70.女の意地ってものがありますでしょう?
ペリオン山のペレウスの館。今日はここでテティスとペレウスの結婚式が行われますの。
ゼウス様主催とあって会場には、ありとあらゆる場所から集まった神々で賑わっております。
今回の結婚式には「全員必ず来るように」とのお達しでしたので、伝令役のヘルメスとイリスは大忙しでした。
神々から次々と渡される祝いの品に、ペレウスはひたすらに嬉しそう。一方、花嫁テティスはと言うと、ちょっぴり浮かない顔をしています。
「あなたにも良い伴侶が出来て嬉しく思いますわ」
テティスに笑顔で話しかけると、胡散臭そうな目を向けられてしまいました。
「ヘラ様……。この結婚はまさか、ヘラ様の御提案ですか?」
「いいえ。ゼウス様がお決めになられた事で、わたくしは後から知らされましたけれど……」
「そうですか。私はてっきり、この前のクーデターの際、ヘカトンケイル達に助けを求めた事を恨んでいらっしゃるのかと思ったのですが、違うのですね」
「ゼウス様と不倫していたと言うならば別ですが、
あなたを恨めしく思ったことなんてありませんわ」
クーデターの失敗は結果的に、ゼウス様とわたくしの関係を良いものへと変えてくれました。テティスに対する印象が悪くなったなんてことは絶対にありません。
「そうですよね。ヘラ様はそう言うお方ですものね……」
テティスは小さく、諦めたようにため息をつきました。
実はこの結婚に、当のテティスは乗り気ではありません。テミスからペレウスに、テティスを妻に娶るように神託が下り渋々受け入れたのです。
テミスのお墨付きを貰ったペレウスはテティスを抱こうとしたのですが、テティスは抵抗し、あらゆるものに化けて逃げようとしました。
ライオンや蛇、火や風にまで姿を変えたんだそうですわ。
最終的にはテティスも疲れ切って、ペレウスを受け入れたというわけです。
「随分と抵抗したのだと聞きましたわ」
「人間の男と結婚しろだなんてあんまりです」
テティスはただ美しいだけでなく穏やかな性格で、女のわたくしでも惚れてしまいそうになるくらいの女神です。いくら勇士とは言え婚姻相手が人間と言うのは確かに可哀想。
ですが、ゼウス様の決定は絶対です。逆らうとなれば、地上で生きて行く事は出来なくなるでしょう。
「ゼウス様には何か、お考えがあるのだと思いますわ」
「ええ……」
ポンポンとテティスの肩を叩き慰めていると、急にゾクリと背筋に冷たいものが這いました。
気配のした方へ目線を向けると、薄気味悪い笑みを浮かべた女が立っています。
「エリス……」
「皆さんお揃いのようで」
「何をしに来たのです?」
不和の女神エリス。
争いの種になるこの神だけは、今回の宴には呼ばなかったとゼウス様から聞いています。結婚と言う晴れやかで喜ばしい日に、この神は全くもって似つかわしくありません。
「どういう訳か、あたしのところへは招待が来なかったようなの。うっかり忘れてしまったのかしら?……ふふ、でもいいわ。私からもプレゼントを持ってきたのよ」
エリスは服をゴソゴソとすると、テーブルの上にコロンっと金色の玉のようなものを転がして置きました。
「これは……ヘスペリデスの黄金のりんご?」
「そう。《《最も美しい》》女神へのプレゼントよ」
ケラケラと笑いながら去っていくエリス。その姿を見送るでも無くいっせいに、女神たちが置かれたりんごに飛びつきました。
「最も美しいって言ったわね。それなら私が貰うのに相応しいわ」
「何をおっしゃるのやら。確かにアフロディテは美しいかもしれないが、1番というのなら私であろう?」
「アテナ様、失礼ですがそれを言うのならば、私こそがこのりんごを受け取るのに適した女神と言えるのではないでしょうか」
りんごを巡ってギャーギャーと騒ぎ立てている女神達。見かねて声をかけます。
「まあまあみんな、落ち着きなさいな。今日の主役はテティスでしょう? このりんごはテティスが受け取るのが良いのでは無いかしら?」
