2. さあ、どこから破壊してくれようか?
ズドォォォォンッ!
凄まじい地響きを鳴らし、ルミナ・シティの街外れにヴァルガンが着地した。
踏み抜いた石畳に亀裂が走り、砂煙が立ち昇る。
「世界の理が我を排除しようというのならば、答えは一つ。魔王の恐ろしさを骨の髄まで刻み込んでくれるわ!」
アイドルなどという仮面を脱ぎ捨て、かつてのように恐怖と絶望ですべて跪かせればいい。それこそが魔王に課せられた役割なのだから。
「手始めに、この一帯を滅してやろう」
ヴァルガンが右手を天に掲げると、掌に大気を焦がす熱波が渦を巻き始める。
手を振り下ろせば、周囲一帯を一瞬でクレーターに変えるほどのエネルギー。
「消え去るがよい、愚民ども。我が力に怯え──」
放とうとした瞬間。
ふと、視界の隅に見慣れた看板が飛び込んできた。
「……む? 『赤竜のあくび亭』ではないか」
ヴァルガンは掲げた手をピタリと止める。
古びた酒場から漂ってくる、安酒と香ばしい炙り肉の匂い。
まだ誰も自分たちを知らなかった頃、初めて歌の仕事をくれた場所だ。結界を抜けて飛来したワイバーンを、タケルの煽りMCにノッて叩き落としたあの日。
「ぬう、ここを滅ぼすわけにはいかんな」
ヴァルガンは魔力をスッと霧散させた。
何事もなかったかのように腕を組み、うんうんと頷く。
「我が名声をルミナ・シティに轟かせる第一歩となった、記念碑的建造物。覇道の記録を自ら消し去るなど、後世の歴史家に対する冒涜というものよ」
「あん? 何ブツブツ言ってんだい?」
声に振り返ると、女将のリザが立っていた。買い物帰りらしく、手にはみっちりと野菜が詰まった袋を抱えている。
「こんなとこで突っ立って、どうしたんだいヴァルガン」
「我が領地を巡回していただけよ。貴様の店を王自ら視察してやったのだ」
「はいはい、ご苦労さん。でも、ちょうどいいところに来たね。今から新しいメニューの試作をするとこなんだ。せっかくだし味見していきな」
「ほう? どんな料理だ」
「猪魔獣の肉を、香草と甘辛いタレでじっくり煮込んだやつさ。タケルは濃い目の味付けが好きだから追加しようと思ってね。暇なら付き合いなよ」
リザは気風のいい笑みを浮かべ、手招きする。
ヴァルガンは一瞬躊躇ったが、すぐに尊大な態度で顎を上げた。
「フン、民の差し出す供物を無下にするのも王の度量に反するからな。我が舌で、直々に吟味してやるとしよう」
「はいよ。ついてきな!」
数十分後。
あくび亭のカウンターで、ヴァルガンは山盛りになった角煮を猛烈な勢いで食いまくっていた。
「どうだい、味は?」
「脂の甘みとタレの辛味が絶妙に調和しておる。タケルなら『いくらでも食える!』と喚き散らすであろうな」
「あっはっは、言いそうだねぇ。じゃあこれは採用だ、残さず食っていいよ!」
「言われずとも平らげてくれる」
満足そうに笑うリザの前で、ヴァルガンは豪快に酒で喉を鳴らした。
*
「ふぅ……腹ごしらえも済んだことだ」
あくび亭を後にしたヴァルガンは大通りを抜け、当てもなく歩き続けていた。しばらく経ってから立ち止まり、周囲に視線を巡らせる。
「今度こそ、魔王の力を思い知らせてやらねばならん。さて、何を壊すか……」
目についたのは整備された石畳の広場と、その先にある噴水だった。
この場所はそれなりに人通りがある。地割れを起こせば噴水が割れて水が吹き出し、パニックが起きるだろう。
「あれがよいな。よし、抉り取ってやろう!」
ヴァルガンはグッと重心を落とし、魔力を集め始めた。
靴底がバチバチと赤黒い放電を散らし、地面を激しく揺らす。
その時。
噴水の向こう側にある公園が目に入った。
「……む? あの公園の近くではないか」
雨の日。突然の豪雨で誰もいなくなってしまった公園。
戦場に雨天中止はないと宣言し、ずぶ濡れのまま歌い切った場所。タケルが泣きながらペンライトを振り続けてくれた、活動の原点。
「ぬう、ここを滅ぼすわけにはいかんな」
ヴァルガンが魔力を集めるのを止め、振動が収まる。
背筋を伸ばし、腕を組んで天を仰いだ。
「我とタケルが血判状を交わしたとも言える、不可侵の聖地。始まりの地を灰にするなど、愚の極みよ。破壊対象から除外するのは当然の判断だ」
「……怪しい奴がいると思ったら、お前か」
