25. 報われる努力、消えない習慣
「うん! これで依頼書の仕分けと、報酬金の計算は全部終わりです」
冒険者ギルド『獅子の牙』の受付カウンター裏。
書類の山を綺麗に整理し終えたミウが、晴れやかな笑顔でパンッと手を叩いた。
「素晴らしい手際ですね、ミウさん。間違いもありませんし、新人スタッフとは思えないくらいですよ」
「ガッハッハ! 助かるぜ。『獅子の牙』の人手が足りなくなって、どうするか困ってたとこだったからよ」
隣で確認していたセレイナが、珍しく感心の声を漏らした。眼鏡の奥の瞳が、お世辞ではないと語っている。
受付に書類を取りに顔を出したガルドも、豪快に笑いながら親指を立てた。
「えへへ、ありがとうございます。お役に立てて良かったです」
褒められたミウは、嬉しそうに頬を緩ませた。
アイドル活動を休業したミウは自分の生活費を稼ぐため、『獅子の牙』でアルバイトとして働き始めていた。
ヤマダの手術は無事に終わったが、事務所が動き出すのはまだ先の話。ナカタが『オフィスYMD』を維持しているものの、ミウは事務所の負担になりたくないと自ら別の職場を探したのだ。
元々、アイドル時代から教会の掃除やボランティア、ヤマダの手伝いを率先してこなしてきた真面目な性格。持ち前の几帳面さと一生懸命さが存分に発揮され、大して日が経っていないのにギルドの有能スタッフとして重宝されていた。
「ミウさん、お疲れ様です。用意してくれた資料、助かりました」
「お疲れ様です! あ、RE:Genesisさんの新しいスケジュール表、作っておきましたよ」
「もう準備してくれたんですか? ありがとうございます!」
「こういうのは得意なんです。色々やるなら、スケジュール管理は大事ですから」
受付フロアに立ち寄ったタケルが声をかけると、ミウは元気よく振り返った。
明るくハキハキとした対応。ライブ後に楽屋で涙を流していた姿が嘘のように、彼女は生き生きと働いている。
ミウがギルドで働くようになってから、タケルは彼女に今の気持ちを聞くことはなかった。アイドルだった頃を思い出させると、傷つけてしまう気がしたから。
(努力した分だけ結果が出て、周りから感謝される……)
アイドル時代。ミウはどれだけ努力を重ねても、ファン数や売上という「結果」には結びつかなかったが、今は違う。
(ミウさんはこういう仕事の方が、向いてるのかもしれないな……)
でも、それが彼女にとって幸せなことなのかどうか。
タケルにはわからず、どこか切ない気持ちを拭えずにいた。
*
「ふぅ……今日のシフトはこれで終わり、っと」
夜。予定していた仕事を早く終わらせたミウは、着替えを済ませた。
ギルドの業務は落ち着き、ちらほらと他のスタッフも帰り始めている。
「さて、帰ろ……」
カバンを手に取り、ギルドの玄関へ向かおうとしたミウだったが──ふと、足が止まった。廊下の突き当り。普段、RE:Genesisがレッスンで使っている訓練場がある。かつて、ティアと一緒にヴァルガンの指導を受けた場所。
「……」
吸い寄せられるように、ミウの足はその場へ向かっていた。
誰もいない、静まり返った訓練場。
ミウはカバンを部屋の隅に置くと、無意識のうちに靴を脱いでストレッチを始めた。アキレス腱を伸ばし、開脚をし、肩甲骨をほぐす。
それから音楽も流れていない静寂の中で、ステップを踏み出した。
「♪〜」
小さなハミングと共に、足が勝手に動き出す。
ミウの身体に染みついた、曲の振り付け。
毎日欠かさず繰り返してきた基礎練習の動作。
サビのターンを決め、ポーズをとったところで──ミウは我に返った。
「あ……」
鏡に映っている自分。
汗をうっすらとかき、真剣な表情で踊っている姿。
まるで、アイドルみたいに。
「何やってるんだろ、あたし……」
力が抜け、ミウはその場にぽつんと立ち尽くす。
もう、アイドルは休業した。
ステージに立つ予定もなければ、新曲のレッスンもない。
ここで練習をしたって、誰に見せるわけでもないのに。
「……急にやめるの、怖いんだな……」
苦笑混じりの呟きが、がらんとした訓練場に響いた。
五年間。苦しくて、辛くて、惨めな思いばかりしてきたけれど。それでも毎日続けてきた「日課」だった。
朝起きたらストレッチをして、声を出して、ダンスのステップを確認する。長年の習慣を急に断ち切ってしまうことを、身体と心が怖がっているのだ。
ミウは隅に置いたカバンのポケットから、大事にしまっていた一通の封筒を取り出した。ティアから渡された手紙だ。
『ミウちゃんがまたアイドルやるまで、ティア待ってるね』
手紙を胸にぎゅっと抱きしめる。
ティアが『ルクス・レガリア』の研修生になろうとしていることは、ミウも知っていた。夢に向かって一生懸命に汗を流しているのだろう。ミウが戻ってくるのを、信じて待っているのだ。
「どう、返事をすればいいんだろう……」
きっと「待っててね」と書いたら嘘になる。
戻るかどうかわからないのに、期待させるような答えは出せない。
だけど「もうアイドルはしない」と、あの笑顔を打ち砕くような言葉を書けるはずがなかった。
「……答え、出ないや」
手紙を優しく折りたたみ、再びカバンの奥へと戻した。
ミウはもう一度、鏡の前に立った。
誰も見ていない暗がりの中で、ステップを踏み始める。
報われることのない習慣。答えの出ない葛藤を抱えたまま、ミウの身体はかつての日課を繰り返していた。




