリアンヌは教会を守るため、その場に留まるしかなかった。




