64.まだまだ怒りが収まらないご様子です(2)
肩からは無数の蛇が生え、上半身は人間の様な姿ですが、その下は大蛇さながらにとぐろを巻き、背には鳥のような翼が。
先程わたくし達の前を横切った火は口から吐いたのでしょう。口角からチラチラと炎が漏れ出て、煙が出ています。
「あ……あれはガイア様が差し向けてきた者なのですか?」
「その様だよ。少し前にハデスから連絡があってね。ガイア様がタルタロスと交わり子をなしたみたいだとね。テュポンと言うらしい」
「タルタロスと……」
恐ろしさのあまりガタガタと震えていると、炎のように赤く光るテュポンの目がゼウス様の姿を捉えました。テュポンがにぃっ、と口をいびつに歪ませると、肩から生える蛇も共鳴する様にうっすらと口を開け、笑っているように見えます。
「見ツケタ、ゼウス。コロスッ!!!」
巨大な身体を揺らし猪のように突進してくるピュトンに、宴に集まっていた者たちは一斉に逃げ出しはじめました。それも、自分が神であることが分からないように動物の姿へと化けて。
パンなんて川に飛び込んだのは良いものの、上半身が山羊で下半身だけ魚になっておりますわ!慌てすぎです。
「ちょっ、ちょっとみんな?! 何をしておりますの? 戦いますわよ!!!」
戦おうなんて言っている本人は、惨めにも震えが止まりません。本能的に逃げるべきだと言われているようです。
「ゼウス様、俺も一緒に戦います」
ほとんどの神々が逃げ出して行った中、残っていたヘラクレスが言いました。
「いいや、君はヘラを連れて逃げてくれ」
「何を仰るのですか!! わたくしも一緒に戦います!」
「いや、駄目だ。君がいた所で邪魔になる。居ない方がマシだ」
――――っ!
ゼウス様にキッパリハッキリと言われて、返す言葉もありません。
ギガントマキアでは役に立たないどころか本当に、邪魔になっただけでしたもの。
「何がなんでもヘラを守ってくれ。分かったね?」
「かしこまりました。ヘラ様、行きますよ」
「嫌です! わたくしもここに残って……っ?!」
ゼウス様がわたくしに向かってパチンっと指を鳴らすと、次の瞬間には白い牛の姿に変わってしまいました。
「ゼウス様ーー!!!」
という私の声は、「モォーー」と言う牛の鳴き声にしかならず。そのままヘラクレスに担ぎ上げられて、抵抗することも出来ず猛スピードで連れ去られてしまいました。
***
『こら! もう、ヘラクレス! 離しなさい!!』
ヘラクレスの肩の上で「モオモオ」と鳴いて騒いでいる内に、エジプトの地までやって来てしまいました。
「ここまで来れば、とりあえず大丈夫ですかね」
『何が大丈夫ですの?! ゼウス様を置いて逃げるなんて!!』
「あぁ、はいはい。ヘラ様の言いたいことは分かりますよ。でもヘラ様が居ては気が気じゃなくて、ゼウス様は戦いに集中出来なくなりますからね。ここは大人しく言われた通り、隠れていた方が良いんですよ」
分かっておりますわ、そんな事。
ゼウス様が邪魔だと言ったのは、わたくしの為だって。
2人で数日間、野宿をしながら過ごしていると、空の上から誰かの声が聞こえてきました。
「そこに居るのはもしかしてヘラクレス?」
空から一羽のコウノトリが、旋回しながら降りてきます。地上に足が着くやいなやぐにゃりと姿が歪み、ひょろっとした青年の姿へと変わりました。
「ヘルメス様でしたか」
「その隣にいる白い牛って……」
「ヘラ様です。ゼウス様に姿を変えられたので、自分では元の姿に戻れないようです」
自分で変身したのなら言うまでもなく自在に元の姿へと戻れますが、他者に掛けられた術なので自分では元には戻れません。
元に戻る事があるとすれば、術をかけた本人に戻してもらうか、もしくは術者が死んだ時。
でもゼウス様が死ぬことはありません。
封印されるような事などあったら、地の果てまでもついて行きますわ!
「あー、なるほどね。分かりました! 分かりましたからヘラ様、落ち着いて下さい」
「ヘルメス様?! ヘルメス様大変です!!」
今度は誰なのかとキョロキョロと声の主を探すと、近くの川から魚がぴょんっと飛び出してきて、頭にヤギの角を生やした男の姿に変わりました。
「うわぉ、パンか。キミって最高! 逃げる時、上半身がヤギになっちゃってんの!あははははっ!」
「笑っている場合じゃないです!ゼウス様がテュポンに捕まっちゃったんですよ!!」
「「ええっ?!!」」「モウゥ?!!」
「好奇心に負けて川の中から2人の戦いを見ていたんです。ゼウス様は雷霆とアダマスの鎌で、テュポンは炎で。そりゃあもう、全て焼き尽くされてしまうんじゃないかと思うくらいの激しい戦いで、天界はほとんどが灰になってしまいました。両者の強さが拮抗していてなかなか勝負が付かなかったのですが、テュポンを追い詰めたと思った所でゼウス様が奴の怪力に負けて捕まってしまったのです!」
さすがの緊急事態に、ふざけてばかりいるヘルメスが目を丸くしながらパンの肩を揺さぶりました。
「それで、ゼウス様は今どこに?! まさかタルタロスじゃ……」
最悪の事態を想像して、3人でパンの顔をゴクリと唾を飲み見つめると首を横に振りました。
「いえ、デルポイ近くの洞窟に閉じ込められています。テュポンも相当な深手を負っているので、タルタロスへ落とす事までは出来なかったようです。ですがゼウス様もまた、武器と手足の腱を取られ本来の力を発揮できない状態。テュポンはガイア様の所へ行き傷を癒してもらっているようですが、戻ってきたら今度こそ、ゼウス様をタルタロスへ封印してしまうかもしれません」
「モウゥゥゥッ!!!!」
「あっ、ヘラ様! ダメです!! その姿で行ったところで何にも出来ませんよ! 焼肉にされて食べられたらどうするんです?!」
ダッシュしてデルポイへと向かおうとした直後、一瞬でヘラクレスに組み伏せられてしまいました。牛になってもヘラクレスには力で勝てそうにありません。
「ゼウス様の救出にはボクとパンが、ヘラクレスはヘラ様を引き続き頼んだよ」
テキパキと指示を出すヘルメスに「モウモウ」と訴えかけると、ポンっと自身の胸を叩いてみせまた。
「ヘラ様、何故ゼウス様が貴女様の目を盗み、ボクと言う神を誕生させたか忘れたのですか? 嘘と盗みなら超一流のボクにお任せあれ、ですよ」
ニヒッと子供っぽく笑う仕草は、出会った赤ちゃんの頃から変わりありません。今回ばかりはその笑顔が、ものすごく頼もしく見えます。
ここはヘルメスとパンに全てを任せるしかありません。
「行ってきます!」と手を振る2人を見送ると、こちらからも手を打つために、前足を使って地面に文字を書いていきます。
『Μοῖρα』
「モイラ? モイラ達に用があるのですか?」
文字を見て呟くヘラクレスに、こくこくと頭を振ります。
「探して連れてくれば宜しいのですね?」
「モウッ」
「分かりました。ニンフ達にも手伝ってもらい探してみましょう」
ゼウス様のピンチにこのわたくしが、黙って何もせずに待つなんてことしませんわよ!
力で勝てないのなら、頭で勝負です!!




