19. 貴方の代わりはどこにもいない
「イザベラ……?」
初めて見る、感情的になったイザベラの姿。計算と予測で動くルナの思考回路において、この状況は完全に「エラー」だった。
「わたしの言う通り、ステージに出ないのが一番合理的でしょ。あなたもマネージャーなら、リスク管理の観点から賛成するはず。なのに、どうして?」
心底理解できず、ルナは問いかける。
その言葉は相変わらず冷たく、正しい。イザベラはしゃくり上げながら、正論を真正面から受け止めた。
「ええ……その通りよ。無理にライブをしてミスしたら、評判が落ちるかも知れない。体調を崩す可能性だってある」
「そうだよね。わたしの言ってることは、何一つ間違ってない」
「……マネージャーとして、貴方を参加させないのが正解。この提案は、きっと間違っている」
プロとしてこんなこと言うべきではない、正しくなんてない。イザベラはそう認めた。それでも彼女は震える両手で、涙で目を赤く腫らした顔で。ルナの細い両肩を掴んで真っ直ぐに見つめる。
「私は、ルナみたいに完璧じゃない。ただのお飾りで、なんの役にも立ってない。貴方のマネージャーは誰でもいいのかもしれない……」
イザベラの本音が控室に響く。完成されたアイドルの隣で、自分は必要ないのではないかと感じ続けてきた孤独と無力感。
だが、今の彼女の瞳に諦めの暗い色はなかった。代わりにあるのは、どうしようもなく燃え上がっている感情の炎。
イザベラは、ルナの肩を掴む手にさらに力を込める。嵐の中へ飛び込んでいくアイドルたちを見て思い出した、自分の原点を伝えるために。
「だけど、私はアイドルが好きだから! ステージで輝くアイドルを見て、この世界に飛び込んで、貴方のマネージャーになったから……! 自分の気持ちに、嘘はつきたくないの!!」
プロのマネージャーとしての言葉ではない。
一人のアイドルファンとしての、理屈じゃないエゴの爆発。
「ルナ、貴方はいつも言ってる! アイドルは必要がなくなれば、すぐ代わりが来るって! その言葉が貴方自身にすら向いてることを、私は知ってる!!」
「それは事実だよ? もしわたしが怪我をしたり、何か問題が起きたらいなくなる。わたしが居た席に、代わりのアイドルが来て終わり。それだけだから」
ルナは自分自身すらも「代用可能な商品」として認識している。
だからこそ冷静に他人事で話しているのだ。商品の価値がなくなれば終わり、ただそれだけのことだと。
でも。
「違うッ! 代わりなんて、いないッ!!」
泣きながら、イザベラは何度も首を横に振った。
「ルナのことが好きな人にとって、代わりなんていないの! 居なくなったら寂しい、悲しい! ステージに立つ貴方を見たくて来てくれた人は、そう思ってる!」
その言葉がルナには理解できなかった。
もし自分がステージに立たなければ、お金や時間を無駄にしたと怒るファンはいるだろうと思っていた。どうして寂しいと感じるのか、理由がわからない。他にもアイドルは、いくらでもいるのに。
「私は、ルナにあのステージで歌って欲しい! リスクとか、合理的かなんてどうでもいい! 貴方のファンとして、嵐や雨にも負けない姿を見たいの!」
イザベラはルナの肩に額を押し当て、子供のように泣きじゃくった。
これまでずっと抑え込んでいたからこそ、溢れ出す気持ちが止められない。
「お願い……お願いだから、歌って……!」
「……」
泣き続けるイザベラに何を言えばいいのか。ルナは答えを出せず、言葉を失っていた。彼女にとって周囲の人間はスケジュールを円滑に回すための歯車か、自分に対し利益をもたらすだけの群衆でしかなかった。
ファンが評価するのは自分が完璧だから。
スタッフが評価するのは自分が数字を持っているから。
アイドルとして仕事を続けられるのは、その前提があるからだと信じていた。
しかし、今。
自分のためにあらゆる理屈を投げ捨てて。
感情を爆発させ「貴方のステージが見たい」と泣き続けるイザベラ。
(なぜ? どうして、こんなに必死になるの?)
その非合理的な想いの塊を前にして、ルナの思考回路は機能不全に陥っていた。
彼女には、イザベラの涙の理由が読み取れない。
価値が下がるかもしれないのに。失敗するかもしれないのに。
(わからない)
考えても回答が見つからない。
でも、このままでいるわけにはいかない。
何か選択をしなければならない、何かを。
(イザベラを無視して帰る? ううん、それだと今後の仕事に支障が出る)
ここで亀裂が入ったら、以降の仕事でトラブルになりかねない。他のマネージャーと交代することになっても、自分自身に悪評がつく恐れがある。
(じゃあ、最適な判断は?)