テティスだって相当な美女ですから。特に花嫁となれば普段よりも美しさが3割増です。受け取り人としては不足ありません。
「そんな……。最も美しいだなんて、私が頂くには少々荷が重すぎます。どうぞ他の方が受け取って下さい」
テティスったら、本当にしおらしい!こんな時くらい、堂々と受け取ってしまえば良いですのに。それにテティスが受け取るのがいちばん丸く収まるのですから、そこは空気を読んで大人しく受け取るべきです。
「遠慮する事なんて有りませんわ。さあ、このりんごを受け取りなさいな」
「まあ! ヘラったら。自分に自信が無いからってテティスにあげて誤魔化そうとしているのかしら?」
アフロディテがふふんっと鼻を鳴らして、挑発的な目で見てきます。続いて隣で腕組みをして頷くアテナが口を開きました。
「確かにテティスは美しい。だが不戦勝とあっては気持ちが悪いだろう。この際だから勝敗はきっちり付けるべき。それともヘラ様は早速、この戦いに白旗を上げるのですか?」
アテナったら大袈裟ですわね。戦神だからってこんな事にまで勝敗を決めなくても良いでしょうに。
「勝ち負け云々ではなく、主役のテティスにあげるべきだと言っているのです」
「それならヘラは、自分が一番綺麗な女神では無いって認めるのね。それはそうよね。『美』にかけてはこのアフロディテの右に出るものなんていやしないもの」
「ならばアフロディテ様と私との一騎打ちだな。勝てば誰もが認める世界一の美女だ」
「望むところだわ。美女好きのゼウス様はヘラを溺愛しているようだけれど、所詮はカナトスの泉で沐浴した直後限定なんじゃ無いかしら? 処女の美しさに頼らなければならないなんて、うふふ……ねえ?」
アフロディテの言葉には、流石のわたくしもカッチーンときました。
わたくしの美しさがカナトスの泉で沐浴した直後限定ですって?! ゼウス様の伴侶として見劣りしないよう、普段から抜かりなく念入りに手入れをし、自分自身に磨きをかけておりますわ。
確かにアフロディテの様に、誰彼構わず性欲を掻き立ててしまうような美貌も、アテナの様に男にも負けない強さと知性から来る美しさも持ち合わせておりません。でも貞淑で清らか、威厳に満ちた美しさがあると定評があります。
何より、ゼウス様にはわたくし、一年中可愛がられておりますわ!
メラメラとした闘争心が掻き立てられて、アフロディテとアテナを睨み付けました。
3人の間で火花を散らし張り合っていると、ゼウス様がりんごを手に取り、ポンポンと手のひらの上で跳ねさせながら言いました。
「まぁまぁ3人とも、今日はめでたい日だ。言い争いは慎むべきじゃないかい?」
「それならばゼウス様。わたくし達3人の中で誰が一番の美女か選んで下さいまし。ゼウス様がお決めになった事ならば、誰も文句は言えないでしょう」
もちろん、ゼウス様が選んでくださるのはわたくしですわ!
これで勝ったも同然です。
2人を横目にゼウス様に提案すると、アフロディテとアテナが同時に声を上げました。
「ちょっと待った!!」
「お待ちください!!」
「何です?」
「ゼウス様が決めるのには反対だわ。ヘラは妻だし、アテナだって娘だわ。しかも自分が産んだね。不公平よ」
「私も反対させてもらう。私がゼウス様の愛娘であることは疑いようもないが、ゼウス様の趣味嗜好から考えて私が圧倒的に不利である事は間違いない」
「……だようだよ。僕が選ぶのは、確かに公平とは言い難い。それならこうしよう。これから僕が君たち3人とはなんの縁もゆかりも無く、かつ信頼できる男を見つけてきて選ばせよう。その男を選定するまでの間は3人とも、この事で争うのはやめるように。いいね?」
ちょっぴり不満は残りますが、とりあえずは一時休戦という事になりました。
まあいいですわ。どこのどんな男が選ばれようとも、わたくしを見れば1番の美女だと言うに決まっていますものね。




