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76.息子と言えども容赦しませんわ!

 ゼウス様の命を受けたアテナはトロイア軍に変身し、トロイア軍の一人で弓矢の名手パンダロスと言う男をけしかけましたわ。


『このままトロイアの代表パリスが、メネラオスに惨めにも打ち負かされ女も連れ帰られてしまったと、未来永劫馬鹿にされ続ける事を良しとするのですか。その様な屈辱に耐え、生き続けるなんてあんまりではないですか』


『ならばお前はこの私に、どうしろと言うのだ』


『あそこにメネラオスが見えるでしょう? あの男をここから射るのです。貴方ほどの弓の腕前ならば出来ますでしょう』


『何を言うのだ?! 神々と、そして両市民達にした誓いを破れと言うのか』


『落ち着いて聞いて下さい。メネラオスが死ねばパリスはきっと大喜びで、貴方に感謝し、多くの贈り物を寄越すに違いありません。そして貴方はトロイア中の人間に感謝され称えられるでしょう』



 愚かなパンダロスは甘い言葉に惑わされ、メネラオスに向けて矢を放ちました。


 アテナは誰にも見つからないよう姿を隠し素早くメネラオスの傍まで移動すると、今にも付き刺さろうとした矢をすんでのところで逸らしました。革帯の留め具に付き刺さった矢は、矢尻の先がほんの少しメネラオスの身体に刺さったようで、赤い染みが服に広がり始めます。


 これにはメネラオスの兄で総大将のアガメムノンも怒り出して、直ぐに鎧で身をかため、戦闘が再開されました。


 アテナは主にギリシャ軍のディオメデスと言う男に付いて助力し、アフロディテはもちろんトロイアに味方。

 とは言えアフロディテは戦闘において、アテナに勝てる筈なんてありません。本人もその事は承知していた様で、かつての浮気相手アレスをトロイア軍へと引き込んでしまいました。男を手玉に取る技だけは本当に、達者ですこと。


 さらにはアポロンもトロイアの最も強力な味方として参戦しておりますので、一筋縄ではいきません。


 激しい戦闘には恐怖神(デイモス)敗走神(ポボス)不和の女神(エリス)と言った神々も加わり大乱闘。死体の山が次々と築かれて、冥界ではハデスが悲鳴をあげているかもしれませんわね。



 今のところはアレスと、アポロンの庇護を受けるトロイアの王太子ヘクトルがギリシャ軍にとって最大の悩み。特に戦闘狂のアレスは、ここぞとばかりに槍を振って半狂乱で戦いに身を投じているので、人間には手の付けようもありません。


 普段からアレスと仲良く戦場を駆け回っているエリス達も、どちらかと言うとトロイア勢に付き気味。

 これにはアテナも手こずっているようですので、ここは神々の女王であるわたくしも、一肌脱いでみせましょう。


 え? これまで貴女は手を貸さず、見ていただけなのか。ですって?

 みなさまもご存知でしょう? わたくしあまり、戦闘は得意ではありません。むやみやたらに出て行くと、それこそアテナの邪魔をしかねませんので、わたくしはわたくしのやり方で手を貸すのです。


「アテナ、アレスに随分と手を焼いているようですわね」


「ヘラ様!アフロディテは懲らしめてやりましたが、アレスの馬鹿はまだ……」


 アフロディテはアテナの庇護を受けたディオメデスに手首を切り裂かれ、泣きながら天界の館へと帰ってきました。

 いくら不死の身とは言っても、痛いものは痛いですもの。それにアフロディテとは敵対関係にあるとは言え、本当の敵、という事でもなし。これはただの力較べの余興にすぎません。可哀想なのでイリスを使いに出して、地上まで迎えに行かせてやりました。


「ハデスからこれを借りて来ましたわ」


 ヘルメスに冥界まで行かせてハデスから借りてきてもらったのは、被ると姿が見えなくなる『隠れ兜』。

 これでアテナもアレスにも気付かれずに、根回しすることが可能でしょう。


「アレスがわたくしとゼウス様の子だからって、遠慮する事なんて有りませんわ。この戦いは恨みっこなしだとゼウス様も仰っていたでしょう? アレスには暫く黙っていて貰いなさい」


「それならば容赦なくいかせて貰います」


 不敵な笑みを浮かべたアテナは、戦いのさなかへと消えていきました。

 折角地上へと降りてきたんですもの。わたくしはギリシャ軍のお偉いさんにでも変身して、士気を高めるために鼓舞してこようかしら。



 豪勇ステントルの姿でギリシャ軍を叱咤激励して回ってしばらくすると、耳をつんざくような男の叫び声が聞こえてきました。


 アテナが上手いことやったみたいですわね。


 悠々と天界の神殿へと帰ると、ゼウス様の傍で大男が何やら訴えている最中。下っ腹を刺され下半身は流れ出る血で真っ赤に染め上がり、足元には血溜まりができてしまっています。


「ゼウス様は何故あのアテナを好き放題にして、のさばらせているのですか?! 俺はゼウス様とヘラ様の子でしょうに。あんまりではないですか」


「そう言うのならばアレス、君は母親がいるギリシャ方に味方すれば良いだろう? それにこの戦いは腕試し、力比べの場だと言うことは君も知っているはずだよ。アテナの手腕には及ばなかった。それだけの事さ」


「うぅっ……」


 痛みと悔しさが込み上げてくるのでしょう。反論することも無く小さく呻き声をあげて、うずくまってしまいました。ちょっぴり息子が可哀想になってきてしまうのは母親の性。見兼ねて声を掛けました。


「アレスはこれに懲りて、少しは大人しくしていなさいな。神医パイエオンにその傷を癒してもらいましょう。へべは居るかしら?」


「こちらにおります」


「湯浴みの準備をなさい。土埃と血みどろに塗れた身体では、折角の色男も台無しです」


 アレスは神ですから放っておいても死ぬ事なんてありませんが、痛いでしょうから痛み止めの軟膏をパイエオンに塗ってもらった方が良さそうです。

 登場してきてテキパキと指示を出すわたくしに、ゼウス様が喉を鳴らして笑いました。


「ヘラは息子に甘いようだ」


「数多くいる神々の中でもアレスは、わたくしとゼウス様の子ですもの。仕方ありませんわ」


 アフロディテとアレスには痛い目をみせてやりましたので、これで少しはギリシャ軍が有利になるでしょう。

 あとはアポロンをどうするか、ですわね。いくらアテナでも、アポロンを相手にして打ち負かすのは、そう容易くはないですもの。

 この後の戦いにも、目を離せそうにありません。

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