18. ずっと抑え込んできた、マネージャーの想い
「みんなー! 雨だけど盛り上がっていくよーっ!」
ヴァルガンのステージからバトンを受け取ったチェリーズが、嵐のステージへと飛び出してきた。イントロが流れ、早速踊り始めていく。
彼女たちのパフォーマンスは、お世辞にも上手とは言えなかった。
滑らないよう足元を気にしてステップは小さくなり、マイクを持つ手は冷えて微かに震えている。丁寧にセットした髪は容赦なく雨に打たれて顔に張り付き、衣装も濡れてびしょびしょだ。
それでも彼女たちは決して笑顔を絶やさない。
タケルたちにリハーサルでアドバイスしてもらった、カメラへのアピール。
どんな状況でもレンズの奥の視聴者を意識し、とびきりのスマイルを浮かべる。
それ以上に彼女たちのパフォーマンスを支えていたのは、自分たちがこのステージを楽しむという気持ち。
「♪モヤモヤしちゃう日は ヤなこと全部蹴っ飛ばそう!」
歌詞に合わせて、セリーゼがわざと水たまりを蹴り上げ水しぶきを作る。
他の二人が「きゃーっ!」と笑いながら避け、アドリブでフォーメーションを変える。計算された演出ではない。ハプニングを笑顔に変え、今この瞬間を全力でやりきるアイドルの姿。
「いいぞー! チェリーズ!」
「がんばれーっ! 可愛いぞー!」
テントの下から観客たちの温かいコールが飛ぶ。
ずぶ濡れのまま笑顔で歌い続けるチェリーズ。魔導ビジョン越しの視聴者たちも胸を打たれ、投票はぐんぐん伸びていく。
番組を楽しむ人々は「嵐に立ち向かうアイドルを応援する」という目的を持った、一つの大きな集団になっていた。
*
「すげーな」
観客席の最後方。雨よけテントに入るギリギリの場所で、チャラい私服姿の青年──エリオが、楽しげに尻尾を揺らしながらステージを見つめていた。ヴァルガンたちのパフォーマンスがどうなるか気になり、様子を見に来ていたのだ。
「本家さんの熱は、理屈を全部ぶっ飛ばして……『自分もやってみたい』って周りに思わせちまう」
ステージではチェリーズの出番が終わり、次のアイドルが歌い始めている。
その顔に予選の時の萎縮や恐怖はなく、イベントを盛り上げてみせるというやる気に満ちていた。
「何やらかすかわかんないからこそ、予想外だらけで楽しいライブを作り上げていく。……だから手強いんだよなー、ヴァルガンは」
*
そんなステージの熱狂から完全に切り離された場所があった。
特設ステージの裏手に用意された、ルナ専用の控室。
嵐の音も観客の歓声も、ここにはほとんど届かない。静かで冷ややかな空間。
「残りはこれ、よろしく」
ルナは既にステージ衣装を脱ぎ、私服のコートを羽織っていた。イザベラは手際よく、メイク道具や衣装をトランクに詰め込み撤収作業を進めている。
控室の壁には、ステージの様子を映し出すモニターが設置されている。そこには嵐の中、息を切らして笑顔で歌うアイドルたちの姿が映し出されていた。
「やっぱり、クオリティは全体的に落ちてるね」
彼女の口から出たのは、映像から読み取れる客観的な事実だけ。
「足元が滑って本来のダンスができてない。雨のせいでカメラ切り替えへの反応も遅い、歌のピッチも不安定。あれじゃ、プロのステージとは呼べない」
ルナは呆れたように呟いた。
彼女の心にはヴァルガンの咆哮もチェリーズの奮闘も、一切響いていない。
「明日、イベントがあるアイドルもいるはずなのに。風邪になって穴を開けたら、どう責任を取るつもりなんだろう」
彼女の中にある答えは変わらないまま。アイドルとしての評価を守り、明日以降の予定を問題なくこなすという「仕事」の結論。
「番組は進行できてるし、わたし無しでも成立する。わざわざリスクを取ってまで、質の低いパフォーマンスを晒すメリットは一つもないね」
ルナが不参加を選んでも、嵐の都合によりキャンセルで説明できる。
危険な状況だと判断したので出演しないという、納得しやすい理由。参加リスクは大きく、キャンセルのリスクはほぼなし。それが、彼女が弾き出した最も合理的で正しい選択。
「さあ、イザベラ。帰ろう」
ルナはモニターから目をそらし、出口のドアへと歩き出す。
いつも通り、イザベラが同意しながら静かにこの場を去る──はずだった。
「……待って」
背後から聞こえた、微かに震える声。
ルナが振り返ると……トランクの持ち手を握りしめたまま俯いているイザベラの姿があった。
「お願い、ルナ」
イザベラは顔を上げないまま、絞り出すように言葉を続ける。
「あのステージに出て。今、貴方があそこに行かなければ……ダメなの」
「どうして? さっき言ったよね。あの雨じゃ、確実に精度が落ちる。出来の悪いステージを見せたら、わたしの評判に傷がつく」
ルナは不思議そうに、少しだけ不愉快そうに眉をひそめた。
物わかりの悪い子供に言い聞かせるように、淡々と言葉を並べる。
「体調を崩したらスポンサーにも迷惑がかかる。あのステージに出る合理的な理由がないよ」
完璧な正論だった。
マネージャーの役目はアイドルの商品価値を守ること。スケジュールを管理する立場であるイザベラなら、ルナの言葉に反論できるはずがない。
事実、イザベラは今まで自分の意見をすべて飲み込み、スケジュール管理のお飾りであることを受け入れてきた。ルナは正しい、口を挟む余地などないのだと。
だけど。
『我は歌いたいから、歌うのみよ!』
ただステージに立ちたいという熱だけで飛び込んでいった姿。
それに影響され、嵐の中だろうと笑顔で歌うアイドルたち。
これまでずっと押し殺してきた、イザベラの心の中にあった想い。
分厚い氷の下に閉じ込められていた感情が、抑えきれないくらい膨らんでいた。
「……うるさい」
イザベラの口から小さく、拒絶の言葉が漏れた。
「え?」
「うるさいっ!!」
ドタンッ!!
イザベラは、持っていたトランクを床に叩きつける。
静かだった控室に、大きな音が響き渡った。
初めて見るマネージャーの豹変に、ルナは驚きで固まってしまう。
イザベラが顔を上げると、その瞳からは。
ボロボロと大粒の涙が溢れ出していた。




