83.次なる世界へ
あの激しい戦争から、50年、100年……いえ、もう少し経ったでしょうか。
長く生きていると、時間の感覚がよく分からなくなってしまいますわね。
英雄の種族と呼ばれる人間たちは、その後も徐々に数を減らしていき、地上を去っていきました。そして今地上には、新たな人間の男女の姿が。
天界の広間へ集まった神々と共に、地上の様子を見ているところです。
「この人間達は随分と貧弱そうに見えますが……」
ゼウス様が次に誕生させた人間と言うのが、また斬新な方法で、何と、地上を蔓延る小さなネズミから人間を作り出しました。
1つ前の英雄の種族は、神の血の入り交じった者が多く活躍していただけに、どうにも見劣りするのですが。
「全く新しい世界を眺めていようかと思ってね。これまでいた人間たちは、もっとずっと僕たち神に近い存在だった。今度は真逆の世界を作ってみたらどうかと思ったんだよ」
「確かに。あの人間達はわたくし達からすると、随分と不出来な様に見えますわね」
「そして神という存在そのものも、もっと高みへと上げて、決して人間には手の届かない存在にしてみようと思うんだ」
「?」
ゼウス様の言葉の意図を汲み取れずに小首を傾げると、イタズラめいた笑いを浮かべました。
集まった神々を前に、ゼウス様はよく響き渡る声で話し始めます。
「この時以降、僕たち神が地上へ降りることを禁ずる」
「「「「えっ??」」」」
一瞬にしてザワついた広間。
わたくしも突然の宣言に、頭が大混乱です。
「僕はしばらくの間、この人間たちに地上を任せてみようと思う。僕たち神はこれまで、訊ねられれば神託を授け、姿を現し、度々人間達と交わって暮らしてきた。けれども僕は、新しい試みに打って出るつもりなんだ」
「人間達は俺達神が見放してしまえば、すぐに途方に暮れてしまうのでは無いでしょうか。人間というのは誰かに縋り、寄りかからなければ立っていることすらままならない生き物です。彼らは何を頼りに生きていくのですか」
アポロンの疑問にはわたくしをはじめとして、他の者たちも同様に感じているでしょう。
人間は、野に放つにはあまりにも頼りない。
わたくし達神が見ていないと分かればたちまちに本性をあらわにして、他者を貶め、奪い、争い、悪事の限りを尽すに決まってますわ。
どこかからか神が見ていて、神罰が下る。
だからこそ、悪い事はしない。
逆にどんなに辛いことが有ろうとも、祈りを聞いて助けれくれる神がどこかに居る。
そう思うからこそ人間は、希望を捨てずに生きていける。
わたくしに予言術の心得がなくとも、断言できます。
人間には神が必要。
神のいない人の世はすぐに瓦解し、崩れてしまうでしょう。
「皆の心配には及ばないよ。僕は神という存在そのものを消すつもりは無い。ただこれからは、一人の神にその役割を任せようかと思う」
さらにザワつく神々の中で、ポセイドンが怒りを露わにして大声を上げました。
「どういう意味だ?! まさかゼウス、お前ひとりだけが人間達に干渉し、他のものは黙っていろとでも言うのか?」
「まさか、違うよ。僕はしばらく妻と、心ゆくまで二人の時間を楽しみたいんだ。1人の神というのはね、アポロン。君ならその男が見えるかい?」
「やがて東からやってくる、あの男の事でしょうか」
「そう、その通り。人間を救う神として、彼には頑張ってもらおうかと思ってね」
ニィッと口元を歪め更に話しを続けます。
「これまで人間は各地でそれぞれに、それぞれの神を崇拝してきた。けれども今度は、たった一人の神に祈れば良い事としてみたら、面白いんじゃないかと考えたのさ。君たちも長い間、人間達の声を聞き疲れたんじゃないのかい?」
「はっはっ! 俺達はしばしの間、休暇を楽しめるという訳か!」
「そう、人間達の行く末を眺めながらね。人間の手の届かない所に神を据え、直接神託を下すこともなければ、姿を現すことも無い。ただ『信じる』という行為だけが、彼らの救いとなる。そんな世界がどこへ向かうのか、僕にも分からない」
ポセイドンが弟の試みに面白いと笑うと、場が一気に和みました。
ですがわたくしは少しだけ不安です。
だって、わたくし達はどうなるのでしょう?
誰にも覚えていて貰えないなんて、それは死んだも同然です。
「そう不安がることは無いよ。だって、君なら知っているはずだよ?これまでずっと君はあの者達に語りかけてきたじゃないか」
私の不安に気付いたゼウス様が、横からそっと耳打ちしてきました。
わたくしが語りかけてきた者達……。
ふふ、皆さまならもうお分かりですわね。
そう、あなた達の事ですわ。わたくしったらうっかりしていました。
ゼウス様のおっしゃる通り、心配は要りません。
だってそうでしょう? わたくし達神々は、今を生きるあなた達の生活の一部となって生きているんですもの。
踵の事をアキレス腱と言ったり、美しい女性をアフロディテに例え、スポーツの祭典では聖火を持って走り、司法の場には天秤を持つテミス様の像。
かく言うわたくしも、6月の結婚式ジューンブライドの由来となっているのでしたわ!
言い出したらキリがない程に、そしてあなた達が気付かないうちに、わたくし達はあなた達の暮らしの中へと入り込んでいますのよ。わざわざ経典や神殿などなくとも、もっとずっと深い場所に。
「そうでしたわ。わたくし達はもうとっくに、永久不滅の存在でしたわね」
「そう言うこと。これで約束通り、君だけを見ていられる」
「――――っ!!」
はあああぁぁぁぁっ。
もう幸せ過ぎて溶けてしまいそう。
イチャつくわたくし達を、みんなが生あたたかい目で眺めています。
これからはゼウス様と、何も気にせず2人で……。うふっ、うふふふふっ。
そういう訳で、皆さまとはここでお別れです。
ごきげんよう。さようなら。
っあ!
最後に一つだけ。
ゼウス様が先程、『しばらくの間』と仰っていたことをお忘れなく。
いつ気が変わって、あなた達『鉄の種族』を終わらせるかも分かりませんわよ?
あまりにも横暴な振る舞いは、控えておくのがよろしいかと。
この忠告を、わたくしからのプレゼントとして終わりとしましょう。それでは皆さま今度こそ、ごきげんよう。
―終わり―