声をかけられた方へヴァルガンが目を向けると、王立騎士団のレオナルドが歩み寄ってくるところだった。
「なんだ。佇んでいただけで、不審者扱いとは無礼な」
「何をしでかすかわからんから、警戒するに決まっているだろう。スイレイ郷の件では世話になったが、騒ぎを起こすようなら容赦はしないぞ」
レオナルドはヴァルガンをジト目で睨んだ後、ふぅと息を吐いて力を抜く。
「まあいい。こんなところで佇んでいたなら、どうせ暇だろう?」
「暇ではない。偉大なる覇道の構想を練っていた最中だ」
「世間ではそれを暇と言うんだ。最近、この周辺でスリが多発していてな。見回りに付き合え、演習場を貸したツケだ」
「騎士団の雑用を我に押し付ける気か?」
「街をより良くするための協力要請だ。その無駄に威圧感のある図体があれば、抑止力になる。さあ来い」
ぐいと袖を引くレオナルドに、ヴァルガンは不満げに鼻を鳴らした。
「チッ……仕方あるまい、一度だけ手伝ってやる。王の威光というものを、その目に焼き付けるがよい」
その後、ヴァルガンはレオナルドに付き合い見回りをした。といっても、何をするでもなくノシノシと歩いていただけ。
だが、あちこちに潜んでいたコソ泥やスリの常習犯が「ヒィッ!?」「殺されるぅ!」と悲鳴を上げて彼らの前に飛び出し、次々と縄にかかる珍事が発生した。
*
「ええい、なんということだ!」
日が傾き始めた頃。
ルミナ・シティ郊外の高台で、ヴァルガンは苛立たしげに地団駄を踏んだ。
「なぜ我が飯を食い、治安維持に貢献せねばならんのだ! 我は魔王、破壊と恐怖の権化であるぞ。次こそは容赦せん……」
ここから街に向かって、極大の火炎魔法を放つ。そうすればルミナ・シティが炎の海に包まれ、誰もが魔王復活に絶望するはずだ。
「さあ、燃え盛れ! 紅蓮の焔よ、すべてを焼き尽く──」
詠唱の途中で、風に乗って無邪気な笑い声が聞こえてきた。
坂を下りた先にある古びた石造りの建物と、庭で遊ぶ子供たち。
「……む? あやつの孤児院ではないか」
掲げた両手をピタリと止めて、下ろした。
建物──聖アイディール孤児院に近づいて覗き込むと、庭の真ん中で笑っている少年の姿が見えた。リュト。雨の公園でヴァルガンの歌を聴いて喜んでくれた、初めてのファン。
「ぬう、ここを滅ぼすわけにはいかんな」
ヴァルガンは深く、深くため息をついた。
頭をガシガシとかきむしって唸る。
「我を最初に『王』として讃えた、筆頭臣民が住まう地。覇業を語り継ぐ者がいなくなっては困る」
「……あれ? おじちゃん!」
言い訳を口にしていると、ヴァルガンに気付いたリュトが満面の笑みで駆け寄ってきた。
「もしかして、遊びに来てくれたの!?」
「違う。我はただ戦略的視察を──」
「わーっ!」
「RE:Genesisのおじちゃんだーっ!」
庭にいた十数人の子供たちが一気に押し寄せてきた。
あっという間にヴァルガンは囲まれ、揉みくちゃにされる。
「ぐわっ!? おのれ、我を誰と心得る! 貴様らなど指先一つで──ぬおっ、引っ張るな!」
「おじちゃん、高い高ーいして!」
「肩車乗せてー!」
「これ見て、さっき作ったお団子! あげる!」
「泥を我が服につけるなァッ! ……む。なかなか美しい球体になっておる、見どころがあるぞ」
「ほんと? やったー!」
結局、ヴァルガンは日暮れまで子供たちの「動く巨大遊具」として全身にぶら下がられ、最後は泥だんごを恭しく献上される羽目になった。
「また来てね、おじちゃん! バイバーイ!」
「フン。気が向いたら、また視察に来てやらんでもない」
大きく手を振るリュトたちに背を向け、ヴァルガンはのそのそと歩き出した。
初めて仕事をした酒場があった。
タケルとずぶ濡れで歌った公園があった。
街を守る騎士がいて、自分を慕って笑う子供たちがいた。
どこへ行っても、想い出がある。
どこへ足を向けても、自分に笑顔を向けてくれる者がいる。
「……なぜだ」
強大な魔王の力は、確かにこの身体に満ちている。街の一つや二つ、滅ぼすことなど赤子の手をひねるより容易いはずなのに。
「なぜ、我はこの街の壁一枚すら壊すことができんのだ……?」
答えのない問いかけだけが、茜色に染まる街へと溶けていった。




