21. 光る波の中に見えた、ちっぽけな現実
暗闇の中に、眩い光が溢れていた。
数え切れないほどの観客を前にした、巨大なステージの上。
大歓声が響き渡る中、マイクを握りしめてミウは必死に歌っていた。汗を飛び散らせながら、今まで生きてきた中で一番の笑顔で。
(みんな、あたしの歌とダンスを楽しんで……!)
だが。
ミウはステージから見てしまった。見えてしまった。
視界を埋め尽くす光の海。ミウのパーソナルカラーであるピンクのサイリウムを振っているのは、最前列に固まったいつものファンだけ。
それ以外──客席の九割以上を染め上げていたのはヴァルガンの燃えるような赤色と、ティアの眩しい黄色の光。
三人で並んでいるはずなのに、背景になってしまったような感覚。
彼らが熱狂しているのは、圧倒的なオーラを放つヴァルガンと天真爛漫に跳ね踊るティア。
ミウのピンク色の光は、輝かしいキラキラの中にぽつんと取り残され、今にも呑み込まれそうに揺れている。
(ああ……そっか……)
胸の奥が冷えていく。
どんなに背伸びをしても、どんなに笑顔で振る舞っても。
この世界に、自分の居場所なんてなかったのだと。
『──ねぇ』
声をかけられ振り返ると、幼い頃のミウが立っていた。
泣き虫で自信がなくて、上手く友達を作れなかった女の子。
合わない大人用のガラスの靴を履いて。
足から血を流し、悲しそうに微笑んでいる。
『もう、いいんだよ。やれるだけやったよ』
ミウが目を覚ますと、見慣れた自宅の天井が視界に広がっていた。
頬を涙が伝っていく。
起き上がり、彼女はぎゅっと自分の膝を抱きしめる。いつもは温かく感じる朝の光を、今日だけは「来なければよかったのに」と思ってしまった。
*
聖アイディール教の広場で、普段通りにアイドル活動をするミウ。今日来ているお客さんは五十人程度。イベントから数日経ったが何も変わらない、いつもの楽しくて穏やかな空間。
(そっか……うん、そうだよね……)
ヴァルガンとのコラボライブで得られたものは何もない。
ミウがそう実感するには、十分すぎる光景だった。
「えーっと、これでライブは終わりなんですけど……みんなに、大事なお知らせがあります」
歌い終わったあと、なるべく明るく振る舞いながらミウは話し始めた。
ヤマダたちに予め相談していた、あの話を。
「あたし、ミウは……。本日のイベントをもちまして、アイドル活動を『休業』させていただきます」
マイクを両手で握りしめたミウは、震える声でそう告げた。
広場のあちこちで、ファンが息を呑む音が漏れた。
最前列でいつも応援してくれていた、見慣れた顔ぶれ。彼らは驚きで目を見開き、信じられないといった表情でステージを見つめている。
「突然の発表になってごめんなさい。ちょっとお休み期間になっちゃいますけど……今まで、本当に……本当にありがとうございました……!」
深々と、頭を下げる。
溢れそうになる涙を、奥歯を噛みしめて耐えた。
責められると思った。「自分勝手だ」と怒鳴られる覚悟はしていた。
五年間の応援を不甲斐ない形で終わらせてしまうのだから、どんな言葉をぶつけられても受け止めるつもりだった。
けれど。
「……待ってるからね!」
静まり返った広場に、一人のファンの叫び声が響き渡った。
「ミウちゃん! ずっと待ってるからね、ゆっくり休んで!」
「お疲れ様、ミウちゃん! 今までたくさんの元気をくれてありがとう!」
温かい拍手の波。怒りや失望の言葉なんて、ひとつもなかった。
全員が優しくミウの休業を受け入れ、励まそうとしてくれる。
(やめて……お願いだから、やめて……)
ミウの胸が、引き裂かれるように痛んだ。
彼らは「ミウちゃんは凄いアイドルなんだ」と信じてくれていた。
いつか大きなステージに立つ日を夢見て、長い停滞の中でも見捨てずに支え続けてくれていた。
自分の才能のなさに挫け、逃げ出そうとしているのに。
それでも、ミウは明るい笑顔を向けた。
