11. 思い出すのは波音、潮風、二人の世界
「オレたちはお互いを必要としていた。ただ、それだけだった」
静かに語るゼクスの言葉は、タケルの脳裏にかつて彼らが過ごしていた風景を鮮明に描き出していく。
*
遠方の国、マレス自由都市。風が潮の香りを運んでくる、風情ある港町。
高低差のある立地になっており、高台から見下ろす街並みは絶景だ。
様々な国から訪れた人、亜人、獣人が行き交う賑やかな雰囲気。メインストリートでは歌劇団を目指すアーティストの卵たちが、度胸試しも兼ねた歌を披露して観光客にアピールしている。
そんな華やかな中心部から外れた貧民街の一角。
古い木材とカビの匂いが充満する屋根裏部屋で、幼いゼクスと妹のノッテは身を寄せ合っていた。
『兄さん……お腹、すいた……』
『ごめんな、ノッテ。絶対に明日、稼いでくるから』
事故で両親が亡くなり、親戚からは「面倒を見る金はない」と見捨てられた。
マレス自由都市では孤児院などの福祉制度は薄く、自己責任が前提の価値観。各国のパイプとして人の出入りが盛んな港町で手厚い保護を行うと、他国の貧困や犯罪を呼び込む温床になるからだ。
周りに助けてもらうには縁やコネが必要。だが、それを繋いでくれる親はもういない。頼れる大人が誰もいない社会の底辺で、二人の子供が生き延びる術は限られている。ゼクスは妹のため日銭を稼ぎ、ノッテはそんな兄を必死に支え続けた。
誰からも愛されず、誰からも見向きもされない日々。
そんな過酷な世界で、彼らは互いの想いを伝え合うことで「自分の価値」を確認していた。
『兄さん……私には、兄さんしかいないの……』
『オレにもお前しかいない。ずっと、一緒にいような……』
言葉だけではない。
自分のすべてを受け入れてくれる絶対的な何かを、互いに必要としていたから。二人の間にあった「兄妹」という境界線は、いつの間にか溶けていった。
生き延びるために、心を壊さないために。
愛を与え合う恋人として、支え合いながら過ごしてきたのだ。
成長し、少しずつ生活が安定しても。その歪な関係は変わらなかった。
『オレたちが世間から見たら異常だって、わかってる。だから、誰にも迷惑をかけないように生きていこう』
ゼクスはノッテを抱きしめながら、そう誓い合った。
他人に理解を求めたりはしない。二人にとっての世界があれば、それだけでよかったから。
*
『ねえ、兄さん! 見てよ、オーディションやってるんだって』
『……へえ、歌か』
二人が成長し、ささやかな日常を過ごしていたある日。
ノッテは一枚のチラシを差し出した。マレス自由都市で開催される新人歌手発掘オーディションの告知、応募倍率はゆうに千を超える狭き門だ。
『これ、受けてみない? 兄さんの歌、もっと色んな人に聞いてもらおうよ』
『……は? オレの?』
『うん! 兄さん、歌が凄く上手だもん。歌手になれたら素敵だと思う』
この頃、ゼクスは肉体労働だけではなく酒場などで歌う仕事もするようになっていた。試しに歌ってみろと客に無茶振りされ、やってみたら意外と好評でなんとなく続いているもの。
『ノッテ、プロの世界はそんなに甘くないぞ』
『やってみなきゃわからないでしょ? 歌が仕事になれば、兄さんも危ないことしなくて済むし』
『……大体、オレたちは普通じゃないんだ。表に出ない方がいい。お前さえいれば、他には何も……』
『大丈夫だよ、これまでと同じ。私たちだけの秘密にしてればいいもん』
ノッテの無邪気な笑顔と、期待に満ちた言葉。
彼女はギュッとゼクスの手を握りしめながら、ウインクをする。
『兄さんは凄いんだぞって、みんなにも知ってほしいの』
『……』
『ね、オーディションを受けるだけでいいから。お願い!』
『……はぁ、しょうがないな』
どうせ落ちると思っていたが、ノッテを納得させるためにオーディションを受けた結果。荒削りながらも素質を高く評価され、見事合格を果たした。
『おめでとう! 兄さんの魅力を、もっとみんなに知ってもらわなきゃね。目指すはトップ、約束だよ』
『……気が早い奴だ』
合格した夜、お祝いとしてノッテが買ってきたのは小さなケーキ。
二人だけが知る秘密の世界は、変わらずに在り続けるはずだった。
*
オーディションに合格してから数年。
