24. たった一通のファンレターと、開かれた妹の日記
ルミナ・シティ裏路地のさらに奥にある、古びた建物の一室。
ゼクスは一人、ノッテと並んで撮った写真を眺めていた。
ライブから一週間経ったが、彼はこの街から出ていくことはなかった。以前と同じようにひっそりと冒険者稼業をこなす生活に戻っていたのだ。
相変わらずルミナ地下掲示板などで叩かれたりすることはあるが、以前ほどその悪意に怯えることはない。
「……」
窓から差し込む薄暗い光の中、ゼクスはふと部屋の片隅に置かれた大きな箱に視線を移す。その中にはノッテの遺品が入っている。彼女が残した日記も。
(オレは……どうするべきなんだろうな)
ステージに立ち、歌い切った。だが、これから自分がどう生きていくべきなのか、答えはまだ見つかっていない。
コンコン。
不意に、ノックする音が響いた。
ゼクスは警戒しながら立ち上がり、そっとドアを開ける。
「こんにちは、ゼクスさん」
「……あんたか。どうした、急に」
ドアの向こうには、穏やかな笑みを浮かべたタケルが立っていた。
その手には、一枚の封筒が握られている。
「どうしても見てほしいものがあって……。ギルドに届いたんです、ゼクスさん宛のファンレターですよ」
「……ファンレター?」
自分のような人間にそんなものが届くはずない。何かの嫌がらせか、脅迫状ではないのか。タケルが差し出した封筒を、疑いの眼差しで見つめるゼクス。
「あ、内容は先に確認しています。変なものじゃないので安心してください」
懸念を察したのか、タケルは慌てて付け加えた。
ゼクスは少し躊躇いながらも、差し出された封筒を受け取る。
宛名には『ゼクスさんへ』と、たどたどしい文字で書かれていた。
一体、何が書かれているのか。
不安に思いながら、中に入っていた便箋を取り出す。
『ゼクスさんへ。
貴方の評判を聞いて、最初は怖いと思いました。
もしかしたら、すごく悪い人なんじゃないかって。
でも、ステージで歌っている姿は素敵でした。
とても悲しそうだったけど力強くて、涙が出ました。
また、あなたの歌が聴きたいです。応援しています』
「……」
便箋を持つゼクスの手が、激しく震え始めた。
視界がぼやけ、文字が滲んでいく。
どれだけ世間から否定され、気味が悪い異常者だと思われても。
社会の倫理こそが正しく、自分が間違っているとしても。
ノッテと約束した、「自分の歌を誰かに届ける」というあの夢は。
(嘘じゃないって、伝わった……)
ゼクスの目から涙が溢れ出す。誰にも関わらないように、怯えながら生きてきた男が。ようやく誰かに想いを届けられた、たった一通の証。
「うっ、あ、あぁっ……!」
便箋を胸に抱きしめ、子供のように声を上げてゼクスは号泣した。
タケルは何も言わず、静かに見守っていた。
*
「……みっともないところを見せたな」
「いえ。手紙、持ってきてよかったです」
落ち着いたあと、自室にタケルを案内したゼクスは赤く腫らした目を擦る。
しばらく何も話さず、二人の間に沈黙が流れる。
「……あんたに一つ、頼みがあるんだが」
ゼクスは、意を決したようにタケルの目を見た。
これまで見てこなかったものに、触れる覚悟をした上で。
「オレと一緒に、ノッテの日記を読んでくれないか?」
「えっ……俺がですか? そんな大切なもの、見てもいいんですか?」
「あんたがいい。……タケルに、一緒に見てほしいんだ」
戸惑うタケルの手を取り、頼み込むゼクス。
震えそうになるのを隠すように、力強く握りながら。
「オレ一人じゃ、まだ……怖くて、開けられないかもしれない。だから、頼む」
「……わかりました。俺でよければ」
ゼクスは部屋の隅にある大きな箱の前に座り込み、布を外した。
蓋を開け、中から一冊の古びた日記帳を取り出す。
二人がベッドに腰掛け、ゆっくり表紙を開くと。
その裏には、こう書かれていた。
『いつから兄さんを求めていたのかは、わからない。
それでも私には、兄さんが必要だった』
*
【◯月✕日】
マレスの冬は寒い。
海の上には薄っすらと、気温差で湯気みたいな霧が浮かぶ。
港町だから遮るものも少なくて、冷たい風が突き刺さるように吹く。
でも、私は冬が好きだ。
だって、兄さんとくっついていられるから。
いつもよりくっついても、寒いから仕方ないって言える。
兄さんは必要以上にベタベタしない方がいいって遠慮する。
だから、少しくらいは私から押してあげないとね。
【△月✕日】
ちょっと許せないことがあった。
兄さんが無茶をして傷だらけで帰ってきた、しかも夜遅くに。
どうしてそんなことするの? って聞いても『お前のためだ』の一点張り。
何、私のためって?