このまま帰ることはリスクのある行為だ。
つまり、安全な選択肢ではなくなった。
(……なら、今からわたしがすることはおかしくない)
どちらもリスクのある行為になったから選ぶだけ。
理由はある、だから何もおかしくない。
「イザベラが言ってることはよくわからない」
ルナはいつものように淡々と話す。
それから、しがみつくイザベラの頭にそっと手を乗せた。
「わからないけど、仕方ないね」
口から出てきたのは冷たい拒絶ではない。
どこか諦めたような、自分でもよくわからないまま決断した言葉。
「このステージで評判が下がったり、わたしが風邪を引いたりしたら……全部、イザベラの責任にするから。それでもいい?」
ルナが初めて、効率や計算以外の理由で何かを選択した瞬間。イザベラは弾かれたように顔を上げ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃのまま笑顔を見せた。
「……ええ! 全部、私の責任でいいわ!!」
イザベラは力強く頷き、急いで涙を拭う。
トランクを開け、ルナのステージ衣装を引っ張り出した。
*
嵐が吹き荒れる特設野外ステージ。
雨は依然として降り続き、風も収まる気配はない。
予定されていたアイドルたちのパフォーマンスはすべて終了し、番組はエンディングに向けた時間調整に入っていた。
ルナが出演しないことで生じた空き時間を埋めるため、ヴァルガンがステージに残って場を繋いでいる。なお、周りに頼まれたわけではなく「時間が足りん? ならば我が出てやろう!」と勝手に飛び出していった。
『フハハハハ! どうした愚民ども! 我の肉体美に見惚れて声も出ないか!』
「うおおおっ! RE:Genesisー!」
「筋肉最高ーっ!」
雨に濡れた筋肉を惜しげもなく披露し、客席に向かって咆哮するヴァルガン。
観客たちは異様なテンションも相まって、勢いのまま叫び返していた。
「ヴァルガン、尺稼ぎはいいけど脱ぎすぎるなよ! またポロリしたら今度こそ人生終了だからな!?」
「このままRE:Genesisの筋肉アピール流しっぱのまま番組締めるのか……? まあ、それしかないか……」
ステージ袖で、タケルがカンペを書いて必死にヴァルガンへ指示を出している。
ディレクターも諦め半分でスタッフに連絡しようとした、その時。
タケルの横を、静かにすり抜けていく人影があった。
「え……?」
誰だと思い、目を向けると。
そこにいたのは、マレットドレスのステージ衣装に着替えた氷の美少女。
「……ルナ!?」
出演を辞退し、とっくに帰ったと思っていたアイドル。
なぜ、こんな嵐の中で歌おうとしているのか。その驚きは、すぐに周囲のスタッフや他のアイドルたちにも伝播した。
「ルナさん、片付けしてたんじゃ……!?」
「あの、悪天候ですけど本当にやるんですか!?」
ルナは誰の言葉も耳を貸さず、ただステージに向かって歩いていく。
場繋ぎのためポーズをキメていたヴァルガンは、彼女の登場に気付くとゆっくり近づいた。
「ほう? 逃げずによく来たな、人形。ならば、我らと同じ『泥にまみれた仲間』として、盛大に歓迎してやろうではないか!」
バシャッ!!
ヴァルガンはわざとらしく、ステージ上に溜まっていた水たまりを力強く踏み込んだ。跳ね上がった泥水が、ルナのドレスに容赦なく降りかかる。
「ヴァルガン!? 何してんだ馬鹿ッ!?」
ステージ袖で見ていたタケルが悲鳴を上げる。
ルナは美しく仕立てられたドレスについた泥を、じっと見つめ……一瞬、眉間に皺を寄せる。
だが、すぐに元のクールな表情に戻り、冷たい視線をヴァルガンに向けた。
「……あとでクリーニング代、きっちり請求するから」
「フン、安いものだ」
彼女なりの「受けて立つ」という宣言。
ヴァルガンは満足げにステージ袖へと戻っていく。入れ替わるように、ルナはステージ中央へと足を踏み出した。
魔導カメラが、その姿を捉える。
観客席は予想外の登場に一瞬静まり返り──
「ルナだぁぁぁぁぁっ!!」
「ルナちゃん! 待ってたぞーっ!!」
今日一番の歓声が爆発。
ルナは吹き付ける雨に目を細めながら、息を吸い込んだ。




