26. おやすみ、想い出になった君
ルミナ・シティの中心部から少し離れた、静かな森の奥にある共同墓地。
木漏れ日が差し込む石畳の道を、ゼクスはゆっくり歩いていた。
彼の手には、薄紫色の小さな花が握られている。
派手さはないが可憐な、妹のノッテが好きだったもの。
「……」
ゼクスは小さな墓石の前に立ち止まった。そこには名前も刻まれていない。
逃亡生活の果てに命を落とした彼女を、正規の手続きで弔うことはできなかった。墓守に頼み込んで埋葬し、誰にも知られないよう立てた墓標だ。
彼は膝をつき、墓前に花をそっと添えて両手を合わせる。
「ノッテ。オレ、また歌を続けることにしたよ」
木々の間を吹き抜ける風の音だけが、相槌を打つようにサラサラと鳴る。ゼクスは目を閉じ、これまでの出来事、そして自分の決断を、墓石に向かってぽつりぽつりと報告していく。
「……お前の残した日記、ようやく読んだ」
ゼクスは小さく息を吐き出し、少しだけ口角を上げた。
過去の罪悪感に押し潰されていた時の暗い表情ではない。どこか懐かしむような、世話の焼ける妹に優しく説教をするような、兄としての顔。
「私が消えれば兄さんは幸せになれる、なんて……勝手にオレの幸せを決めつけるなよ。馬鹿だな、お前は」
最後のページに書かれていた、ノッテの悲痛な懺悔。
自分のせいで、兄から普通の幸せを奪ってしまったという思い込み。それがゼクスの心をどれほど深く抉ったか、彼女は知る由もない。
「お前の死に、意味なんて何もない。お前がいなくなってから、オレはずっと空っぽだったんだ」
そう言いながら墓石をそっと撫でた。
冷たい石の感触が、妹はもうこの世にいないという現実を伝えてくる。
「……でもな」
ゼクスの脳裏にタケルの顔が浮かんだ。
無謀でお人好しで、プロデューサーにあるまじきゴリ押しで。
閉ざした扉を強引にこじ開けてきた、あの明るく熱苦しい姿が。その隣に並び立つ、規格外で傍若無人なヴァルガンの顔も。
「馬鹿みたいに熱くてお節介な、面白いやつに出会ったせいで。その空っぽが、少しだけ埋まった気がするんだ」
もしかしたら、ずっと誰かに言ってほしかったのかもしれない。
貴方の歌が聴きたい、その一言を。
「昔のお前みたいに、オーディションを受けろと言ってきたんだ。……もしかして、ノッテが連れてきてくれたのか?」
ゼクスは空を見上げ、苦笑した。
もしそうだとしたら随分と強烈な使いを寄越したものだと。
視線を墓標に戻し、彼は深く息を吸い込んだ。
長年抱え続けてきた歪な愛情から、本当の意味での自立をするために。
「……いつかオレは、新しい恋をする日が来るかもしれない」
それは、ノッテとの記憶に蓋をするという意味ではない。
彼女と二人だけで完結していた世界を終わらせ、他者との関わりの中で生きていくという未来への意思表示。
「でも、お前を忘れたりはしない。オレたちの想いと、二人の夢に……絶対に嘘はなかったって。ステージに立ち続けることで、証明するから」
社会からどれだけ異常だと扱われようと、二人で支え合って生きてきた日々の温もりは本物だった。その記憶を抱えたまま、前を向くと決めたのだ。
「おやすみ、ノッテ」
ゼクスは優しい微笑みを浮かべてゆっくりと立ち上がった。もう背中を丸めて、隠れるように生きる必要はない。
踵を返し、墓地を立ち去ろうと背を向けてしばらく歩いた時。
『頑張ってね、兄さん』
風に紛れて懐かしい声が、耳元を掠めた気がした。
ゼクスは驚いて振り返ったが、誰の姿もない。
ただ、木漏れ日がノッテの墓石を優しく照らしているだけ。
薄紫色の花が、風に揺れて小さく頷いているように見える。
「……ああ。見ていてくれ」
ゼクスは短く応え、今度こそ迷いのない足取りで歩き出した。
悪役として、一人の歌手として、ステージへ向かうために。
*
ゼクスの姿が木々の向こうに消え、墓地に静けさが戻る。
風の音だけが流れる中。大樹の後ろに、いつの間にか人影が立っていた。
「……」
タケルの前に度々現れていた男、カンディード神父。彼は相変わらずニコニコと温和な笑みを浮かべている。それ以外の感情が存在しないような不気味さで、ゼクスが去った方向を見つめていた。
「人間とは不可解なものですね。世界の道理から外れた存在が、正しくなれることなどありはしないのに」
笑顔と不釣り合いな、冷淡な声。
カンディードは独り言のように呟き、懐から銀色に鈍く光る小さな魔導具を取り出した。ルミナ・シティの一般的な魔導端末とは構造が全く異なる、複雑な文字が刻まれた特殊な通信機。
「監査官サリエルより、神界へ報告」
彼は魔導具のスイッチを入れ、虚空に向かって淡々と報告を始めた。
カンディードこと「サリエル」が報告する声は機械のように無機質。
「対象エリアにて、妙な魔力反応を継続的に感知。特定されないよう、波長が偽装されている気配あり。プリズマリアに広がりつつある異常の震源は、ここルミナ・シティにある可能性が極めて高いと推測されます」
カンディードは魔導具を操作し、ルミナ・シティで収集したデータ──異常なマナの数値、魔力溜まりの発生情報を神界へと送信していく。
「よって、同エリアでの調査をさらに重点的に行います。状況次第では『直接的な排除』の権限行使も辞さない方針で臨みます。以上」
通信を切って、カンディードは魔導具を懐にしまった。
その視線はルミナ・シティの中心部にそびえ立つ、巨大なルミナ・ドームの方向へと向けられている。
「さて……世界から排除すべき『異物』は、どこに潜んでいるのでしょうか」
世界を守るための神の目が、ついにタケルとヴァルガンの足元まで迫っていた。
第七章はこれにて完結です。ここまで読んでいただきありがとうございました。
次は第八章スタート、通常通り『火/木/土/日のお昼12時30分更新』となります。
なお、夏休みキャンペーンとして【8/8~8/16は毎日更新】予定です!
ついに神界からの監査官が現れ、ルミナ・シティに何か原因があると気付かれてしまいました。タケルとヴァルガンのことがバレないでほしい!
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