お金を稼ぐために無理して、喜ぶと思ってるの?
そんな言い方しないでと怒ってしまった。
私だって、兄さんに幸せになってほしい。
そう思ってるのに、なんでわかってくれないんだろう。
【□月◯日】
最近、兄さんが話していた。
酒場で歌ったら盛り上がって、上手いと褒めてもらえたって。
きっと気づいてないんだろうけど、兄さんは嬉しそうに微笑んでいた。
兄さんは歌うことが好きだ。
私が不安で眠れない時に、寝かしつけるため歌ってくれたり。
家で掃除や料理をしてる最中に鼻歌をするクセも知ってる。
歌を仕事にすれば、無茶なことをしなくなるかも?
兄さんの魅力をみんなに知ってもらえるし、一石二鳥かもしれない。
【✕月△日】
兄さんがオーディションに合格した!
凄い、本当に凄い! だって、マレスでデビューだよ?
たくさん応募があって、本格的なレッスンをしてる人もいる。
その中で、歌を評価されて合格なんて夢みたい!
まあ、見た目がカッコいいのもあるんだろうけど♪
兄さんにはいつか、歌でトップに立ってほしい。
約束したから、きっと叶えてくれるよね。
*
【◯月△日】
兄さんとの関係が、大衆紙に取り上げられた。
今まで応援してくれた人たちが、みんな離れていった。
私たちが普通じゃないことはわかってる。
だから、ずっと二人だけの秘密にしてたのに。
認めてくれなんて押し付けるつもりもなかったのに。
おばさんが悪意でやったわけじゃないのはわかってる。
じゃあ、私たちは誰にこの気持ちをぶつければいいの?
【△月□日】
私たちのことが、またバレてしまった。
早く荷物をまとめて、この街からもすぐ逃げなきゃいけない。
こうやって逃げることになるのは、何回目なんだろう。
あれから兄さんは歌わなくなってしまった。
歌ったらすぐ「ゼクス」だって気付かれてしまうから。
夢も未来もあった兄さんの人生を壊してしまったのは。
もしかしたら、私のせいなのかもしれない。
【□月✕日】
ここ最近、ずっと体調が悪い。どれだけ薬を飲んでも治らない。
ルミナ・シティに来て、静かに暮らせるようになったのに。
兄さんが帰ってくると、怪我をしていることも増えた。
私の薬を買い続けるために、稼ぎが必要になってしまったから。
無茶な冒険者仕事を引き受けていると知っている。
最近の兄さんは辛そうだ。無理して笑っているのがわかる。
私は兄さんから奪い続けてる。歌も、夢も、時間も、何もかも。
【✕月◯日】
眠ると夢を見る。兄さんが『自分たちは間違っていた』と。
絶望して疲れ切った顔で、悲しそうに話している夢を。
わかってる。私のせいで、兄さんを苦しめているんだって。
ずっと逃げ続けるのも、病気の世話をさせるのも、歌をやめたのも。
兄さんからこれ以上、奪い続けるなんてできない。
だから、私は決めた。
この関係は間違っていたから、終わりにしよう。
*
日記を読んでいるゼクスの手が止まり、息を呑む音が聞こえた。
そして、最後のページ。
『兄さん、普通の生活に戻ってね。
私が消えれば、きっと兄さんは幸せになれるから。
ごめんなさい。
私のせいで兄さんが普通になれなくて、ごめんなさい』
「……馬鹿野郎」
ノッテは兄の幸せのために死を選んだのだ。
自分さえいなくなれば「普通」に戻れると信じて。
「オレは、そんなこと一度も思ってなかった。お前がいてくれたから、オレは頑張ろうと思えたのに……」
日記を読み終えたゼクスは震える声で、最後の言葉を強く否定した。
最後のページにポツリと涙が落ち、染み広がっていく。
「お前がいなくなれば幸せになれるなんて……それだけは、絶対に間違っていた……!」
「……ゼクスさん」
タケルは彼の肩にそっと手を置く。
どんな言葉をかけても薄っぺらくなってしまう気がして、何も言えなかった。
ゼクスはようやく未来に向かって歩き出した。
ノッテを振り返り続けるのではない、自分自身にとっての道を。