「最後に、お別れも兼ねて集まってくれたみんなと握手会をしようと思いまーす! いっぱい、想い出話をしようね!」
*
「ミウちゃん、本当にお疲れ様」
「あっ、リオさん! 今日も来てくれてありがとうございます」
「休業発表は残念だけど……でも、ずっと待ってるよ。復帰してくれるのを楽しみにしてる」
でも、それに応えたら。
才能のない自分のまま、ずっとステージに立たなきゃいけない。
「五年間よくやったね、ミウちゃん」
「あはは、フェルさんにそう言ってもらえてよかったです」
「ミウちゃんがやれるだけのことはやった。ちゃんと頑張った。だから、無理はしなくていいからね」
でも、その言葉は。
もうやらなくてもいいと、終わりを受け入れてしまっている諦め。
「ミウちゃん……俺、応援が足りなかったかな……」
「ううん、そんなことないです。シータさんの応援で、あたしいっぱい元気もらってましたから!」
「もっと応援するから……だから、休業するなんて言わないで……! もっと俺も頑張るから……!」
でも、それだけ応援してもらっても。
恩を返す力を、ミウは何も持っていない。
どの願いにも応えられない。
どの言葉も、申し訳なさが刃になってミウに突き刺さる。
「これで、本当に全部終わりです! 今まで、ありがとう……ございました!」
全員と握手が終わり、ミウは深く頭を下げて感謝の言葉を伝える。
顔を上げられなかった。これ以上ファンのみんなを見たら、その場で泣き崩れてしまいそうだったから。ミウはただ笑顔の仮面を必死で保ち、ずっと、ずっと頭を下げ続けた。
*
イベントが終わり、楽屋となっていた教会の小部屋。
片付けを進めていると、扉が勢いよく開いた。
「ミウちゃん!」
「ティアちゃん? 来てくれたんだ、ありがとう」
飛び込んできたティアは大きな瞳に涙を溜めながら、ミウのもとへ駆け寄った。
「……ティアね、ミウちゃんにお手紙書いてきたの!」
ティアは可愛らしい封筒に入れた手紙をミウに差し出す。
「ミウちゃんみたいなキラキラなアイドルになるために、いっぱい練習する! だから、ミウちゃんも早く元気になってね!」
「……うん。ありがとう、ティアちゃん……」
抱きついてくるティアの小さな頭を、ミウは優しく撫でた。
愛おしい。嬉しい。心からそう思えた。
それと同時に、息が詰まるほど苦しい。
ミウはもう一度ステージに立てるかどうかわからない。
自分にはガラスの靴を履き続ける資格がない、そう結論を出した。
だから、ティアの無邪気な期待に応えられる自信がない。
(ごめん……ごめんね、ティアちゃん……)
嘘つきな自分。
誰の期待にも応えられない、空っぽな自分。ミウは手紙をぎゅっと胸に抱きしめ、滲んだ涙をティアに見られないよう、そっと目を閉じた。
*
「ミウちゃーん。残りの荷物、片付けたよ~。そのまま家に帰っても大丈夫だけど、どうする?」
「ありがとうございます。もうちょっとだけ、ここに居てもいいですか?」
「……うん、もちろん。鍵は後で届けてくれればいいから」
片付けを終えたナカタが、気遣うような声をかけて事務所へ戻っていった。
誰もいなくなった夕暮れの広場。
ぽつんと残された、木箱で組んだだけの手作りのステージ。
五年間、歌ってきた。
雨の日も風の日も、お客さんがたった数人しかいない日も。
ミウはゆっくりとステージに上がり、中央に立った。
夕日が長く影を伸ばし、空の客席を茜色に染めている。
ここに残る理由は何ひとつない。
さっさと鍵をかけて、自宅へ帰ればいい。
なのに。
「……」
足が動かなかった。
ステージの木板の踏み心地、風が吹き抜ける感覚、耳に残るファンの声。
そのひとつひとつから、どうしても離れられなかった。
ここに居続ければ辛いだけだとわかっているのに。
どうして、ここに居たいと思ってしまうのか。
沈んでいく夕日を見ながら、ミウはステージの真ん中で自分自身に問いかけていた。