ゼクスは歌手としてマレス自由都市でデビューし、順調にステップアップしていた。無骨でミステリアスな雰囲気と、歌声に込められた感情豊かな表現力のギャップで観客の心を掴んだのだ。
それだけの立場になっても、二人のスタンスは変わらなかった。ゼクスとノッテの愛は、あくまで二人だけの世界で完結していた。
そんな生活が崩れ落ちたきっかけは、ほんの小さな綻び。
大人になって仕事も安定し、近所の人々ともそれなりに交流するようになったからこそ起きてしまった出来事。
『ひっく……ゼクスくーん、ノッテちゃーん!』
ある日の夜。近所に住んでいた世話焼きのおばさんが、酔った勢いでゼクスたちの家の裏口から勝手に乗り込んできたのだ。
『作りすぎた夕飯、分けて……あげ……』
彼女は見てしまった。
キッチンで隠れるように、ゼクスとノッテが深くキスを交わしている姿を。
もし彼女が、玄関から入っていたら。
もし彼女が、酔っ払っていなかったら。
もし彼女が、呼び鈴を鳴らしていたら。
もし彼女が、鍵を施錠した後に来ていたら。
どれか一つでも避けられていれば、暴かれるはずがなかったこと。
『……っ!?』
『あ、貴方たち、兄妹じゃ……』
おばさんが落としたガラスの容器が、大きな音を立てた。
ゼクスとノッテは、言い訳で取り繕うこともできず。自分たちの秘密がバレてしまったことに震えるしかなかった。
*
「……それが、オレたちの秘密を知られてしまった理由だ」
ぼんやりと虚空を見つめながら、ゼクスは重々しい声で語り続けた。
タケルとヴァルガンは、黙って彼の話に耳を傾けている。
「でも、あの人は軽蔑や嫌悪感で言いふらしたわけじゃない。おばさんは言ったんだ。『辛い生活のせいで、そうなってしまったのね? 助けてあげるから、間違ったことはもうやめましょう』ってな」
「助けてあげる……?」
「ああ。あくまでオレたちを正しい道に戻そうと『善意』で動いたんだ」
ゼクスは皮肉な笑みを浮かべた。
そんな救いなんて自分たちは求めていなかったのに、と。
「オレたちがおかしくなってしまったから助けなきゃ。……そうやって医者や周囲に相談して話が広がり、オレのスキャンダルを狙う連中の耳に入ってしまった」
悪意で貶められたのではない。ただ、可哀想な兄妹を正しい道に導こうとした他者の無理解な善意。ずっと守ってきた二人だけの世界は、優しさという刃物で完膚なきまでに壊されてしまったのだ。
「……これを見てくれ」
ゼクスは机の引き出しを開け、古びた一枚の手紙を取り出す。
タケルが中を開くと、震える文字でこう書かれていた。
『ごめんなさい。貴方たちを助けたいと思ったのに、こんなことになってしまって。本当にごめんなさい』
「……」
謝罪を繰り返す文面と、手紙についた涙の跡。書いた主の後悔が強く、強く伝わってきた。
近所のおばさんも、他人を傷つけようと思って行動したわけじゃない。
だが、社会の倫理という基準に照らし合わせた時、ゼクスたちは排除すべき存在でしかなかったのだ。
「オレたちがおかしいのはわかってる。世間から見たら気持ち悪い存在だっていうのも、痛いほど理解してる」
ゼクスは声を荒らげたりはしなかった。
タケルを見つめながら、凪いだ声で。血を吐くような悲痛さで問いかけた。
「でも……オレたちは、誰かに迷惑をかけたのか? 誰か傷つけたのか?」
「……」
「二人だけの秘密にして生きてきた。それを知られたら『お前らは異常者だ』って裁かれなきゃいけないくらい……オレとノッテは、悪い存在だったのか?」
「それは……」
ゼクスの問いに、タケルは言葉を返すことができなかった。
現代日本と異世界プリズマリア、どちらの価値観でも近親間の恋愛はタブー。それは社会のルールであり、秩序を保つために必要なことだ。
でも、二人は互いを必要としていた。そこに一方的な押し付けや搾取、暴力はない。他人を傷つけず、迷惑をかけていない異常は罰されるべきなのか。
そうだとしたら、魔王がアイドルをしていること。それもまた、世界の常識とは違う異常として罰されることになってしまうのだろうか。
「……オレたちは逃げた。マレスを離れて、遠くへ。でも、社会の目はどこまでもオレたちを追いかけてきて、ノッテは……」
ゼクスは言葉を詰まらせ、部屋の隅にある大きな箱──ノッテの遺品へと視線を移した。その表情は、これ以上ないほど深い孤独を帯びていた。




