23. わたしのマネージャーでしょ?
本戦が終わった翌日。
ルミナ・シティの中心部にある、ルナが所属する大手事務所『ルクス・レガリア』の一室。
コンコン。
控えめなノックの音が、静寂に包まれた廊下に響く。
ルナに呼び出されたイザベラは、ドアの前で緊張と不安に顔を強張らせていた。
(……昨日、ルナに感情をぶつけて無理やりステージに立たせてしまった)
震える手を胸に当て、イザベラは深呼吸する。
ルナは論理を組み立てて合理性を追求するアイドルだ。
リスクを無視して、パフォーマンスの質を下げるような選択をさせた。それを許す理由がない。
(マネージャー失格と言われても当然だわ。……最悪の場合、今日でクビを宣告されるかもしれない)
それでも嵐に立ち向かって輝くルナの姿を見ることができた、後悔はない。
何を言われても受け入れる覚悟はできている。
「入って」
ドアの向こうから、いつもと変わらない淡々としたルナの声が聞こえた。
イザベラは意を決して、ゆっくりとドアノブを回す。
部屋の中央に置かれた大きなテーブル。
ソファに座っているルナは、無表情のまま魔導端末の画面を見つめていた。
「遅いよ、イザベラ」
「……ごめんなさい」
イザベラはルナの前に立ち、素直に頭を下げる。
「昨日の件は、マネージャーにあるまじき判断だったわ。……どんな処分でも受け入れるつもりよ」
「そんなことより。これを見て」
「え……?」
謝罪を遮るように、ルナは操作していた魔導端末をテーブルの上に置いた。
クビ宣告ではないことに戸惑いながらも、イザベラは恐る恐る覗き込む。そこには次回のソロライブに向けた、ステージの構成案やタイムスケジュールがびっしりと書き込まれていた。
だが。
その内容は、これまで作ってきた計算されたステージ構成とは全く違うもの。
画面に並ぶ信じられない項目に、イザベラは目を疑った。
「ル、ルナ……? これ、どういうこと……?」
【ライブの新規アプローチ案】
・曲間:客席ダイブ(滞空時間と着地点の計算、受け止めるファンの密度予測)
・MC:アドリブ(観客の反応パターン別の分岐フローチャート)
・アンコール:予定外の未発表曲(スタッフとの即時連携テスト)
「どうして貴方が、こんな不確定要素ばかりの演出を……?」
客席へのダイブ? 怪我のリスクが高すぎる。
アドリブのMC? 予定時間を越えて、進行が遅れる可能性がある。
予定外のアンコール? 連携ミスを誘発し、問題視されるかもしれない。
今までルナが組み上げてきた論理からすると、絶対にあり得ない。
排除すべきノイズでしかない行動ばかりだった。
「昨日のイベントを分析して、それを元に新しいシミュレーションをしたの。わたしの計算だけじゃ、RE:Genesisが作った『熱量』という数値化できない要素に勝てなかった。だからその変数を、自分の計算式に取り入れてみようと思って」
ルナはどこまでも真面目に論理的に、敗北を分析して自分の進化に繋げようとしていた。完成された機械が、新たなプログラムをインストールしようとしているかのように。
「彼らは不確定要素の塊。予測不能な熱が観客を動かした。でも、わたしには『熱量』の正体がわからない」
ルナは説明を途中で止め、自分の胸にそっと手を当てた。
吸い込まれそうな蒼い瞳に、微かな戸惑いの色が浮かぶ。
「どうすれば観客が熱狂するのか。どうすれば、あのステージみたいな一体感を生み出せるのか。計算式が成り立たないの」
それはルナにとって未知の経験。
今までどんな複雑なダンスのステップも難解な曲の音程も、すべて計算と予測で完璧にこなしてきた。しかし彼女の思考回路では、「熱」という不確定要素についてどうやっても解を導き出せなかったのだ。
「イザベラは、どう思う?」
ルナは真っ直ぐにイザベラを見つめる。
マネージャーに対して、初めて意見を求めた瞬間。
「……」
いつものイザベラは、ルナの指示に従って必要なことだけをこなしてきた。でも今、自分を必要としてくれている。
彼女はルナの瞳を見つめ返し、マネージャーとして正直な評価を告げた。
「いつものルナなら絶対に不要な演出よ。転倒のリスクも、進行が遅れるリスクも高すぎる。デメリットが大きいわ」
「うん、そうだね。それは客観的な事実だし、わたしもそう思う」
ルナは冷静に同意する。
理屈で考えれば、これらの演出は無駄でしかないのだ。
合理的な要素など、何一つない。
「でも、本音を言うと……こういうチャレンジをするルナを、私は見てみたい」
イザベラは、これまでルナに隠し続けていた気持ちを打ち明けた。
言わない方がいいと考えて、抑え続けてきた想いを。
「私、ずっと言えなかった。ファンの人に喜んでもらうために、提案したいことがあっても……それが貴方の『完璧』を壊してしまうんじゃないかって、怖かった」
イザベラの声が、少しずつ震えていく。
氷の美少女のイメージを守ることが、マネージャーとしての自分の役割だと思い込んでいた。自分の意見など、彼女の計算式には不要なのだと。
「……マネージャーなのに、貴方の新しい可能性を信じていなかったなんて……私、ダメよね」
瞳から、涙が溢れ落ちた。
昨日の嵐の中で見せたルナの姿。あんなにも美しく、力強く、観客の心を打つステージができるのに。どうせ意味なんてないと、最初から諦めていたのは自分の方だった。
「ごめんなさい、私……」
泣きじゃくるイザベラ。
それを見たルナは立ち上がり……彼女の震える手を、そっと両手で握りしめた。少し冷たかったが、確かな温もりがある。
「いいよ、あなたの提案」
「え……?」
「それでエラーが起きたとしても、新しい完璧の形が生まれるかもしれない。わたしの計算式に、組み込んであげる」
その言葉はルナにとって最大の譲歩であり、変化。
合理性の論理や本質が変わったわけではない。
だが、他者の意見を受け入れて不確定要素を許容する。
「でも、一人じゃわからないことだらけ。だから手伝って」
ルナは初めて誰かに頼るような、微かな微笑みを浮かべた。
これまでの「完璧なルナ」を抜け出した、さらなる高みを目指すために。
「わたしのマネージャーでしょ?」
お飾りではない。スケジュールを管理するだけの歯車でもない。
ルナはイザベラのことを、自分に必要なパートナーとして認めたのだ。
「……っ! もちろんよ! どんな演出ならルナの魅力をもっと引き出せるか、一緒に考えましょう! 私、全部手伝うわ!」
「ありがとう。じゃあ、ダイブの軌道計算からやろっか」
「ダイブは本当に危ないから却下。まずは観客へのアピールの仕方から話し合いましょう」
「え、却下? せっかく滞空時間も計算したのに」
「怪我をしたら元も子もないでしょ!」
イザベラは涙を乱暴に拭いながら、テキパキと意見を出し始めた。
二人は魔導端末に表示された計画案を前に、ああでもないこうでもないと議論を交わしていく。
新たな完璧さを目指すアイドルと、お飾りであることをやめたマネージャー。
氷の美少女の絶対的な合理性の中に、他者との関わりという変数が加わる。
二人三脚で新しい企画を考え始めた姿は、これまでのどんなステージよりも生き生きと輝いていた。




